ハートフルコーチの泣き笑い日記

日々の発見やつぶやきなど。

凹凸のある私を受け入れられたのは・・・


思春期の落合さんとお母様がそれぞれの現実に向き合いながら過ごされていた時期を経て、感謝できる今を迎えられていることに、温かい気持ちになりました。

初めまして。落合さんからバトンを受け取ったカナダのチャウです。
これまでの海外子育てを通じての私の変化について書いてみたいと思います。

私がカナダに移住したのはちょうど14年前の今頃、中国系カナダ人の夫と2歳と0歳だった息子たちを連れて、夫の故郷カナダに家族4人で移住しました。半ば夢見心地でOKを出したのは若気の至りでもありました。その後どんな苦労が待っていたか、その時には知る由もありませんでした。

移住当初、子どもたち二人はオムツに授乳、トイレットトレーニングやお昼寝が必要で、まだ子ども中心の生活をせざるを得ない年齢でした。
マイナス20℃以下になる冬の寒さや積雪のため外へ出ていくのが億劫になりがちで、新生活に慣れるのは大変でした。夫は移住後の職探しに奔走していたので、子育て、買い出し、食事作りなどは私が担当に。移民のための英語教室に二人を連れていくなど、私ひとりで身軽に動けない海外生活の始まりでした。
また、言葉の面でも伝わらないことが続き、勝手の異なる海外暮らしにイライラが募っていきました。人とスムーズにコミュニケーションできない自分が情けなくて、職もない、社会と接点もない、子育てだけしている自分に対して自己価値が見出せなくなっていきました。

自分がそんな状態だったので、子どもの日々の要求や甘えを受け入れる心の余裕がなく、毎晩夜泣きする長男に「もう、どうしてなの〜!」と怒鳴ったり、食べ物の好き嫌いや子どもの行動に何かとダメ出ししていました。「私は自分のやりたいことも我慢してこんなに頑張っているのに」「辛い状況を分かってほしい」という自分自身の気持ちのはけ口が子どもに向かってしまっていたのだと思います。

特に長男は日本にいた頃から夜泣きやイヤイヤが多く、公園に連れて行っても一人で石ころを握りしめて遊び、同年代の子どもたちに興味を示さない子どもでした。最初の子というのはどの親にとっても初めてのことだらけですが、私にとって長男の行動や性格は本当に理解に苦しむことばかりでした。
2歳違いの次男は夜泣きもせず、好き嫌いもなし、まわりの子と仲良く遊べるなど、「この違いは一体何?」というほどでした。なので、私は次第に長男を「繊細で扱いにくい子」、次男は「おおらかで一緒にいて楽しい子」というイメージで見始めました。夫も長男をよく𠮟りつけていましたし、次男のことをeasy-going guyと呼んでいたので、夫婦そろって長男と次男をそのような目で見ていたのだと思います。

海外生活が4年経ち末っ子が生まれると、私の関心が新生児育児へと向かい、息子たち二人との関わりが希薄になっていきました。もちろん、精いっぱい日々のお世話をしているのですが、忙しさにかまけて彼らの心に寄り添うことができずにいました。
日本語保持のために、日本語教室に通わせ、ワークシートを学校帰りの子どもにやらせるなど、「母親として子供にすべきことをしなければ」「日本人として恥ずかしくないように」「ちゃんと育てなきゃ」と、自分の思うあたり前や常識を子どもに教えていました。自分が言葉の壁や社会に馴染めないのを棚に上げて、自信のある母親を演じていたのかもしれません。

この私の在り方が「完全に間違っていた!」と気づかされたのが、長男が10歳になった2015年の日本帰国時でした。普段おとなしかった長男が外出先でパニックを起こしたり、暴力をふるったりし始めたのです。
日本帰国に際して付けさせていた旅日記に私に対する「憎しみ」の言葉が書き連ねられていて、目を疑いました。最初は本当に私に対して?と信じられなかったのですが、次第に「なんてことをしてしまったんだ」とこれまでの長男への関わり方に後悔の気持ちで一杯になりました。同時に、今私が変わらなかったら取り返しがつかなくなる、そんな悲しいのはイヤだと強く思いました。

そこから私はまず「自分が正しい」という見方を一旦脇におき、子どもがどう感じ、何を考えているかを聴き、待つ姿勢に変えていきました。
長男は牛乳をこぼしたり、自分の食べたいものに妹が先に手を出したなど、思うようにいかなかったり失敗したと思うと、怒って壁を蹴ったり、頭をぶつけたり、毛布の下に隠れて閉じ籠るなどしていました。以前ならそれに反応してこっちも怒り返してましたが、そういう行動を見ても慌てず、頃合いを見て、穏やかに「今どういう気持ち?」「大丈夫だよ」と基本、全肯定の姿勢で彼の気持ちに寄り添いました。
それで彼の行動が劇的に変化したわけではありませんが、気長に怒りや悲しみの爆発を受け止めることを繰り返していきました。日々アップダウンはありましたが、1年2年と経つうちに彼の爆発は減り、長男との関係も回復していきました。

この頃から私自身も、自分の思うようにいかないことや失敗談を長男に話すようになりました。ようやくいろいろな意味で張りつめていた糸が緩んでいきました。

実は、小さい頃の私は長男にそっくりでした。そして、「しっかり者」「みんなと仲良くできる子」と見られようと、本来の自分に蓋をして、まわりに合わせて生きてきました。
ところが、カナダに移住したことで、「人と同じようにできないダメな自分」をトコトン思い知らされました。そして「繊細で扱いにくい子」と思っていた長男と向き合ううちに、本来の自分に蓋をして生きる息苦しさに気がつきました。長男の「悔しさ、ありのままの自分を親に認められない思い」のようなものが、自分にもあったことを再認識しました。

ずっと、凸凹がある自分らしさを認めて欲しいと思っていた私。長男の変化によって私自身が励まされ、「ありのままの自分を認めて信じてくれる環境さえあれば、凸凹のまま輝ける」という思いが確信となっていきました。

ハイスクールに通う息子たちとしっかり者の9歳娘、そして夫と私の家族5人でのカナダ暮らしも、ようやく根付き始めたのかなと思う今日この頃です。

お読みいただきありがとうございました。それではこの辺で、バトンを小林さんに託します。

カナダ/チャウあつよ  







No. PASS