伝えよう。伝え合おう
群馬の山本です。
羽木さんのお母様への思い、しみじみと共感しています。ただ、息子たちが一人暮らしをするようになり、たまに帰って来る子どもを迎える側にもなった今、母としての気持ちと、娘としての気持ちを行ったり来たりしながら読みました。今度実家に行った時、母に少し優しく出来そうです。
さて今回は、子どもがまだ小さかった頃の夫の対応について、ばらしてしまおうと思います。ひどい対応は山のようにあって、私はよく怒っていましたが、時間薬のおかげでだいぶ薄れてきています。それでも思い出すのは、体調が悪かった時のエピソードです。
夕食がすんで、お風呂に入る時間が近づいてきましたが、私は体調が悪く、どんどん頭痛がひどくなっていました。もうダメだと思い、夫に息子たちのお風呂を頼みました。夫は快く引き受けてくれたのですが、返事はこうでした。
「いいよ。入れるから受け取ってくれる?」
言葉も出ませんでした。私はすぐにでも横になりたかったのですが、必死に耐え、息子たちがお風呂から出てくるのを待ち、パジャマを着せました。そして這うように布団へ行き、倒れ込んだのですが、怒りと不満と悲しみとあきらめと…様々な気持ちがぐるぐるモヤモヤ渦巻いて、止まりませんでした。
このことは今でも思い出し、死にそうなほどつらかったのに、なんてひどいことをされたのかと恨みにすら思っています。この心の傷を少しでも癒そうと、今回この傷に向き合ってみました。
つらくて悲しかった気持ちがすぐに湧いてきました。でもその後に、なぜその場で、「何もできないほどつらい」と言わなかったのか?それとも言えなかったのか?と疑問に思いました。
伝えなかったのは私です。わかってくれないと夫を責めてばかりいましたが、ひとこと言えば、変わっていかもしれない。ではどうして言わなかったのだろう。言えなかったのかな?
言わなくてもわかってほしいという気持ちは当然あったと思います。(見れば体調が悪いとわかるはず!)意を決してお願いしたのに、つらさをわかってくれず、他人事のように扱われたと感じ、悲しかったのです。
長い年月を経て、夫は特に察することが苦手な人だと知りました。だから、伝わっていないと思ったことは、言わないとダメだとわかってきました。ただ、伝えても私の思う通りには伝わっていないことも多々あるので、油断できません。でも、今の私だったら「すぐに横になりたいから、お風呂は一人でお願い」と言うと思います。もし「出てくるまで待ってて」と言われたら「それができないほどつらいから、パジャマも寝かせるのもお願い」と詳しく言おうと思います。
以前の私は子どものことは母親がやるべきだと無意識に思っていて、そのためなら我慢もするし、自分が犠牲になることも平気でした。そして、夫はその手伝いをする人という位置づけになっていたと思います。だから、私の思う通りに手伝ってくれないと嫌でしたし、文句も出ました。私一人で必死になっていた時期を懐かしく思い出します。
今は協力者として隣同士にいる感覚があります。お互いの考え方やアプローチの違いも受け止めています。言葉にして伝えることの意味や必要性を私自身がやっとわかったような気がします。言わなくてもわかってくれることも嬉しいのですが、自分の思いを言える相手がいて、思いをわかってくれたり、違う考えを言ってくれたり、見えなかった気持ちが見えてきて行き来するような感覚がまた、嬉しいのです。
そうはいっても、言わなくてもわかってほしいという気持ちがまったくなくなるわけではありません。でも、夫は察することが本当に苦手です。例えばドラマを見ていても、怪しい行動や表情にまったく気付きません。だから、最後に犯人がわかると、ビックリしていることもしばしば。そういった様子を何度も目にし、この人は本当に気付かないだけで、悪気もないし、わざとでもないのだと納得せざるを得ませんでした。
でも、道で困っているお年寄りには自然に手を貸すやさしさはあります。その違いが何なのかはまだわかりません。
やさしさ、思いやり、察して気遣う、忖度する…日本人に特に求められてきたことなのかもしれません。でも逆に、言葉を使いやりとりすることは、お互いを思いやることのもう一つの手段でもあるように思えてきました。
一か月ほど前にこんなことがありました。
私がお風呂に入って間もなく、夫が新しい石けんをそそくさと持ってきてくれました。石けんやタオルを取ってと私が呼ばれることはよくありましたが、逆は初めてです。しかも、私は頼んでもいません。夫自身が入浴時に石けんを使い、小さくて使いにくかったのでしょう。使いにくいだろうと思いを巡らせて新しい石けんを急いで届けてくれました。
私はその急いで持ってきてくれた様子がとても嬉しかったです。ほんの小さなことなのですが、私のことを思っての行動だと伝わりました。(実際には私はその石けんを使わないのですが)ありがたく、嬉しく受け取り、両手の中の石けんをしみじみ見つめてしまいました。
思いやりを受け取り、また思いやりを返したくなるサイクルはとても幸せです。一方通行だと思っていた私ですが、たまには嬉しい思いやりを受け取ることが出てきました。そうすると、「もしかしたら、受け取れていない思いやりもあったのかな」とさらに寛大な気持ちも膨らんできます。
私の恨みの気持ちは消化され、昇華しました。予想より早く「言葉にして伝えるといい!」とわかり、自分の成長も、夫の変化にも気付くことができました。
わかってないと感じたら、言葉にして伝えてみよう。伝わってるかな? と不安があったら、それも言葉にして聞いてみよう。そうしているうちに、相手のことがよりわかるようになり、思いやれるようになったとも感じるので、不思議です。言葉がなくても通じ合ったり、細かく説明したことで分かり合えたり、言葉の持つ力に驚かされながら、ますますコミュニケーションを楽しみたいと思います。
ではこの辺でタスキをお渡しします。秋岡さん、よろしくお願いします。
群馬県/山本みのり
2022年09月19日(月)
No.585
(日記)