ハートフルコーチの泣き笑い日記

日々の発見やつぶやきなど。

愛することは、愛されること


兵庫の渡海です。
岩田さん、娘さんのご成人おめでとうございます。「子育て」とは「親育ち」。岩田さんの日記を読んで、しみじみとそうだなぁと思いました。

先日、ハートフルコミュニケーションのワークショップを受講しました。3回講座の第1回『愛すること』。レクチャーを受け、考え、ワークして話していく中で、息子との関係と「愛すること」について、大切な事を思い出したので綴ってみようと思います。

息子は、小学五年の中学受験塾での出来事をキッカケに様々な事に不適応を起こし始めました。
食べられないから始まり、起きられない、勉強なんてとんでもない状態で、鉛筆を持つことすら無理な状態が何ヶ月も続きました。今にも消えてしまいそうな細く痩せた息子を見て、「生きていてさえくれれば良い」と願った日々でした。

私たち親子にとって真っ暗なトンネルの中を彷徨うような日々をようやく抜けた、と思ったのが中学に入学した頃でした。小学生から中学生へと環境が変わり、好きな部活も見つけて嬉しそうにシューズやラケットの手入れをする息子の姿を見て、「もう大丈夫」と感じた私がいましたが、息子の状態はそんな簡単なことではありませんでした。中学一年の秋ごろまた、学校に行ける日と行けない日が波のように押し寄せて来たのです。

(起立性調節障害があったと、後に知るのですが)毎日、何時に起きてくるのか分からず、彼の行けそうなタイミングを待って、車で送っていく日々。何時に行くのか? そもそも学校に行け
るのか? も分からない息子を送迎するため、午前中はリビングで待ち続けました。
「生きていてさえくれれば良い」と思っていた私だったのに、一度元気になったように見えた息子に私は、「中学に入って楽しんでいる姿があったし、息子は元気になったんだ。頑張れば行ける!」と思いたかったんだと思います。そして、私は自分の時間を、息子によって拘束され、身動きが取れず、イライラもやもやし、いつも眉間に皺をよせ、怒りの感情に支配されていきました。

今思えば、イライラやもやもやは、「同学年の子が学校に行って勉強しているのに遅刻したり休んだら、どんどん置いていかれるんじゃないか」とか「このまま また学校に行けなくなって、引きこもりになったらどうしよう」とか、勝手な私の想像する息子の未来への不安が原因だったと思います。
その不安に取り憑かれた私は視野が狭くなり、彼に対して“私の心配や不確かな悪い将来“を想像し、その私の想像の未来がすべてかのように錯覚していました。これからの未来がどう動くかなんて誰も分からないのに。まして彼の人生なのに。

そして、「まだ起きないの? 昨晩、今日は朝から行くって言ってたよね!」とか、「来週から試験だよ?どうするつもり?!」とか、「今日もまた遅刻? 学校に電話するの?! 毎日学校に電話したくないんだけど!』と、それはもう散々色々、彼の未来に対する私の不安や、こうあるべきといった親のエゴや私の一方的な願いや願望を、呪縛のように言葉に乗せて彼にぶつけていました。今思っても、何てひどい言葉と態度だったんだろうと、自分の過去の姿を消してしまいたいくらい後悔しています。でもこんな態度の母親の元で、事実、彼は毎日を過ごしていました。

そんなある日、彼と同じ家の中にいると、怒りの感情が爆発してしまいそうになった私は、彼を
置いて家を飛び出し、スポーツジムに行き、すべてを忘れるようにがむしゃらに汗を流しました。
久しぶりに『あー、気持ち良かったわぁ』と、笑顔で帰宅した時の、息子の顔が忘れられません
。いつもの怯えたようなひきつった彼の顔が、フワッとほころび、ほっとしたような笑顔を見せた
のです。

その彼の顔を見て、「私の彼への気持ち」が「彼を拘束し彼を束縛していたんだ」と気づきまし
た。そして、彼は“私“に自由でいてほしかったんだと、思いました。『お母さんは、お母さんの時間を過ごしてよ。自由に楽しんでよ。お母さんはお母さんらしくいてよ。笑顔でいてよ。』と。
その瞬間から、私は自分を振り返り、“彼と私は別“と、切り離して過ごそうと思いました。彼は彼、私は私。彼を私の思い通りに動かすのではなく、ありのままの彼を見て感じて尊重しよう。そして、私も私の時間・人生を大切に私の時間を生き、笑顔でいようと思いました。
 
その一方で私が彼にできることは「あなたの存在が私達の幸せ」この原点の思いをもう一度伝えることだと思いました。妊娠中からの成長過程の写真を飾り、「生まれて来てくれてありがとう」を機会を見つけては妊娠中や出産の話、成長の喜びを絡めて語りました。
そして、彼の些細な日常の行動を言葉にして伝えました。「おはようの声が聞けて嬉しい」「数学の解き方が素晴らしい」「妹を大切にしてくれてありがとう」「卓球の戦略を論理的に練る力がすごい」等、彼が自分の持つ力、自分の良さに気づくように毎日必ず“彼のプラスを見つけ、言葉にして伝える“と決め実行しました。

そう決めると、私の彼を観る目もプラスの視点になっていきました。すると『僕なんて』が口癖だった彼が、前向きに自分は何ができるのか? 自分の力はどう活かせるのか? を考えだし、少しづつ少しづつ彼は彼らしく過ごせるようになっていきました。
自分の進路を真剣に考え、高校受験を自分のペース・自分の力で乗り越えるまでになりました。そして希望の高専に入学が決まった時、一通の手紙を彼はくれました。

「今まで心配させてごめんなさい。今まで、ありがとう」

彼は、全部分かっていたんだと思いました。私は、『ありがとう』と、それ以上の『ごめんなさ
い』の気持ちで、胸がいっぱいになりました。

私は「親が子供を愛すること」が大切だと思っていました。しかし同時に「親も子どもに愛されて
いる」のだと、息子が教えてくれました。私の理不尽な思いを押しつけていた時でさえ、私という親の存在を息子は受け入れ、真っ直ぐに愛してくれていた。
この子どもからの狂おしいほどのひたむきな愛で、私はいつも許されてきた。そして、彼の愛の対象である私が笑顔でいることを、彼は切に願っている。親である私が私らしく幸せでいることを、子供は自分のことのように嬉しく思い、喜んでくれている。だから、私が自分を大切に幸せに過ごす姿は、鏡のように子供が自分自身を大切にし幸せな未来に繋がるんだと思う。

愛する事は愛される事。
親の私自身が、自分を大切に笑顔で幸せな時を過ごす事。それが、『愛すること』に繋がると、
思い出させて貰いました。では、この辺で落合さんにバトンを繋ぎたいと思います。

兵庫県/渡海恵子



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