ハートフルコーチの泣き笑い日記

日々の発見やつぶやきなど。

べきを手放して、得られたもの


息子さんが、「心配をかけたくなかったから。」と、自分の想いを伝えられたのは、山本さんが学び続けられ、学んだことを実践してこられたからこそだと思いました。私も、自分のペースで学び続けたいと思います。
今回から、リレーブログのお仲間に加えて頂きました。
大阪の安村です。2年間、どうぞよろしくお願い致します。

我が家の定番料理、牛肉のしぐれ煮を作る時、時々思い出す姑とのエピソードを書きたいと思います。
長男を出産する時に、産後、実家を頼らないで、身の回りのことは自分でしようと思っていました。頼らないように言われたことは一度もありませんでしたが、母も姉も里帰りはしなかったので、自分もそうするもの。そうしたいと。自宅なら子どもと二人の時は、誰にも気を遣わなくて済むから、いっそ、その方が気楽だと考えていました。

産後、退院したら自宅に帰るつもりだと夫から聞いた姑が、絶対大変だから、里に帰らないなら家に来なさい。と言っているから、そうしてはどうか?と、夫に言われました。炊事、洗濯は私がするから、赤ちゃんのことと自分のことをしていればいいと言ってくれているからと・・・。
姑が本当にそう思って、心配して言ってくれたことは頭では、分かっていました。
でも、私は、絶対に気を遣ってしまう。関係が悪いわけではなかったけれど、盆や正月に一緒に食事をしたりするくらいで、お客様家族というか、そこまで親密にもなれてはいませんでした。

それに、子どもの頃に聞くとはなしに聞いていた大正、昭和一桁生まれの伯母たちの嫁姑のあれこれから、私の中にあるべき嫁像があったのです。
産後だからといって、姑が料理をしていれば、手伝わなくてはと思って手伝ってしまうし、授乳や赤ちゃんの世話が大変だからと任せっきりになんてできない。と思って、何度か、角が立たないようにと思いながら断りました。

自宅に帰りたいという気持ちは強かったのですが、やり取りをする中で、産後は本当に大変だからと、心配してくれていることと、初孫とせめて一月でも一緒に居たいと思っているのだろうということも感じられ、結局、退院後は夫の実家に。
私は、お産も軽く、産後もいたって元気だったので余計に姑に負担をかけないようにちゃんとしないと。と、気を張ってしまいました。日中は横にならず、子どもが寝ている時は家事を手伝っていました。
任せていいと言ってくれるのに、素直に甘えられず、夜は授乳で何度も起きるし、頻繁におむつも変える。段々、肉体的にもしんどくなっていきました。
自宅だったら気を遣わずに自分の思うように出来たのに、夫の実家の方がしんどいという想いに捉われて、精神的にも自分で自分を追い込んでしまいました。
一か月の滞在の予定でしたが、二週間が限界。でも、姑に逆らうように思えて自分からは伝えられず、夫に、「しんどいから、もう自宅に帰りたい。」とお願いしました。

希望どおり、帰宅して数日後。
姑が訪ねてきたのです。
孫をみたい、抱きたいだろうと思って、招き入れようとしましたが、玄関先で「いいの。いいの。ご飯作るのも大変だろうから、お弁当を作って来たの」と、一度には食べきれない量のいろんな種類のおかずを詰めて持って来てくれていました。
姑に申し訳なく、傷つけてしまった。と後悔しました。
自宅に帰り、落ち着いてきたこともあり、どうして、何もしなくていいと言ってくれるのに、素直に甘えようとしなかったのかと、自分を責めるなかで、嫁はこうあるべき、自分のこうあるべき。(姑を気遣うべき。甘えないで自分や子どものことは自分でするべき)にこだわり過ぎていたことに、遅ればせながら気づいたのです。
そのお弁当に入っていたのが、牛肉のしぐれ煮でした。甘じょっぱいしぐれ煮は、色んな意味で沁みました。

子どもを連れて遊びに行ったときに、甘えきれずに自宅に戻って申し訳なく思っていることを伝えました。
姑は、「一人で、ちゃんとやれているのならそれでよかった。」と、サラっと流してくれました。その時の姑の様子から何となく、頑固な私のことを少し許容してもらえたようにも感じて、傷つけて申し訳なかったけれど、お互いが気を遣わず思ったことを話せる関係を作っていけるようにどうしたらいいかを考えていこうと思えたのです。

その時に、しぐれ煮の作り方も教えてもらいました。
他のおかずの作り方も教えてもらいましたが、しぐれ煮は、家族が好きで、リピートしていくうちに、きのこが苦手な子どもに合わせてしめじを抜いたりと少し変えながら、我が家の定番料理になっていったのです。

それから、姑に負担をかけないことを考えるのではなく、どうすることが、姑にとって嬉しいことなのかを考えるようになりました。「何かをしてあげよう」と、言われた時、「要りません」というより、「有難うございます」と受け取ろうと。
実際、「有難うございます」と、受け取ると、姑の表情も柔らかい感じに。断るより、受け取る方がお互いに気持ちがいいと感じることが何度もありました。

そのうちに、あまり意識しないで甘えられるようになったのです。一緒に食事をした後の、後片付けも、「私が、やっておくからいいよ」と言われたら、「すみません。有難うございます」と素直にお願いできるようになりました。
私が、姑の好意を受け取れるようになったことを感じてくれていたのか、次男の出産の時に、
「上の子の世話もあるだろうから、出産の時に手伝いに行こうか?」と聞いてくれたのです。「お願いします」と、答えていました。
次男の産後は、次男が寝ている合間に、たわいないおしゃべりをしながら庭で一緒に草抜きをしたり、一月の滞在の後、姑が帰っていくのを心寂しく思うくらい、いい時間を過ごしました。
自分のこうあるべきにこだわり過ぎないようになって、いい関係になれたように思います。

いろんな「べき」を持っている自分も認めながら、その「べき」で相手も自分も心地よくいられるのか? もしかしたら、手放した方がいいべきなのか? 考える余裕を持ちたいと思います。
そのためには、まずは、何かあったら、一旦止まって考えてみる。 ・・・止まるのは難しいのですが、心掛けたいと思います。
このあたりで、岩田さんにバトンを渡します。

大阪府/安村典子  





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