ハートフルコーチの泣き笑い日記

日々の発見やつぶやきなど。

バケットリストを覗いてみたら


大阪の田中です。
直接的なサポートではなく、自分を整えようという小林さんの視点にハッとしました。「元気でいてくれたらそれでよし」という言葉が胸に響きます。

しばらく前、ふとしたことから、バケットリスト(生きているうちに成し遂げたいことのリスト)を書いてみようと思いたちました。
私はあれもこれも興味をもっては、石橋を叩くどころか、あることも気づかずどんどん進んでいくタイプ。
小さなことでもいいから100個ぐらいかいてみよう!と意気揚々とノートに向かいました。ポンポンとやりたい事がでてきてテンポ良く書き始めましたが、次第にスピードダウン。今の私の成し遂げたい事は30個ぐらいでした。

そのなかのひとつに、障がい若者の居場所づくりの場所をみつける、というのがありました。
居場所づくりをやりたいと思ったのは、短大を卒業してから福祉作業所で働いていた時に、同じ歳の利用者さんが、家と作業所だけの往復になってしまうことに違和感を感じたのがきっかけでした。
新型コロナウィルスがでてきてから、今までの当たり前が変化したということはあるものの、十八歳から二十歳といえば大人の仲間入り。多くの人が、親元から離れて更に外の世界が広がっていく時期のように思います。私は派手な場所が苦手でひとりが好きなインドア派。それでも、たまには仕事帰りに友達とご飯を食べたり、ウインドーショッピングをしたりと、いくつかの選択肢がありました。けれど、当時の彼らや彼女らには、家に帰る以外に選択肢がないという印象でした。
選択肢が増えたらいいなという思いで、個人的に声をかけ、女子会と称して仕事終わりに利用者さんとお茶をして帰ったり、リフレッシュデイと称して、彼らの行きたいところへ行ったりしましたが、これは私の自己満足ではあるまいか、スタッフの申し出に忖度してスケジュールとしてこなしてくれているだけではないかという葛藤もありました。

結婚を機に、一旦その職場からは離れましたが、子どもを産んでまた福祉の現場に戻りました。あれから約20年。障がい若者をとりまく環境は、さほど変わっていないと感じました。そこで、作業所の帰りにふらっと寄れるような場所、作業所のスタッフも家族もいない、自分がそのままで居られる若者の居場所づくりをしたいと思ったのです。

まずは月1回、そんな私の思いに賛同してくれる人の大きなお家のリビングや音楽教室を借りて、子ども食堂ならぬ、若者食堂のようなことを始めました。ところが常連さんができてきたころに、コロナウィルスが蔓延しだしたのです。何ものかわからないウィルスの出現、緊急事態が発令されて飲食店が自粛を強いられるなか、若者食堂から陽性者が出ると、場所を借りているたくさんの人に迷惑がかかってしまうのではという恐れもあり、若者食堂はお休みすることにしました。
実質の無期限の休止。世の中の様子を見て、いつ再開できるかと考えながら、若者食堂をするための専用の場所を見つけたいという思いがどんどんと膨らんでいったのです。

そんな思いを持ちながら、バケットリストに書いたことを夫に伝えると、「不動産屋に行ってみれば?」とあっさりと言われました。そして、「いやいや、すぐってわけじゃないねん。子どもの受験のこともあるし、場所を借りるってなれば毎月の家賃のこともあるし、いつかできたらいいなと思って。」と言う私に、夫は、「我ら、もう人生の折り返しやで。」と言ったのです。その言葉に、「ほんまや!」と大声を張り上げてしまいました。

改めてその30個を眺めてみると、自分が思っていたタイプとはうらはら、あれこれと理由をつけて実行していないことがあるのに気付きました。

子どもの受験も、毎月の家賃の心配も、やらないための言い訳のつもりは全くありませんでした。受験が終わったら、家賃を支払える目処がたったら、と考えることは人生設計において大切なことであるとも思います。
自分が動かなければいつまでもいつかはやってこない、というようなよく聞く言葉も、石橋を叩かない私には無縁のようにも感じていました。

けれど、実際にはこうやって、気づかず自分に言い訳をして、安心できるところにいるのだと思ったのです。「人生の折り返し」と言う言葉でスイッチが入った私は、早速不動産屋さんを周りました。
二軒目で思わぬご縁が繋がり、普段は賃貸情報を出してないけれど、そんな人に使ってもらいたいと言ってくださる大家さんに出会い、部屋を借りられることになりました。受験を控えた息子には、「お母さん動いたんやな。おれも、やるわ!」と彼なりのエールをもらい、家賃については、若者食堂の活動をメーンに、家賃分だけ働いてくれたらOK!と言ってくださる人も現れました。
これがあるから今はできない、ということを一旦傍に置いて動いてみることで、新しいご縁が繋がったこと、家族や身近な人から思わぬ応援をもらえることを実感しました。

バケットリストには、あと29個、成し遂げたいことが書かれています。まだまだ増えるかもしれません。人生折り返し、これからの後半戦もいきいきと過ごしていきたいと思います。

では、この辺で羽木さんにタスキを繋ぎます。

大阪府/田中千世子





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