ハートフルコーチの泣き笑い日記

日々の発見やつぶやきなど。

本心を伝える難しさ


カナダのチャウです。
落合さんの日記を読んで、私も自分の子どもたちの出産とそれを助けてくれた看護師さんや助産師さんや家族や友人、すべての人に助けられて今があるんだなと改めて思い返し、そういった幸せな思い出をたくさん持てていることに感謝の気持ちで一杯になりました。

今回は長男とのやり取りを通して、私が自分の発する言葉と思いについて気づかされたことを
書いてみます。
17歳の長男は今ハイスクール3年生。夏休み明けの9月からは最終学年である4年生になります。卒業後の進路について、学生課の説明会が開かれたり、友達同士でも話が出始めているようです。私も昨年ごろから、長男に「進路どうしたいの?」と何度か聞いてみましたが、まだあまり実感が湧いていないのか、「I don’t know」との返答ばかりが返ってきて、会話として続かない状態でした。
夫も私も学生時代に親元を離れて過ごし、一人暮らしをする大変さや楽しさを経験してきたので、子どもたちにも自立の一歩として、高校を卒業したら一人暮らしをする方がいいと夕食時の会話などで長男に話をしていました。

ただ、彼の日常を見ていると、「こんなんで一人暮らしなんてやっていけるのかしら?」とため息
交じりに思うことが多々あります。長男の生活態度を見てまだ「これならやっていけるだろう」
とは思えない気持ちと、それは母親として私の育て方が上手くなかったからだと自分を責める
ような気持ちが同居しています。
例えば、何度目覚ましをかけるように注意しても、朝なかなか一人で起きてこれないことが続き、最後は私がイライラしながら起こしてしまうというのもそのひとつです。
「鳴ったのに気が付かなかった」「目覚ましセットしたけど鳴らなかった」などとはぐらかしたような答えに対し、私は彼が起きてこれないのが毎日ではないのと、スクールバスに乗り損ねて私が車で送っていくのもイヤなので、「あ〜あ」と思いながらもギリギリで起こしてしまうということを繰り返してしまっていました。

実は、先日そのやり取りがあった際、朝ごはんを食べずに出かけようとしている彼に「学校に
ついてからシリアルとか食べる暇あるの?何か持っていく?」と声掛けすると、「ママが20分
前に起こしてくれればいいのに」と非難めいたことを言われました。
その時、「うわっ、人のせいにしてる」と内心思ってから、「起こしてあげたいのはやまやまだけど、朝起きるのは〇〇の責任だよね。だからママは〇〇が自分で起きてほしい」と言い返しました。すると、「なんで朝起きるのが僕の責任なわけ?」と一言言い残して、話を打ち切りにするべくドアを出ていきました。

そのようなやり取りをした長男と、自分でさっさと起きて準備して出ていく高1の次男を横目
に、今度は1時間遅く学校が始まる小学生の娘が自分でセットした目覚ましで起きてきました
。「あ〜あ、やっぱり長男はまだダメなのか・・」と思いながら、私はいつものように幼いころからの長男との関わりを思い出し、叱ることが多く愛着形成ができてなかったから自分で起きるように責任を教えるのも失敗したなぁ、などと考えていました。

重い気持ちのまま、起きてきた夫に、朝の長男とのやり取りをため息まじりに話しました。そ
うしたら、私の話を聞いた夫は開口いちばん、「You are lying. (君はウソをついている)」と
いうのです。なにぃ!聞き捨てならん!と思って、私がどれだけ真剣に、長男が自分で起きられるようになることが彼の「自立」の一歩として大切なのかを夫に滔々と語りました。これまでも何度も「目覚まし時計をセットするように」と言って聞かせてきたことも付け加えて。
それでも、私が「ウソを言っている」という夫の主張は変わりません。それで、心外に思いなが
らも、落ち着いた後少し考えてみました。

