ハートフルコーチの泣き笑い日記

日々の発見やつぶやきなど。

どちらを見ようとしているか?


カナダの大らかなホストファミリーと過ごした幸せな時間は、今の落合さんが過去のご自分と向き合うきっかけを作ってくれたのですね。改めて家族のオープンな関係性や対話の大切さを感じました。

カナダ在住のチャウです。

似た者同士とか同郷のよしみとかいうように、私は自分と似た境遇や考え方、趣味を持っている人たちに安心感を覚えがちです。
ウンウンと相づちを打って聞いてくれる人には話しやすいのです。「同じ」や「似ている」に安心感を覚え、「違い」や「異なる」人や考え方には身構えてしまうし、私とは関わることもない人だと自分とは切り離して考えがちです。

15年前にカナダに来てから長い間、まわりの人たちに心を開くことができませんでした。
彼らを私とは「違う」、理解できない、何を話したらいいか分からないと感じていました。言語の違いがコミュニケーションの壁に拍車をかけ、無愛想な店員と話すのは気分が滅入り子育てグループに参加しても現地のママたちと共通の話ができず、どこへ出かけても人と心通わせるのは難しいと感じていました。
いまだにカナダ人と自分の違いを感じることもありますが、 時が経ち、最近は「同じ」や「似ている」部分を彼らの中にも見いだせるようになってきたように感じます。そして「同じ」を見つけると一気に親しみが湧いてきます。

例えば、今通っている実習先のデイケア(幼児教育)の指導教員と私の間にたくさんの共通点を見つけました。
指導教員は初日から「何でも質問してね、馬鹿げたアイデアだと恐れる必要なんて全然ないから!」と初めて出会った私に対してもオープンに接してくれ、私はとても居心地よく、のびのびと園児たちと関わらせてもらいました。園児のお昼寝中に話をする機会があり、ディズニー映画が好き、コーヒーや甘いものが好き、そんな身近で楽しい共通点の話から始まり、徐々に結婚や義両親との関わり方についての苦労話や、自分の子供の成長を心配したり習い事を楽しみにしている話など、私と同じような日々の感情の浮き沈みの話に共感していました。
今までカナダ人からそんなに深い個人的な体験や思いを聞く機会がなかった私にとって興味深く、より彼女に親近感を覚えました。自分からも心を開示することができ、彼女と気持ちの面で繋がりを感じることができました。

しかし気持ちの面で共感が生まれたのも束の間、その「同じ」であるという感覚がいとも簡単に「違い」にフォーカスしている自分に気が付きました。
実習一週目には、すべてが新しい環境なので、慣れるのに必死で違いが気にならなかったのですが、二週目になると、私にとっての理想や、当たり前とは違う行動や言動に「うっ」と反応している自分がいました。

例えば、教室で常にコーヒーやコーラ、ジュースを飲み、バーガーやドーナツを食べているイージーゴーイングな指導教員。そのことを批判するつもりがなくても、自分だったら決してしない、自分とは異なる振る舞いということで、心がざわつきました。
そして、その「違い」にフォーカスしている心こそが悩みや苦しみを生み出しているのではと思いました。自分と相手の違いを比較し、正しい、間違っていると自分の価値基準で判断し始め、相手がおかしいんじゃないかと妄想し始めるところからモヤモヤが始まっているのではないかと思いました。
無意識に「違い」に否定的に反応していたようです。

これまで言語、人種、性別、受けた教育、国民性、性格などの「違い」ばかりにフォーカスしていましたが、それは多様性のひとつであり、変えられないものです。
むしろ、違っていて当たり前。わざわざその違いにフォーカスして、自分と相手を切り離して心をざわつかせるよりも、相手と「同じ」ところを見つけたほうが、私にとっては繋がりを感じられるので嬉しいし、心穏やかでいられると思いました。

相手の中に自分と「同じ」ものを見つけようとする時、悲しみ、悔しさ、喜びなどの感情は、共感しやすいのではないかと思います。私たちの誰もが持っているからです。
私たちは様々な感情を経験することで、それらが自分の中にも相手の中にもあると知り、共通点を見つけ繋がりやすくなると思います。 負の感情も正の感情も両方経験していることで、「異なる」と思える人たちにも共感でき、慰めあったり喜びあったりして互いに寄り添い、繋がりを実感できるのではないかと思うようになりました。

実習中にバーガーを食べるという指導教員の行動に対しては違和感を覚えた私でしたが、異なる人や考え方をオープンに受け入れる彼女の器の大きさを感じたことで、教室でバーガーを食べるという行為の是非は、たいした問題ではないと次第に思うようになりました。

さらに最近、この「同じ」を探す目で夫を見てみると、私との共通点が現れてきました。
これまでは、言語の違い、考え方の違い、育ちの違い、性格の違いなど、あうんの呼吸の通じない夫に対し「違い」ばかりが感じられ、国際結婚の大変さにフォーカスしていました。
ところが実習で長時間多くの人と過ごしてから帰宅すると、実は私と夫にはこんなにも共通点があったのかと驚いています。
教員同士や園児との会話が飛び交っているにぎやかな職場から一旦うちへ帰ると、そこは、私にとって心落ち着く静かな場所でした。家で本を読むのをこよなく愛する夫と、庭の花を眺めたりしてうちで過ごすのが好きな私は、内向的、ストイック、自分を犠牲にして家族のために頑張ってしまう、挙句にやってないことを見つけて相手を批判しがちなところなど、いろいろと共通点がありました。結局、似た者夫婦だったのかという発見でした。

「違い」にフォーカスしている時は埋められないギャップに苦しみますが、「同じ」にフォーカスすると、相手との繋がりが感じられます。これまで海外生活を通して感じたやるせなさ、悲しみ、怒りなど負の感情からくる断絶感、孤独感さえも、それを感じたことのある誰かと繋がるための共感力になり、多様性の世界でいろいろな人と繋がるための橋渡しになっていると今回の実習を通して感じました。
長い間、「私とは違う」と一緒くたに見ていたカナダ人の中にも、寄り添える、分かり合える部分がある。私がそれを見よう、繋がろうとしていなかっただけだったんだなと気づかされたこの頃です。

それでは、ここで瀧澤さんにバトンをお繋ぎします。

カナダ/チャウあつよ  







No. PASS