ハートフルコーチの泣き笑い日記

日々の発見やつぶやきなど。

今この瞬間を大切に


初めてバトンを受け取り、緊張と共にワクワクしている、渡海です。
岩田さんの「子供が母としての成長を助けてくれる」、本当にそうだなあと思いました。

梅の香がほんのり漂い、見上げると紅白の梅の花が咲き誇り、春の訪れを感じる今日この頃。 ちょうど一年前、中3だった息子は高校受験を終えました。
第一志望の学校に受かり、家族で大喜びして盛大にお祝いはしたものの・・・・・・。 明るい未来への希望とは裏腹に、私を覆っていた気持ちは『不安と心配』でした。
「まず、朝同じ時間に起きられるの?」
「朝早く電車に乗り、1時間かけて毎日通えるの?」
「単位取得が厳しく進級にシビアな高専。同級生の二割が留年・退学、息子は大丈夫?」

彼は、中学受験をきっかけに、小学6年から中学3年の間、学校に安定して通うことができません でした。集団生活に対する不適応と、起立性調節障害に苦しみ、朝から学校に安定して行けた日 は、数える位の中学生活でした。
そんな彼だったので、単位取得の厳しい5年制の高専に遅刻せず、毎日1時間かけて通うことができるのか? 厳しいと聞く授業の単位をとり、進級できるのか?・・・・と、とても不安で心配だったのです。

あれから、一年。
自らの足で力強く歩みだし、高校生活を満喫する彼が、今、目の前にいます。
自分で考え、学校生活を送る為の体調管理をし、休む時は休み、やるべきことは計画を立て頑張る。居心地の良い友達も出来、困った時は適切な人を選び相談し、自分で自分の毎日に責任を持ちながら生き生きと、まるで、サナギが蝶になったかのように、軽やかに過ごしています。

彼が立ち止まり動けなくなるまで、私は土足で彼の人生に踏み入り、彼のためと勘違いして、失敗させず、困らせず、選ばせずの、過干渉の元に「彼の人生」を「私」が取り上げていました。不適応を起こし不安定だった4年間は、彼が “自分の人生を自分の物として取り戻す” ための、再生の4年間でした。
私はこの間、彼への見る目を変えるためにも、ただひたすらに彼の存在に感 謝し、彼の些細なプラスの行動を見つけ伝え続けました。「生まれてきてくれてありがとう」「お はようの声が聞けて嬉しい」「朝食を食べられた」「テストを受ける力がある」「パパと将棋を 楽しむ力がある」「重い荷物を持って学校に行けたね」と。『あなたの存在そのものが私たちの喜びである』『あなたにはこんなに力が沢山あるんだよ、だから大丈夫』という思いが彼に届くことを、願って。

そして、この中学3年で迎えた高校受験が、彼にとって重要な時間であり、転機となりました。
私たち親が受験に際して出来た事は、彼が安心して受験を迎えられるよう、プラスの声掛けと共に 安心できる環境を整え、情報収集し、視覚化して、一緒に将来を考え、相談に乗る事でした。
『学力的にも無理なく入れる、普通科の地元の高校に進学するのか?』
『入試が厳しく、遠距離になっても、得意・好きを生かせる高等専門学校に進学するのか?』
一緒に、学校見学に行き、卒業生に話を聞き、将来の就職や進路を調べました。
重工業に籍を置く主人も、機械工学に興味のある彼に、物作りの現場の話、ロケットやJAXAの話など実際の働き手の観点からリアルに伝えてくれました。

それが、彼自身の ”今の学び”が、どう自分の力となり、 どう自分の未来に繋がるのかを、現実のものとして受け止めるきっかけとなりました。そして、「航空機やロケット・車などの、物作りを学びたい」と、高専受験を決ました。この過程をそば で見ていて、彼が未来を自分事とし具体的に体感したことで、彼の時間が、モノクロの静止画から 鮮やかな映像となり動き出したように感じました。
心身共に苦しんだ後の、この中学3年生の受験期。彼が自分の人生に向き合い、深く対峙し、自分の人生に責任を持つ選択をすること。この受験は、自分の足で自分の人生を歩み始めるための、貴重な体験であり人生の分岐点だと感じ、私たちは彼の選択を尊重し見守ることを決めました。

それでも、毎日フラフラと『頭痛い・・・』と昼過ぎに起きてくる受験生の息子を目の前にし、 「体調悪い朝も、車で送ってあげられるし、地元の高校にしたら?」とか、「体力もないし、留年退学でドキドキするくらいなら、学力に余裕のある普通科が、安心」と、 私の中の心配や不安の言葉を、以前の私なら彼にかけていたでしょう。
彼の四年間の自己肯定の 再構築の過程を見てきたので、今なら彼の責任において失敗しても大丈夫。失敗してもそれが成長 につながる。私たち親は結果を全力で受け止めよう覚悟できたのだと思います。

親ができることは『環境を整え・信じて・待って・任せる事』。「子どもの人生」を子ども自身に返し てあげれば、自分で、考え・悩み・選び・困り・試行錯誤することで、「自分の人生」を歩き出せ る。子どもは、何よりも自分の足で歩きたがっている。子どもは、全て持っているから。
このことは、彼が苦しみと引き換えに、私達親に教えてくれた大切なことでした。 身を持って、私たちにそのことを教えてくれた彼に、今とても感謝しています。

ですが、まだ私の心の奥底には、今この瞬間も、覗き込むと足元からのまれそうな、恐怖とも言える不安があるのも事実です。なぜなら不適応を起こしていた四年の間、息子は、押し寄せる波のように安定と不安定を繰り返していたので、「トンネルを抜けた」と思った矢先の暗闇に投げ出さ れた感覚が、なお蘇ってきて怖くなるからです。

しかし、未来を怖がる自分がいることを、事実、として受け止めた上で、「今、私ができることは何なのか? どうすることが、より良い未来を作るのか?」、 恐れずに自分と向き合い”今”と向き合った時に、 大きなことに気付きました!
私が怖がっていた未来は、私の想像でしかありません。一方、何度も波に飲み込まれ、暗闇に包まれた彼は、”今”こうして立ち上がり、今この瞬間も前を向き明るく生きている。彼は何度でも立ち上がれる。この確かな明るい現実をも、私の不安が見えなくしてしまっているんだと。

そう考えた時に浮かんだのが、『”今”ある事に感謝しよう』『”今”この瞬間を笑顔で、後悔のない一日にしよう』『目の前の家族に愛を伝え”今”を大切に過ごそう』ということです。
これらの意志ある行動の積み重ねが、私を未知の不安や恐れから解放し、より良い未来を現実に作って行くんだと、 思えました。

自分は何を大切にしたいのか、そのために自分が『今』何をすべきなのか。 そのために私は、学び続け、考え続け、この瞬間を大切に生きようと思います。  
では、この辺で落合さんに、バトンを繋ぎたいと思います。

兵庫県/渡海恵子  







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