ハートフルコーチの泣き笑い日記

日々の発見やつぶやきなど。

どんな時も、私は私


どんな時も、私は私

初めてバトンを受け取ります。埼玉の岩田です。
安村さんとお姑さんを繋いだ牛肉のしぐれ煮。お二人の関係がゆっくりと時間をかけてより深くなっていく様子に心が温かくなりました。

夫が亡くなって6年。昨年7回忌を無事に済ませることができました。
当時の悲しみや苦しみは、時の流れとともに共に過ごした楽しい思い出に変わり始めました。
亡くなった当時、私は今までの夫への自分の行いが本当にそれで良かったのかどうか罪悪感でいっぱいの日々でした。誰かに話して、そんなこと誰にでもあることだよと慰めてもらうことも自分には許すことができませんでした。惨めさや情けなさ、不完全な自分を見つめることも、仏壇に手を合わせることもできず、居心地の悪い状態が何年も続きました。
夫の介護中には、子どもたちとほとんど関わってあげられず、そこにも申し訳ない気持ちが常につきまとっていました。

そんななかで、私の目を覚ましてくれたのは娘でした。
6年前に小学生だった娘が今は高校生になりました。その間、私は今までいちばんやりたかった仕事に就くために子どもを家に残し夜遅くまで学びに出掛けました。当時は、自分のやりたいことを優先したいと思っていた私は、子どものことを後回しにすることが多くありました。

娘の中学校卒業式では当然のように仕事を優先するつもりで話していました。
「卒業式に出てくれないってどういうこと?」「考えられない」「もっと関心もってよ!」と娘が訴えてきました。
今まで私が何をしていても、黙っていた娘が初めてこんなことを言い出したので正直驚きました。しかし私は食い下がり、あーだこうだと理由を並べると「自分の子どもよりそんなに仕事が大事なの?」と言われてしまいました。
よくよく考えて見れば、仕事はパートのようなもの。私自身困ることは何もなく、職場もいつでも休んで良い環境であるはずなのに、人に迷惑をかける・・・社会人になってからずっとそう思っていました。
「もっと関心をもって!」という言葉を聞いて、娘が求めてくれている「これではいけない」と、初めて娘と向き合おうと思いました。
卒業式はコロナの影響で、卒業生と保護者のみで行われました。とても風の強い日だったのでみんなは名残惜しみながらも早々に帰ってしまいましたが、娘と二人で誰もいなくなった校舎に最後まで残り写真を撮りました。とても満足そうにしている娘を見て私も参加して良かったと思いました。

そして高校生になり、新しいお友達ができました。
ある日、友達を呼んでお泊まり会をしたいというのです。その時私の頭をよぎったのは、人を招くには家の掃除と食事の支度が大変!ということでした。
それまでも何度か友達が泊まりに来たことはあったのですが、子どもたちが喜ぶならとストレスを抱えながらもせっせと役割をこなしていました。
夫の病気療養中は玄米食や野菜中心の食生活、そして農薬や食品添加物などをできるだけ排除した生活を心がけていました。しかし夫が亡くなった後には張り詰めた糸が切れたように食事を作ることが億劫になり、家事への意欲を取り戻すことができませんでした。
娘の願いを叶えてあげたい気持ちと、自分のやることが増えて大変という思いが交錯していました。

いよいよお泊まり会の前日。仕事帰りに食材を調達してこれから準備を始めようと台所に立つと、
「パジャマを買いに行きたいから、店まで送ってくれない?」
という何気ない娘の発言に、自分の苦労を分かってくれない娘に怒りが頂点に達しました。
「ママだって大変なんだからね!」
すると、常々自分でやろうとする娘に手出し、口出しするのに、こんな時に大変さを強調する私に限界がきたのでしょう。娘が、
「なにもしなくていいって言ってるじゃん、一人で買いに行ってくるからもういい!」と出て行ってしまいました。

ふと、出ていく前に涙を溜めうつむいている姿がとても淋しそうに見えました。それは自分が今まで娘と向き合ってこなかったことで、そう感じたのかもしれません。食事や掃除をきちんとしたいと思っているのは私です。それは家事を全うにできないなんて、母として失格なのではないかと思っていたからです。
「ダメなママでごめん。ちゃんと帰ってきてね」とLINEすると、すぐに電話がかかってきて、
「どうしたの?そんなこと言わないで、すぐ帰るね」と優しい言葉が返ってきました。
それまで頑張り続けることが良いことだと信じてきました。ですが、頑張りたいために、とても疲れていたように思います。
娘は決して頑張るお母さんではなく、娘がやりたいことを一緒に喜んでくれるお母さんを望んでいたのだと思いました。
そして娘の大切なお友達を私が快く受け入れてあげることが、娘にとってどんなに嬉しいことだろうと考えたとき、ちゃんとした物でなくていいからありのままの姿で心から歓迎しようと思えました。

頑張っているときは、自分が頑張っていることにすら気付きませんでしたが、娘はそんな私を黙って見守り続けていてくれました。
夫の介護中には、頑張ることを諦められずにいましたが、娘はその時々に私をのんびり屋で不器用な自分を思い出すよう伝えてくれた、
かけがえのない大切な存在だったのだと分かりました。
今、私はゆったりと娘との時間を楽しめるようになりました。母としての成長を助けてくれる娘に感謝の気持ちを抱きながら、次の渡海さんにバトンを渡したいと思います。

埼玉県/岩田元子 





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