ハートフルコーチの泣き笑い日記

日々の発見やつぶやきなど。

ありがとうの言葉


大阪の安村です。
平沢さんのお話を読んで、私も母との時間を大切に、たくさんおしゃべりをしたいと思いました。

「ご馳走様」と言いながら、自分の食器を重ねてシンクに運んでくれる息子をみて、一時期、食器の片付けをさせようとして、息子たちと険悪な感じになっていたことを思い出しました。
今日は、その頃のことを振り返って書いてみようと思います。

子どもたちが、自分で自分の食器を片付けられるようになった頃から、食後は食器をシンクに運ぶようにさせていました。
それなのに、思春期、思春期に差し掛かる頃、彼らは揃いも揃って片付けてくれなくなったのです。きっかけがあったのか? よく覚えていませんが、1人が片付けないままで席を離れると他の子も真似をするというか…段々、片付けないことの方が多くなっていきました。

この頃の私は、子どもが大人になった時、外で恥ずかしい想いをしなくて済むように箸の上げ下ろしから目上の人への言葉遣いなど、私が気になるところは、子どもたちにきちんと躾けておきたいと思っていました。
自分の食器を片付けるのは当たり前のこと。ですから、片付けなさいと何度も、きつい口調で彼らに言っていました。大人になった時に恥ずかしくないようにと思いながらも、今、できているかに捉われていたのです。
たかが、食器の片付けになぜ、そんなに必死になっていたのか・・・振り返って、考えるとおかしくもありますが、きちんとできるようにしておかなければと思って私なりに一生懸命でした。

ですが、子どもたちは、私が、「片付けなさいって言ったでしょ!」と言えば言うほど、反発して、無視。そのままにして自分の部屋に行ってしまったりしていました。
私は、汚れた食器をそのままにしておくのも嫌で文句を言いながら、片付けるということが常態化していったのです。

数ヶ月? 1年? もっと長かったかも・・・、私の方が根負けしてしまい、片付けさせるということを諦めていました。親戚の家に行ったりすると、何も言わなくても片付けているのも見受けられ、険悪になるのも嫌だし、状況をみて片付けることもできるのだから、もうそこに拘らなくてもいいのではと自分に言い聞かせて・・・。

でも、本当は片付けられる子であってほしい(そう躾けられてほしい)という想いは手放しきれてはいませんでした。
だから先輩ママと話している時に、つい、子どもたちが食器を片付けてくれないと愚痴ったのです。先輩ママから、片付けてくれた時にありがとうは、言っているの? と、聞かれました。
自分の食器を片付けるって当たり前のことだと思っていたから、ありがとうとは言ってないと思うと答えました。
一度もないかというと、そこまでではないとは思いますが・・・・・。

「片付けてくれてありがとう。お母さん、助かるわって言われたら、子どもは嬉しいんじゃないかな? 片付けるようになるかは別として。それに、何かを人にさせられるのって抵抗を感じるかもしれないね」と言われて、はっとしました。
躾と思って一生懸命、片付けなさいと言ったけど、そんなふうに言われてやりたいとは思わないなあ・・と、子どもたちが反発したのも分かる気がしました。
私がありがとうと言っていたら、子どもたちは、無理やり片付けさせられるとは思わなかっただろう。そして、片付けることにそれほど抵抗も感じなかったかもしれないと思いました。

それからは、ほとんど片付けてくれなくなった子どもたちが、ふと、自分から片付けてくれる機会を逃さず、ありがとうを伝えるようにしました。
ありがとうを伝えてこなかった罪滅ぼしのような気持ちと、片付けてくれないことの方が多いと、片付けてくれることが本当にありがたくも思えてきて・・・。
今までやりなさいと言われていたことを、やってくれてありがとうと言われ、始めのうち、子どもたちは、少し戸惑ったような、でも、ちょっぴり嬉しそうにも見えました。

といってすぐ、子どもたちに変化があったわけではありません。ですが、言っている私には、気持ちの上で大きな変化がありました。
片付けなさいと言っていた時は、片付けて当然と思っていたのでやって当たり前、やらないと思い通りにいかないと腹も立っていたのです。でも、ありがとうを言う時、私自身が、温かい気持ちでいることができました。片付けなさいより、ありがとうの方が、断然心地よいのです。
言われる子どもたちもそうだったと思います。意識しなくてもありがとうを口にするようになった頃には、子どもたちは、食後の食器を何も言わなくても自分で運んでくれるようになっていました。

あんなに、言っても無理だったのに・・・。
ありがとうの言葉を繰り返し聞くなかで、「お母さんにやらされること」から「自分からやること」に子どもたちの中で変わっていったのではないかと思います。
躾とは、大人が子どもに教えること、正しい行いをさせることだと思っていました。
ですが、この片付けのケースから、無理やりやらせようとすることではなく、お互いが気持ちいい、心地いいの積み重ねで、自然と身についていくのが躾なのだと、思うようになりました。

大人になった息子に「片付けてくれてありがとう」と言った時、息子がにやっと笑って「片付けるという当たり前のことにありがとうと言われると、片付けることができない人みたいだから止めてもらえませんかね?」と、冗談っぽく言ったのです。

びっくりでした。口うるさく言っていた頃のことを覚えて言っているのか、そんなことは関係なく冗談で言ったのかを測りかねて、一瞬固まった私を気にすることもなく、息子は、食器を片付けて行ってしまいました。

息子たちに、もう私が躾けることはありません。ですが、ありがとうを伝えられる時には、伝え続けたいと思っています。ありがとうは、言っている自分も言われる相手も幸せになる言葉。息子たちの日常がありがとうであふれるように。

この辺りで、バトンを岩田さんに渡します。

大阪府/安村典子  




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