ハートフルコーチの泣き笑い日記

日々の発見やつぶやきなど。

見える景色、感じる感覚


自分自身との付き合いは他の誰とよりも長いはずですが、渡海さんのブログを読んで私は、嫌な自分を受け止め・受け入れる作業を繰り返す追体験をしているような感覚を覚えました。
そして、渡海さんが娘さんの本質の輝きを感じたとき、読んでいた私の目の前も明るくなったように感じました。

埼玉の落合です。

先日、友に会いました。
彼女とは大人になってから知り合い、たぶん3~5歳くらい年上です。仕事も家族背景も住んでいるところさえもまったく違う、学びの友です。私の仕事の都合で彼女の住む近くを訪れるたびに会う約束をして、近況を話し帰路につくことを何度か繰り返しています。

今回、半年ぶりに会うので、私は手土産を持っていくことにしました。数日前にデパートの地下で買った美味しい、赤いキラキラしたセロファンで個包装されたクリスマス仕様のチョコレートと、駅ビルの中にあるコーヒー豆が有名な店のドリップ式のコーヒーです。
両方とも以前食べた時にとても美味しかったので、会う時にはぜひ差し上げたいなと思っていました。たくさん持っていくと、彼女の性格から大変恐縮してしまうと知っていたので、我が家にあった水色の紙袋にチョコレートとコーヒーパックを入れてラッピングして持参することにしました。

当日、私が「お土産を持ってきたので、どうぞ家族でお茶の時間に食べてね」と伝えたところ、彼女は袋を見るなり「わ〜かわいい!」とたいへん喜んでくれました。
私は彼女の発した「かわいい」、この言葉に私は戸惑いました。もちろん、表情をみて喜んでくれているのはわかります。しかし、何が「かわいい」のか私にはわからず、喜びを素直に受け取ることができませんでした。なぜなら私は「どんな味なの?」と言ってもらうのを期待していたからです。例えばチョコレートは苦いビターなのか甘いミルクなのか。
それに私は、チョコとコーヒーを一緒に食べるときの、甘みや苦みのうま味への変化を、彼女にも味わってもらいたいと思っていました。私自身、食べることが好きなこともあって、大好きな人と同じ感動を共有したかったのです。後日、彼女から食べた感想を聞いて、共感できることを増やしたいという思いもありました。
「 水色の紙袋がかわいいの?どこがかわいいの?」と思わずたずねていました。

彼女は嫌な顔をせず丁寧に、「見た目もかわいいし、小分けにしてくれているのもかわいいと思うよ」と話してくれました。おかげで私は、彼女は目で見て感じたことを「かわいい」と表現したのだと理解できました。

実は私自身は、自分の気持ちや考えを表現することが苦手です。他者が私を理解するのは難しいに違いないと、ずっと思っていましたし、理解してもらう努力はとても労力のいることなので、うわべだけで過ごし本心を伝えないことを選んでいました。
でも、彼女とは違います。ある時、学びの打ち合わせをするために二人で話す機会がありました。はじめは、言葉を選んで話していたのですが、打ち合わせが一向に進まず、伝えたいことが伝わらないのがもどかしくなり、半ば勢いで、支離滅裂になりながら苦手とする自分の考えを伝えてみたことがありました。すると彼女は、時間をかけて耳を傾けてくれたのです。
伝えた後、日頃見せない自分を見せたことに恥ずかしい気持ちが残りつつも、安心感が生じました。それ以来、彼女は、女きょうだいのいない私にとっては何でも話すことができるお姉さん的存在です。

私は看護学生時代に、「目で見て、耳で聞き、手で触れ、鼻、口を加えた五感で観察し、持っている知識を使って考えること」を意識するように教えられました。ですから仕事中はそれを意識し緊張を持ちながら従事しています。「何か変だ」と違和感を覚えたら、患者が誰かとか、好き嫌いとは関係なく、声をかけたり、医療装置をつけ評価したりと感覚と知識をフル活動して相手を理解しようと試みます。

仕事以外ではそのような緊張感はなくゆったりと生活をしてきました。でも今回、彼女の発した言葉に「何か変だ」と感じました。そしてそれを伝えたことで、自分の感覚と彼女の感覚が同じとは限らないという発見となりました。
姉のように信頼し慕うからこそ、率直に問うことができ、「人によって見え方や感じ方が違うものよ」と優しく伝える彼女の言葉が素直に耳に入っていき、違いを受け入れる・受け入れられる嬉しさと大切さを実感しました。

この辺でカナダのチャウさんにバトンをお渡しします。

埼玉県/落合陽子 






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