ハートフルコーチの泣き笑い日記

日々の発見やつぶやきなど。

「私なんて」の処方箋


兵庫の羽木です。
息子さんの成長への誇りを胸に、思わずプレゼンしてしまった田中さんに、息子さんは自分への愛と理解と、母は味方だという確信を持っただろうなとあたたかい気持ちになりました。

自分の中にある「私なんて」。今回はこれに向き合ってみました。

ハートフルコミュニケーションで学んで10年になります。今はチーム活動をしたり、学んで試験を受けたり、このようなブログを書いてNPOの活動を担ったり、勉強会やミーティングに参加したりしています。そんな中でよく現れる困りごとが「私なんて」でした。

ハートフルコミュニケーションには代表理事の菅原さんはじめ、優秀な方がたくさんいます。子育てしながらずっと仕事を続け努力を重ねてきた豊富な知識と経験、温かくまわりに配慮できる人柄、組織の中で上に立つ人としての在り方、精神性の高さ、すべてにおいて素敵で尊敬でき、こんな人たちと一緒に活動できたり、学ぶことができるなんて、なんて幸せなんだろうと思いました。しかし、それと同時に、それに比べて自分はなんてダメなんだろうと思うことが何度もありました。

一緒に学ぶ機会も多く、ワークをする際にペアになる時は相手が私で申し訳ないと思いました。自分は与えてもらうばかりで何も与えられないという思いからです。人前で自分の考えを言う場面では、しっかりとした自分の考えを理路整然とわかりやすく喋る人たちにうっとりしながらも、私は頭が真っ白になることも多くて、何度も落ち込みました。

学ぶことは楽しくて、学んだおかげでけっこうできることが増えました。ここには学べば挑戦できるチャンスがたくさんあり、挑戦する人へのサポートは惜しみなく有る場所。なのに、これやってみない? と言われても「とんでもない!無理!」と自動反応する。やったとしても「初めてなんです、苦手なんです」とまず予防線を張る。優秀な人の前では固まって本来ある力さえ出せなくなる。なんてネガティブ、なんてしょうもない!と更に自分が嫌になる。

それでも、ここは誰も責めないし、強制もしない。自分から動くのを待ってサポートしてくれるところなのです。こんなところ、どこにもない。ここでやらなきゃどこでも無理でしょと思いながら、「私なんて」で度々動けなくなっていました。

最初から一緒に学んできたハートフルコーチ養成講座同期の仲間はそんな私をよく理解してくれ、うまく寄り添い励ましてくれ、おかげでここまでたくさん学びながら活動も続けてくることができました。本当にありがたい存在です。

でも、「いつまでもこんなだと、めんどくさいと思うに違いない。なんとかこの『私なんて』をやめなければ」と思っていました。そしてずっと考えていました。どうすれば変えていけるんだろうと。

「私なんて」の奥にあるのは、一つには、どう思われるかを気にしすぎる気質。予防線を張るのはうまくいかなかった時のための自己防衛。失敗しても誰も悪く思わないのに。
そしてもう一つはたぶんコンプレックス。社会の中でこれができると胸張って言えるものがなく、ゆるゆる生きてきた自分とのこの圧倒的な差は大変な衝撃だったのです。

では、「私なんか」をやめて、私はどんな自分になりたいのか。
講座が凄くうまい人とかチームを引っ張れるような人になりたいわけではないように思います。憧れるのは菅原さんや先輩たちの高い精神性。であるならば、知識や経験、判断力などは、同じようにはなれないとしても、それぞれの素敵な考え方なら真似てみれば良いのではないかと考えました。
何か起きたとき、瞬時に相手や全体のためにどうするのがいいのかを考える習慣や、相手の成長のために労力を惜しまず寄り添う姿勢。学び続けながら、周りの素敵なモデルを真似てできそうなことは取りれてみる。そして失敗を恥ずかしく思わずに、やりたい時には挑戦できる。そんな自分ならOKを出せるのかもしれません。

そんな、いいと思える自分になるために、そしてせっかく学んできたことをもっと自然に使えるよう、反射的に表れる「私なんて」をなんとかしたかったのです。なので、いろいろ試してみました。

ハートフルコミュニケーションは子育ての軸が学べるところですが自分を成長させ、整えるための学びもたくさんある場所です。
そのなかで、菅原さんに教わったことで、心に残り、最近実践していることが1つあります。よく使う言葉の中にその人の思考の癖がある。その言葉を他のポジティブな言葉に置き換えてみようというものです。
私がよく使う言葉は「申し訳ない」「おこがましい」でした。それを他の言葉に置き換えます。「ありがたい」に。こんな優秀な人と学べてありがたい。経験させてもらえてありがたい。やってみるとなかなかいい。心の中の声を変えてみると思考も少し変化するということでしょうか。実際、ありがたいと思いながら先輩とワークをすると、驚いたことに申し訳ないという気持ちにはいかず、一生懸命やらねばという思考になりました。

また、ワークショップなど人前で講座をやる時、菅原さんでさえ充分な準備をするのだと聞きました。不安なら一生懸命準備をしよう。それなら努力すればできるかもと思えました。

ハートフルコミュニケーションの子育てで学んだこともそのまま自分に使えます。
「子どものできないところばかり見ないで、できるところをみよう。」これを自分に向けて自分で自分を承認してみました。

この10年、熱心な同期に引きずられてではありますが、頑張ってできるようになったことは自分で驚くほどあります。セッション、コーチング、ワークショップの他にも、超デジ難で「メールがやっと。スカイプって何?」だったおばさんがワードで原稿を書いてZoomとパワポでワークショップができるようになりました。ブログやIdeaBox、通信などで書く経験もさせてもらって、書く楽しさも知りました。私、頑張ったやん、10年前と同じではないよねと思ってみました。

「私なんて」の処方箋。他にも学んだなかにいろいろありました。だからといって、劇的にポジティブになったりはしていません。でも、泣き言を言いながらも少しずついろんなことに挑戦することを、とにもかくにもやめずに10年続けてきたからなのか、処方箋が効いたのか、最近少しだけ自分の中で何かが変わってきた感じがするのです。臆することは今でもありますが、ここにいることが楽になり、卑屈になることはほとんどなくなりました。いろいろ言わずにやってみることも増えてきました。

私なら大丈夫とまではいかないけど、自分のペースで、自分なりに成長していけたらいいのかなと思えるようになった今日この頃です。

それでは、この辺で山本さんにバトンを渡します。

兵庫県/羽木絵里 















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