夫が言っている「私のウソ」とは、「起こしてあげたいのはやまやまだけど」の部分でした。英語で、「I wish I could wake you up, but …」と言ったのですが、ここがウソだと夫は言ったのでした。
たしかに夫の言うように、私は長男を起こしたいと思ってはいませんでした。なのに、「起こしてあげたいのはやまやま」と言えば、それは思っていることと言っていることが合っていません。たしかに思いと言葉にズレがあります。でも、ウソを言っているなどという意識は到底ありませんでした。しかし、とにかく私の言った言葉と思いが一致していなかったという事実には気が付きました。

さらに夫は続けました。「君はNo!と言えばいいだけ。シンプルなことだ。起こしたくないから起こさない。起きるのは自分の責任だと。ただし、起きれるようにするためにどうしたらいいかを一緒に考えるよと」。I will help you to find a solution with you. 
それを聞いて、なんとシンプルで、それでいて力強い言葉なのかとがっくり頭を垂れました。こ
の時ばかりは、夫の言ったことに白旗でした。
Noということが優しさだという夫。なかなかNoが言えない私。そうか、私は本心では違うのに、「本当は起こしてあげたいけど、起こさない」という表現をすることで、長男の幼少期の関わり方についての罪悪感を和らげたかったのかもしれないと思いました。

私は長男の幼少時代に叱ってばかりで、彼をありのままに認めてあげられなかったと彼が10歳の時に気づきました。それ以来、親をもう一度信頼してほしいという思いで、彼を受け止め、受け入れることに気を付けてきました。
なのでNoとはっきり言うことで、また親に拒絶された!という反応を引き出してしまうかもしれないと私自身が恐れていて、それを回避したいがために当たり障りなく伝えたいという思いが根底にあって、そのようなオブラートに包んだ物言いになってしまっていたのかもしれません。
過去の罪悪感や心配を引きずって、今本当に言いたいことをダイレクトに言えないことによって、「ひょっとしてママは起こしてくれるかも」なんて長男を惑わせてしまっていたのかもしれないと思い至りました。
何より、肝心な一番言いたいことは伝わっていなかったのです。自分の思っていることと、言葉にしてでてくることが逆だったなんて、しかもウソをついてる認識なんて全然なかったので、改めて自分の気持ちと言葉にもっと意識的にならなければと思った出来事でした。

後日、長男をまたギリギリに起こさなくてはならなくなった朝、私は決心して、
「起こすのはもう本当に今日で最後。朝起きるのはあなたの責任だから、これからは起きてこれなくてスクールバスに遅れたら、自分で市バスで学校に行ってね。もし起きたいのに、どうしたらいいか分からないなら、目覚ましを2個置くとか、部屋の外に置くとか、あなたが自分で起きてこられる方法を一緒に探すからね」
と本気で伝えました。そうしたら、
「朝自分で起きるってことを、シリアスに考えてなかった・・・」
と頭をかきかき起きてきて、私は拍子抜けでした。
なんだ、こっちは毎回イライラして損したわと思いました。もっと、シンプルに伝えればよかったんですね。それ以来一月ほどたちますが、自分でちゃんと朝間に合うように起きてくるようになりました。

人生には、とくに子育てには「No=受け入れられない」とはっきり親が伝えることが善であるシチュエーションは山ほどあります。言うべきNoをはっきり言わないで、オブラートに包んだ言い方をしてしまうのは、過去の至らなかった自分を言い訳にして、いい親ぶりたい心の表れでした。
過去の自分から一皮むけて成長しなければいけないのは、他でもない私の方だったなと考えさせられた出来事となりました。
本心を伝えるというのは、自分の過去の想いに囚われたり、未来の心配から言葉を発するのではなく、相手のためを本当に思っているという本気度が試されるのかなと思います。

これから私の思いと言葉が一致して、もっと本心を伝えていけるようになれば、長男もなにかとはぐらかしたりせず、本心で応えてくれるようになるのかなと思います。長男とのコミュニケーションの際だけでなく、これはきっと誰に対しても同じですね。

それでは、この辺でバトンを小林さんに渡します。

カナダ/チャウあつよ  





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