ハートフルコーチの泣き笑い日記

日々の発見やつぶやきなど。

お気に入りのリュック


★★★ 第11回 オンライン・ホッとカフェのご案内 ★★★
【日時】2022年8月27日(土)10〜12時
【参加費】無料
【方法】オンライン(ZOOMを使用します)
【お申し込み】
https://ssl.form-mailer.jp/fms/cfefe9db748100

日記を読んだ後の「もうちょっと聞きたい」「誰かと話したい 」を叶える場、それがこのホッとカフェです。
今回、話題にする日記は、6月20日掲載の 「カレーにするか、にんじんにするか」。
子どもをしつけられていないのは自分のせいと悩んだことのある方、
子どもに怒りをぶつけてど自己嫌悪になったことのある方、
子どもに任せたいのにうまくいかないという方。
菅原裕子や執筆コーチたちと語り合って、一歩前に進むヒントを持ち帰りませんか?

★★★

大阪の安村です。
「圧倒的に愛されていました」の言葉に、私は愛されたとは思っているけれどそこまでは・・・、子ども達は、どう思っているのだろうかと思いを巡らせました。

秋岡さんの素敵な話とはかけ離れた・・・、この時期になると思い出す反省エピソードを書こうと思います。
夏休み終盤、「読書感想文、どう書いたらいいか分からないから、見てくれない?」と、小1の息子から言われました。小さ頃から塾の宿題のサポートをしていたので、いつもの感じで「いいよ。」と答え、いざ、息子の感想文を読むと・・。
文末が、こんなに「です。」「ます。」ばかりだと何だか単純な感じがする。ここはどう思ったのかをもっと、伝わるように書かないと!とか、改善点ばかりに目が行ってしまい、書いてある文章を読んだだけで、添削し始めてしまいました。

始めのうちは 、私の話を聞いて、じゃあ考えてくる。と原稿用紙を持って机に向かい、自分で文章を練っていました。でも、その内に、私の言ったことをそのまま書くようになっていったのです。
私が、そうさせていることにその時は気付いていませんでした。
早く終わらせたいのは分かるけど、何だかなあ・・・。自分の感想文なのだから、もっと自分で考えればいいのにと思いながら、数時間で完成。
感想文に対しての先生の評価やコメントは、記憶にはないので可もなく不可もなくという感じだったのではないかと思います。

小4の夏休み前、「そういえば、最近、読書感想文って夏休みに、何も言わないね・・」と、何気なく聞いた時の息子の言葉。
「だって、1年の時の感想文は僕の感想文じゃない。あれは、お母さんの感想文だった。あの時、色々言われて、お母さんに感想文を見てもらうのはやめようって思った」
責めるではなく淡々とした、でも少し強めの口調の中に息子が不満に思っていたことが伺えました。
息子の返事に、一瞬、思考が止まり、その時の様子を思い出して申し訳なさでいっぱいになりました。
何を読んでどんな感想を書いていたのか、どんな添削をしたのか詳細は覚えていないのですが、子どもらしい文章を拙いと思って私が納得できる文章に変えさせた。

始めのうちは、自分でも考えていた息子が、なぜ、途中から私の言うままを書くようになったのかを改めて、考えました。
その時は、自主性がないなあ・・、早く終わらせることしか考えていないんだと、息子に問題があるように捉えていました。
でも、息子の立場で考えると、自分が書いた文章を否定され、お母さんの思うように直される。それならいっそ、言われた通りに書いて、さっさと終わらせよう。そして、もうお母さんには、頼まない!と思ったのだろうということが見えてきました。

息子は、感想文を完成させる間、私に対して、怒ったり、文句を言ったりはしませんでした。「ここは、こんなふうに書いた方がいいんじゃない?」と言えば、「うん」と言って書き直してくる。その状況が嫌というよりは早く宿題を終えたいと思っているくらいに捉えていました。
なので、息子のこの言葉を聞くまで私はこの時のことを気にも留めてもいなかったのです。
「思い出してみたら、そうだったね。ごめんね」としか言えませんでした。

息子は、もう自分の中では終わったことになっていたのか、「別に・・・。でも、もう感想文は見せないと思った」と、もう一度。
息子が感想文の何を見てほしいといったのか? 自分の気持ちをどう表現したらいいのか分からないと思っていたのか・・・。文章の順番が気になったのか・・・。私は、息子の想いや考えを改めて問いかけることもしませんでした。思いつかなかったのです。
でも、そこを聞いてあげることができたら、息子の感想文になっていたと思います。

やってしまったことは変えられない。このやり取り以降、私なりに息子の宿題に前のめりにならないように心がけました。特に、絵や工作などの答えのない課題は、私の想いや考えを押し付けそうな気がしてより注意するようにしました。(気になってつい、手出し口出しをしたくなるので・・・。)

5年生の夏休み。
「製作の課題で、何をつくってもいいから自分は、ランドセルの代わりに使えるリュックを縫いたい」と言いました。
電動ミシンが危なっかしく、縫い目も少しガタガタしていたと思います。
以前の私なら、貸してごらん。と、代わりに縫ってしまっていたかもしれません。でも、息子の言った「お母さんの感想文だった」が私を止めてくれました。子どもが自分の課題に取り組みたいと思っているのに、邪魔をしてはいけないと思えたので、やってあげようとも思いませんでした。手を貸してと言われるところだけにとどめて見守ろうと思えたのです。難しいところも息子なりに頑張って、完成させた時にはホッとしました。

毎朝、リュックを背負って登校する息子をみて邪魔しないでよかったと改めて思い、息子を何だか愛おしく思ったのを覚えています。
息子は、出来上がったリュックを生地がくたくたになるまで使っていました。
きっと、自分の力で作ったものへの愛着もあったと思います。息子の夏休みの宿題は、子どもの問題を自分の問題にしてはいけないことを教えてくれました。

といっても、それから全てにおいて子どもの問題として見守れたかというとそうではありません。つい、余計な手出し口出しをしてしまって反省することも度々。反省を繰り返す中で、自分を止めるための質問を見つけました。
「これは、誰の問題?・・・私の問題?子どもの問題?」
この自分への問いかけは、私の手出し口出しを随分、減らしてくれたと思います。
この辺りで、バトンを岩田さんに渡します。

大阪府/安村典子



2022年07月25日(月) No.577 (日記)

No. PASS