ハートフルコーチの泣き笑い日記

日々の発見やつぶやきなど。

ピンチが作った信頼の土台


兵庫の羽木です。
田中さんの「これがあるから今はできない、ということを一旦傍に置いて動いてみる」。石橋をたたいても渡らない私には耳が痛く、でも胸に響く言葉でした。私もまずはバケットリストを書いてみようかなと思いました。

今回は、娘のことで心に残っているお話を書いてみたいと思います。今はもう社会に出ている娘がまだ中学1年の時のことです。
娘は明るく活発、私立中学1年生というまったく新しい環境でも、友だち作りにもさほど苦労もせず、クラスでも部活でもすぐに仲の良い友だちができて、毎日楽しく通学していました。ところが3学期になってすぐのある日、帰ってきた娘がぼろぼろ涙を流して泣きだしました。聴くと、他のグループで外された子をかわいそうに思い、自分の仲良し3人グループに仲間に入れてあげたら、その子が他の二人に娘と喋らないように言って娘を外し始めたというのです。よくある女の子のもめごとにはあまり巻き込まれる子ではなかっただけに、ショックだったのかひどい落ち込みようでした。

その頃は、息子の中学受験の本番1週間前で、前後して息子はその後2度手術することになるような怪我もして、私の頭も気持ちも200パーセント息子に向かっていたところに起きた娘のこの案件、一瞬「なんで今? わーどうしよう! 他のことは考えられないよ!」という気持ちがよぎりました。でも、娘の何とも言えない表情を見て、「これはほっといてはいけないな」と思い直して、ゆっくり話を聴き、向き合う覚悟を決めました。

話を聞き始めて、「はあ?なんで!」と、外してきた子に啖呵切りたいくらいの怒りの衝動にかられたり、逆に明日からどうしようという娘の不安げな顔に、大丈夫かなと心配でいっぱいになったり。でも、あまりにボロボロな娘の様子に、ここは私がしっかりしなければと思う自分がいました。
ただ、学校の話も普段からよく話してくれる子だったので、交友関係も娘の友だちとの付き合い方も、お友だちの性格などもある程度わかっていたせいか、話を聞くうちに、私の中の怒りがある確信に変わっていきました。この子は大丈夫なはずと。それで、「大丈夫、絶対2人は戻ってくるから」と励まし、娘の不安や憤りや悲しみに耳を傾け、共感し、翌日からも、帰宅する娘の様子に気を配り寄り添うことができました。

とはいえ、娘が登校した後など、なぜ仲の良かった2人までそうなるのか理解できず、「もう他の子と仲良くしたらええやん」と中1相手に憤慨したり、いやいや 娘は2人が大好きなんだから戻ってきてくれますようにと祈ったり、今頃学校でどうしているんだろうと、全然内心は穏やかではありませんでした。
仲良しの1人のお母さんは顔見知りになっていたので、戻ってくれるよう電話をかけてみようか、でもまだそんなに親しいわけではないしと電話の前をうろうろしたり、担任の先生に言う?など、いろんなことを考え、迷いに迷いました。

でも、中学生になって親が介入するのはどうかという考えが頭にあったことと、娘はまだ表情は暗いものの、学校で誰ともつるまない男前な女の子と過ごし始めたので、「ん? 思ったのと違う展開ではあるけど、やはりこの子は大丈夫かも」と、もう少し成り行きを見守ることにして、友だちママにも先生にも電話はしませんでした。
結局、思ったより早く、4.5日で何時もの明るい顔で帰宅して、「ママの言うとおりだった、2人とも戻ってきた!」となりました。

その後、娘たちは4人ともみなそれぞれに成長して、中高と仲良く過ごし、男前な女の子も含めて今でも大切な友だちになっています。
当時は「ああよかった、まだまだみなが未熟な中1生だもの」で終わり、すぐに私の頭の中はもともとの案件、息子の受験と怪我に戻りました。

時が経ち、ハートフルコミュニケーションで子育てを学んだ今、あらためて、あの時のことを振り返るといろんなことが見えてきました。
あの時娘の友だちのママに電話しなくてよかったなとわかります。今では母娘共に仲のいいママで、当時でも彼女なら相談すればきっと力になってくれたとは思いますが、私が手助けしたからではなく、その時の娘がよくて2人が戻ってきたということが大切で、娘の自信になったのかなと感じます。もちろん、子どもの様子を見て、いじめなど、介入しなければいけない事案があることを頭の隅におきながらも、できるだけ手を出さないで見守ることが子どもの成長につながると感じる経験でした。

今なら、もっと確信をもって電話をしないことを選んで成長を見守れたと思い、当時の自分が恥ずかしく感じます。でも、あなたなら絶対大丈夫だからという姿勢で娘に対応することができことや、私に気持ちの余裕がないなかでもしっかり寄り添うことができたのも、よかったと胸をなでおろします。もし、息子の受験に気を取られ、娘に寄り添っていなかったら、信頼を失っていたかもしれません。今でもこの時のことが娘との信頼関係の土台の一つになっているように感じます。

今は、社会人となり、娘は当時よりずっと逞しく成長しました。でも、社会に出ればいい日もあれば、何かあったんだろうなと感じる酷い顔をして帰ってくる日もあります。
私に「ねえ聞いて」と、とうとうと喋ることもあるし、友だちや先輩に聞いてもらうこともあるようです。それでも、たまには母に聞いてもらおうと思ってくれる関係でいられるのは、こんな一つ一つの積み重ねなのかなと思いました。
娘が、疲れた顔で深いため息をつきながら何も言わずに考え事をしていたり、「もう辞めようかな!」と涙ぐんだりしながらも、いろんな思いを自分なりに昇華して翌朝には「行ってくる!」と、また仕事に出かけていく様子を見守りながら、あなたなら大丈夫と心の中でエールを送る母です。

それでは、この辺で、山本さんにタスキを渡したいと思います。

兵庫県/羽木絵里 





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