ハートフルコーチの泣き笑い日記

日々の発見やつぶやきなど。

思いが接し方に表れる


鈴木さんがご自身の不安と向き合いながらお子さんの生きる力を信じてこられた姿に、親としての強さを感じました。また、NICUに入院していた息子の姿を思い出し、ただそこに居るだけで愛しかった思いがよみがえって胸が熱くなりました。

初めまして、石川の石垣です。
私はこども園で働いています。保育士資格を取ったのは3年前で、我が子の子育てがある程度終わってから保育を学び始めました。そんな私にとっての大きな気づきを、初めての日記に綴りたいと思います。

私は我が子が小さい頃、様々なことに対して「この子にはまだ無理」と思い込んでいました。オムツ交換に始まり、食事ではさっさと私がエプロンをつけて食べさせ、汚れたら私が選んだ服に着替えさせ…と、子どもの都合や意思はお構いなし。すべて私がやって子どもはされるままという、手出し・口出し、過干渉のオンパレードでした。
また、親が導かなければいけないと思い込んでいたので、「今日は寒いから上着を着て!」「同じおかずばかり食べてはダメ、順番に食べて!」「宿題をしてから遊びなさい!」など、指示・命令ばかりをしていました。

そんな私が保育士になって目にしたのは、私の思い込みを破る1歳の園児達の姿。自分でオムツやズボンを脱いだり穿いたりする。靴を履く。自分で鼻をかむ。我が子が1歳の頃には「できない」と決めつけて私がやっていたことばかりで、すごく驚きました。
もちろん、すべての園児が一人でうまくできる訳ではありません。でも、例えばズボンはお尻の部分を少し下げてあげると、後は自分で下して脱ぐことができます。もし、上手くできなくても、やろうとする子どもの姿がそこにありました。私は初めて、子どもの持つ力を肌で感じました。

また、先日迎えた新入園児のAくんと接することで大きな気づきがありました。
彼は園での食事をすごく嫌がり、ほとんど食べてくれません。そんな状況の中、とうとうお母さんの職場復帰の日がやってきて一日保育が始まりました。

白米とおかずは順番に食べるのが良いと思っていた私は、白米を一口食べてくれた時、次はおかずを食べさせようとしました。すると、嫌がってそれ以降は何も食べなくなりました。
翌日、白米も嫌がるので、ふりかけをかけると少し食べてくれました。しかし、次におかずやスープを勧めると嫌がり、またそれ以降食べなくなりました。

そんな日々が数日続き、あの手この手で接して疲れ果てる日々。「なぜ、私はこんなに疲れているのだろう?」と自問自答した時、私の深い奥底にある「子どもが良くなるために、大人は導かなければならない」という思いが見つかりました。
頭では、子どもには自分で良くなろうとする力があると分かっているつもりでしたが、この思いが無意識の中にあったので、私は心から子どもの持つ力を信じ切れていなかったのです。
だから、私が「良い」と思っている「白米とおかずを順番に食べること」に拘り過ぎていました。そして、好きなものしか食べないのは良くない、このままでは好きなものばかり食べる子になってしまうかもしれない、と不安を感じていることに気づきました。
「いつか食べるようになるだろう」と頭で考えつつも、心から思えていなかったので、Aくんが嫌がっても諦めが悪く、何度も他のおかずを勧めていたのだと分かりました。そうやって何とか食べさせようと頑張り過ぎて、ぐったり疲れてしまったのです。

そのことに気づいた翌日、ハンバーグを食べ始めたAくんに白米とおかずを順番に食べさせることを止めました。私は「食べてくれたらいいや〜。」という気持ちで食べ進めていき、Aくんが欲しがるままハンバーグを完食。Aくんが必至で食べ続ける姿に、「そんなに好きなのね。」と思わず微笑んでしまいました。それから他のおかずも勧めてみましたが食べず、潔く食事を終えました。私は初めてのおかず完食に「全部食べた!」と嬉しい気持ちでした。
「今は食べなくても、いつかきっと食べるようになる、大丈夫」と心から思うことができたので、ハンバーグばかり食べることを受け入れ、潔く食事を終えることができたのだと思います。今まで言葉だけで理解していた「子どもの持つ力を信じる」というのは、こういうことか!と体感した瞬間でした。

私が、長年、止めたいけど止められなかった我が子への手出し・口出し、指示、命令…。これらの私の接し方は、「この子にはできない」「子どもが良くなるために、親は導かなければならない」という無意識の思いが基になって発せられたものでした。だから、言動だけを変えようとしてもできなかったのだと分かりました。
そんな私の無意識の思いの奥には、「子どもがより良く・心地良く過ごしてほしい」という願いがありました。しかし、その主語は親の「私」で、私が「この方がいいに決まっている」、「こうなら心地良いはず」という考えでした。
一方、今は「この子」が主語に。「この子が良いと思っているなら」「この子にとってはこれがいいのか〜」などと受け入れ、許容できる場面が増えました。

また、Aくんとの日々で、私に足りなかったのは「この子はできる(きっとできるようになる)」と、子どもの持つ力を心から信じる気持ちだと気づきました。子どもの持つ力を信じて、その成長を長い目で見守ろう!と心から思えれば、その思いが基となる言動になります。つまり、私の「思い」が変われば、今までとは違う接し方に自然と変わっていくのです。
私の中で何かが変わり始めた気がしています。

それではこの辺で、バトンを村井さんにお繋ぎします。

石川県/石垣恵美 




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