ハートフルコーチの泣き笑い日記

日々の発見やつぶやきなど。

「小食さん」の子育て 終わってみて今思うこと


★ 第10回 オンライン・ホッとカフェのご案内 ★
【日時】2022年5月7日(土)10〜12時
【参加費】無料
【方法】オンライン(ZOOMを使用します)
【お申し込み】

https://ssl.form-mailer.jp/fms/0760cb20739594


菅原裕子や執筆コーチたちと、「思春期以降の親の役割」について気軽に語り合いませんか?
好評の日記 「愛することの正体、発見?!」を話の糸口に、読んで感じたことや知りたくなったことをおしゃべりします。
おみやげに、軽やかな気持ちや関わり方のヒントをお持ち帰りいただけます。
 ※ 前回までのカフェの様子⇒こちら
★★★

兵庫の羽木です。

田中さんの投稿を読んで、自分がいいと思うことを無意識に押し付けていることは、子どもに対してだけじゃないな、気を付けなくては、とあらためて思いました。

今回は小食な子の子育てについて、書いてみたいと思います。
息子は、いつも成長曲線の下限を下回る小柄でやせっぽちな子どもでした。
幼い頃は未熟児貧血や小児喘息もあり、なんとかもっと大きく丈夫に育てなければ。そのためにもちゃんと食べてほしいという気持ちがありました。でも、本当にちょっとしか食べませんでした。食器を工夫したり、好きな素材でいろんなメニューを考えました。お弁当にして床やベランダで食べるなど楽しく食べる工夫をしてみたり、おやつを栄養のあるものにしてみたり、16時を過ぎたら間食は禁止、できるだけ外で遊んでお腹を空かせるなどありとあらゆることを試みました。でも、うまくはいきませんでした。

思えば、この時期の悩ましさは、根底には丈夫に育ってほしいという本来の目的があったものの、「せっかく頑張って作ったのに食べてくれない」「出されたものは全部食べるべき」「健康で逞しい子に育てるのが親の責任」という私の中にある「こうあらねば」や親の都合からくるものが多かったように思います。

小学生になっても相変わらず小食でした。ただ、家族でよく行くアスレチックや牧場などでも元気に飛び回り、放課後は友だちと外でよく遊んでいました。なので、悩みながらも、まあ元気ならいいかと、母から受け継いだ栄養バランスのいい食事を作ることは心がけていたものの、だんだん気にしなくなっていました。
よく言われる「中学生になったら食べるようになるよ」という言葉に、きっとそうなんだと、なんとなく思っていたように思います。実際、私の周りの小食さんのほとんどは、中学高校生になると驚くほど食べるようになっていました。

しかし、息子は食べるようになると思っていた中学生の頃、起立性調節障害になり更に食べなくなりました。起立性調節障害とは、朝起きる時に血圧が下がり起きあがれなくなったり、具合の悪くなる、思春期に起きやすい病気で痩せている子に多いそうです。小さなお弁当でも半分残し、好物を作ってもほとんど食べなくなり、中学生になる時142センチで28キロしかなかった体重でしたが高校生になる時も160センチくらいで36キロしかなく、めまいでふらふらしていました。何を作ればいいのか途方にくれましたが、食べなくてもとにかく毎日3食作り続けました。

ちょうど、息子が私に激しく反抗していた時期になります。朝は起きられず、夜はゲームばかりしていて勉強を全くしなくなっていました。起立性貧血のことなど知らなかった最初の頃は、怠けているのだとしか思えず責めてばかりいました。でも、息子の体調不良やあまりに食べてくれない状況に、やっと息子の辛さと不安を理解し、涙が出ました。よろよろしながらも、私を見る怒りの目が忘れられません。その頃の私は、体調不良も激しい反抗も、学校でうまくいかない状況もすべて私のせい、私への天罰だとさえ感じていました。

悩んでハートフルコミュニケーションの養成講座に通い、私が息子への構いすぎな関わり方を変えていき、息子がどんどん変わり始めたのが高2の終わり。親子関係も良くなっていき、息子が自分の人生を自分でよくするために勉強を頑張り始めた頃、起立性調節障害の方も少しずつ良くなっていきました。

「食べる」。当たり前に思っていたことができなくなって、大切な子どもが健康を害して苦しんでいる。これほど辛いことはなく、もう食べて寝て元気ならいいと心底思えて、そこまでいってやっと、息子を管理して思うように動かそうとうるさく張り付いていたところから本当に離れられたのかもしれません。
思春期特有の病気なので、改善していく時期だったのかもしれませんが、とてもホッとしながら食べてくれる様子を嬉しく見ていたのを覚えています。

とはいえ、それでもまだ完全に体調が改善したわけではなかったようで、「母さんにはわからないと思うけど、今でもまだしんどいんだ。だからといって毎日寝ているわけにはいかないから、辛くても頑張ってるんだ」という言葉を聞いた時、子どもが自分から本気で頑張ろうと思った時に、頑張れる体と体力を作ってやれなかったことを申し訳なく感じました。それでも頑張る息子に、感謝と敬意と心からの応援の気持ちをもって全力でサポートしようと思いました。

おかげで大学生になり、体調も随分改善して彼は青春を謳歌することができました。息子はボランティアのサークルに入りました。積極的に参加して、良い仲間ができ、被災地に出向いて何日も体育館に泊まり込んで活動したり、地域おこしや海や山の清掃に出かけて、少しずつ体力もついていったようです。仲間も居場所も自分でみつけ、体力もつけていくんだな、と嬉しく思いました。

社会人となった息子は一人暮らし。今も超スリム。今でも1度にたくさん食べられなかったり、脂っこいものは無理だったりするようです。でも、2回に分けて食べるなど、自分で自分の体力や体と相談しながら、食べることも彼なりに工夫しているみたいです。

今年の正月、久しぶりに帰省した息子が「母さんの料理食べてたから、野菜少ないと気になるんだよね。うちって、ちゃんとしてたよね、メニュー。俺、けっこう作ってるんだよ」と言ってくれました。
息子が自分で決めて行動しながら成長していく様子を見るうちに、私のせいだと思っていた罪悪感から、頼もしく嬉しく見守っていられるよう気持ちに変わりました。これは、学んで関わり方を変えることができたおかげだと思っています。

ただ、体力がなかったり体調を崩した時などは、どこかまだ「体に関することだけは親の責任」みたいな考えが私の心をチクっと刺していました。
もし、息子が小さな頃に戻れるなら、私は食べさせることだけに必死になるのではなくて、もっと体を作ること、体力をつけることを考えるんだと思います。息子の仲良し兄弟はどこに行くにも車じゃなくて歩いていたな、年子の皆勤娘は2歳からいつも息子の乗ったベビーカーの横を走ってたな、スポーツクラブも下手でも入れればよかったのかななど、いろいろ頭に浮かびます。

それでも今の息子なら、もう、自分で体調も考え、体力をつけることも食事も考えるんだなと得心したし、息子の言葉に、食べなくても作り続けてよかったんだと、なんだか報われたような、「もう大丈夫だよ、ありがとう」って、息子に言ってもらえたような、「息子の食べること」への罪悪感から卒業できたような気持になりました。長かったなあ。(笑)

では、この辺りで山本さんにバトンを渡したいと思います。

兵庫県/羽木絵里






2022年04月25日(月) No.561 (日記)

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