ハートフルコーチの泣き笑い日記

日々の発見やつぶやきなど。

神様からの贈り物


兵庫の渡海です。
岩田さんの、可愛くて仕方がない娘さんとの時間を大切にしたいという親の気持ち、そして一緒の時間が楽しいという親の喜びが子どもに伝わることの大切さに、私も娘との時間を大切に喜びと感謝の気持ちで過ごしたいと思いました。

私にも可愛くて仕方がない小3の娘がいます。しかし数年前まで、私にとって彼女は理解できない存在で、ありのままの彼女を受け入れられないという苦しみを私は抱えていました。
何をするのもゆっくり、同年代のお友だちが当たり前にできることができず、やたらと時間がかかる、そのうえ感覚が過敏で頻繁に癇癪を起こす彼女の個性を受け入れられなかったのです。

参観日などの集団生活での様子は、マイペースに自分の世界に入り込んで集中し、指示が耳に入らず、クラスで一人違うことに没頭していました。その様子は、集団で異質の存在で、社会生活のできない駄目な子、迷惑な子。そしてその親の私は「しつけもできない駄目な親」だと周囲から見られていると感じました。彼女のまわりには、そこだけが切り取られたかのような時空間があり、漂う様に過ごす彼女のことが理解できず、イライラして逃げるように帰宅し、1人落ち込む日が参観日でした。

私は、幼い頃から、授業終了のチャイムがなる前に教室から飛び出すくらい、いつも沢山の興味深い・楽しい・やりたいことに囲まれていました。常に追い立てられる感覚があり、どれだけ要領よくより良いものを手に入れるかが大切で、日常の様々な事柄は「より良くできて当たり前」だと思っていました。そして、良いことも、悪いことも自分の責任で、何だってできる、できないのは自分の努力が足りないからだと思っていました。

そんな私が、どうやっても変えられない、自分の力で自分の思い通りにならないことが子育てでした。努力で達成できる事に最も価値があると思っていた私が、人それぞれ持って生まれた個性の輝きがあり、それは「成果やできる」ということではなく『存在そのものが尊く、かけがえのない価値あるもの』なんだと気付かせてくれたのが彼女の存在でした。

そのことに気付くまでは、どうにかして子どもたちを自分の思い通りに成長させようとしましたし、自分さえ頑張れば思い通りに子どもは育つと思っていました。できないのは努力が足りないからだと。子どもは自分の一部という感覚で、「自分と子どもは違う」という根本的なことにさえ気付かずにいました。そして自分の理想や当たり前に、子どもを変えようともがき、変わらない子どもたちを目の前にし、イライラや怒りを募らせる日々でした。特に、ゆっくり漂うような時間を過ごす彼女は理解できず、私の内から聞こえてくる声に耳を塞ぎ、聞こえない振りをしていました。でも本当は自分の心の奥底に鉛のような重苦しい感情を常に感じていました。

『娘が、可愛いと思えない。ありのままの彼女を受け入れられない』

養成講座で、この言葉を発すること、これはとても勇気のいることでした。我が子を可愛いと思えない親なんて、言語道断、ありえないし、親として失格だ!と彼女を授かるまでは思っていたからです。そして、こう思ってしまう自分は、とても情けなく、認めたくない感情でした。
でも、この自分の醜い、受け入れがたい内面の真実を、勇気を持って自己開示した瞬間が、自分自身と真に向き合い・自分が変化を始めた瞬間だったと思います。

養成講座での仲間の話を聞くこと、娘の良いところを毎日探す課題をすること、彼女の特性を学び発達について知ること、気質の違いを受け入れること、そしてセッションを受け自分と深く対話する時間を安定的に持てたことで気付きが自分のものとなり、自分の視野が広がっていきました。今まで大切だと思っていた私の価値観が、本当にそうなのか?と、意識の変化が起こり出したのです。
彼女の行動の意味を考える習慣がついてくると、「ゆっくり→丁寧・味わっている」「マイペース・迷惑を考えていない→他人軸ではなく自分軸で生きている、裏表がなく純粋」。
今まで短所だと思っていた個性は、彼女にしかない長所だと気付いていきました。

しかし、彼女の日常をありのままに受け入れることは、同時に、私の中の偏見や差別、異質への未知の恐怖心や嫌悪感、傲慢さやわがままという、一番遠ざけたいドロドロした嫌な自分を直視することでもありました。自分と対話し、逃げずに自分を認めることで、私から見える世界が変わり始めました。
それまでは私の価値観がすべてで、私の思考の世界を通しての目でしか見えなかったことが、少しづつ少しづつ彼女から見える世界が見えてきて、彼女の世界を私も感じられる様になっていきました。そして、大切にしたいと思えるもの、私の価値観にも、大きな変化が起こりました。彼女の個性を価値あるものとして、大切に扱い・接するようになると、癇癪・チックなどが減り、穏やかで愛らしい彼女がそこにいました。

流れる時間・感覚・大切に思うこと・見えている景色、「彼女から見える世界」と、「私から見える世界」は、全く別の世界であり、それぞれに違うけれど、どちらも尊い。彼女を受け入れることで今まで私が感じる事のなかった、日常の煌めきが見えてきて、沢山の「当たり前に感謝」を感じるようになりました。

彼女のありのままを受け入れた時、『彼女の存在に感謝する私』がそこにいました。
裏表がなく、どこまでも純粋で、真っ直ぐな愛を伝えてくれる彼女の存在は光であり、彼女の存在が私を照らし浄化し癒してくれているという感覚に包まれます。彼女が私たちの元にやってきてくれたことの大きな意味が、ここにあると思っています。今は感謝しかありません。私が大切にしたいことは、この彼女にしかない透き通る様な輝きを曇らさないこと。彼女が、彼女のままで、あるがままにのびやかに育つお手伝いをすることが、私たち家族の使命だと感じています。

彼女との日常は、彼女を通して、私自身の内面が鏡の様に写し出されます。
迷いや、葛藤や、不安、心配、泣くことも、とても増えました。嫌な自分を自分で自覚する、辛い作業も増えました。でも、彼女だからこそ、こんな私を許し、癒し、磨き、成長させてくれているのだと思えます。この気持ちを忘れないためにも、毎晩心を込めて『私たちの元にやってきてくれて、ありがとう』と伝え続けようと思います。

では、このへんで、バトンを落合さんに渡したいと思います。

兵庫県/渡海恵子  





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