ハートフルコーチの泣き笑い日記

日々の発見やつぶやきなど。

やっと辿りついた場所


どっしり構えた母ちゃんになる。と約束された小林さん。息子さんや娘さんにとってなんと心強い存在でしょう。小林家の未来は明るいですね。

大阪の田中です。
今年、新年に立てた目標から、長年に渡って鎮座していた「今年こそ痩せる」が消えました。ダイエットに成功したわけでもないのになんでだろうと思い、気持ちを探ってみることにしました。

私は幼い頃、がっしりとして体力のある自分が好きでした。みんながしんどいと言っているときでもまだまだいけるというエネルギーのある自分。小さいことにへこたれない自分。朝からモリモリとご飯を食べる自分。
けれどあるとき、そんな自分が恥ずかしくなった出来事がありました。小学校高学年の頃に習い事で参加した合宿の朝食での出来事です。
当時高校生の先輩が「食欲がない」と言ってオレンジジュースだけを飲んでいたのです。その先輩のアンニュイな雰囲気がとってもかっこよく見えて、朝からモリモリとご飯を食べている自分が恥ずかしく感じました。

思い返せばそれぐらいの頃には、痩せているほうが良い、という考えをもっていたように思います。そう思ったきっかけはこれだと特定できないぐらいに、いろんなことに影響されていました。テレビで観たアイドル、雑誌にでてくる自分と年齢の変わらないティーンモデル、クラスにいる華奢な女子、お店で試着したときのイメージと現実のギャップ。自分にはない華奢な感じや繊細なものへの憧れが、「痩せていることが良いこと」に繋がっていたのではないかと思います。
そこへきての先輩の言動。今の私にない華奢さや、守ってあげたくなるような女の子らしさをを得るためには、痩せるしかないと思いました。
そしてそれは思春期に入って、より強烈なものになっていったと思います。理想とは裏腹にどんどんと増量していく自分に嫌気がさしながらも、なんどとなく挑戦したダイエットを成功させることもできずに、太っていることは私のキャラクターとばかりに振る舞っていました。そうすることで、自分の中にさらに「痩せていることが良いこと」という気持ちを育てていっていたのかもしれません。

一昨年の冬、パーソナルジムに通い出しました。運動不足著しい私は、とにかく約束(予約)をして半ば強引に運動の機会を作るというのが目的でした。
今まで何度もジム通いをしましたが、いつ行ってもOKのジムは、入会時の熱が冷めるとフェードアウトしてしまうことが殆どでした。パーソナルジムでは、ほぼ私語のないストイックなトレーナーのもと、体幹を鍛えることを中心に30分みっちりトレーニングをします。

半年ほど経ったころでしょうか、見た目はそんなに変わらないのに少しずつ身体が変わってきている感覚がありました。一番に感じたのは足が軽くなったことです。私はひどい扁平足で、いつも足が重い感覚がありました。夕方になると鉛の鎖を繋がれているかと思うほどです。様々な対処法を投じてもいうほどの変化を感じられませんでしたが、今回は違いました。足が軽くなったことで歩くのも苦にならず、それに付随してか、何かをする時の起動の速さも変わりました。
身体の変化に感動してトレーナーに喜びを伝えると「筋肉量が多く、関節の可動域が広いので様々なトレーニングに対応できるからですよ。元々体幹があるので、トレーニングフォームが綺麗なのもいいです」と言われました。
それを聞いて、えー!?私の身体ってそんなポテンシャルがあったの?と驚きました。

私はそのトレーナーの言葉で、体力がある自分が好きだったころを思い出しました。
華奢ではないし繊細さもない自分。でも、エネルギーにあふれ、多少のことにはへこたれない自分。
私は、痩せれば理想にしているすべてが手に入ると思っていたのだと思います。今でこそ女の子らしさを求める時代ではなくなってきましたが、私は女の子らしさに憧れていました。なんだかほっとけない儚げな雰囲気。守られるような可愛らしさ。年を経るごとに、女の子らしさへの憧れから、スタイルの良い美しい女性への憧れと変化していきましたが、私の理想とするものは、大勢の人が求めているものだと思っていました。そしてそこに共通していたのは他人から褒められたいと思っている自分でした。
他人から褒められることが、自分を肯定できるひとつの手段だと思っていました。スタイルの良い理想の身体を手に入れて、見た目そのものも褒められたい、頑張って結果を出した自分も褒めてもらいたい。私だって、やればできるということを認めてもらいたい。それが、「今年こそ痩せる」という言葉になっていたのだと思います。

私は、自分にあるものに目を向けず、外ばかりを見ていました。自分にないものへの憧れが、自分を否定するものになっていたのです。
ダイエットに成功している人やスタイルの良い人を見ては、できていない自分、そうではない自分はダメだと思っていました。世の中は、痩せていることが良く、太っていることは良くないという世界だと思い込んでいたのです。
実際そのような風潮があるにせよ、それ一色ではありません。自分がどこに視点をおくかで、見え方は変わってくると思います。新年の目標から「痩せる」が消えたからといって、これからは痩せないと決めたわけではありません。ましてや太ってて何がわるい?と開き直るつもりもありません。あくまでも、自分軸でいこうと決めたのです。

私が何十年も囚われていたものは、なんだったのかと考えます。だれとはない世間のみんながこう思っているに違いないというあやふやなもの。私はいつのまにかそういうものを作り出して、その中で右往左往していたように思います。私はその中で、誰とはない他人の目を気にして生きてきました。
これからはその小さな世間から飛び出して、他人の目線や評価を気にする人生ではなく、自分が満足する人生を送りたいと思います。
私は私。それ以外のなんでもない。今、やっとここにいます。

それではこの辺で羽木さんに最後の襷を渡したいと思います。
2年間ありがとうございました。

大阪府/田中千世子 









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