ハートフルコーチの泣き笑い日記

日々の発見やつぶやきなど。

それぞれの「経験」と「べき」


東京の菅原典子です。

下の息子も高校卒業を目前にし、子育て卒業が秒読みとなってきた我が家ですが、しばらく続いていた我が家の「朝起こす」VS「起こさない」問題について書きたいと思います。

ハートフルコーチ養成講座で習った、「朝子どもを起こさない」という取り組み。それは、私が子どもたちに「責任」を教えるためにやってみたいことのひとつでした。
「責任(responsibility)」とは、「自ら反応する能力」のこと。朝起こさないことで、人に依存することなく、自分の行動次第で結果は変えられることを学んでいく、というもの。

心配性の母にずっと起こされていた私は、まさに先生の説明通り、遅刻したことを母のせいにしたことも実際あったし、人をすぐに頼ってしまう癖もあり、自分で考えて自分で行動していけるようになったのは大分大人になってから。我が子たちを私と同じ目に遭わせてはいけない! と焦る気持ちもあり、さっそく講座で聞いたことを興奮気味に夫に話しました。

「だから子どもたちを朝起こすのをやめようと思う」と提案すると、夫はちょっと怪訝な顔で、納得どころか、「そうは思わない」とバッサリ。
私が自分の体験(親にずっと起こしてもらっていたことで自立が遅れたと感じていることなど)を熱く話すと、夫も自分の体験談で反論をしてきました。
「自分は親にずっと起こしてもらっていたけど社会人になって問題なかったし、ちゃんと自立もしている」と。

確かに、夫は人のせいにしたりしないし、社会人として責任ある仕事も数々こなして人からの信頼も厚いし、常にとても前向き。
「朝起こすと自立を妨げる」という私の方程式に当てはまらない夫に内心戸惑いながらも、それでもなんとしても自分の考えを理解してもらいたい私は、感情的に思いを伝え続けました。

夫の言い分は、「遅刻は絶対NG!社会人としてのマナー」とのことで、だから遅刻しないように親が起こすべき、との主張。そうしていくことで、遅刻はしてはいけないんだというのが自然に育っていく、と。そういう夫は時間に厳しく、いつもゆとりをもって出かけています。
一方、私は1分でも長く寝ていたいし、いつも時間ギリギリ人間。(家事もあるし、忙しいし、などいつも何かと自分に言い訳もしているかも・・)

「私は起こさない!」「オレは起こす!」という、お互い相いれない状況はしばらく続きましたが、当の子どもたちはというと、そんな両親の意見や個性の違いをちゃんと見定め、
「母は起こさない人(&朝寝坊)」
「父は心配性で起こしてくれる人(&早起き)」
という認識がすっかり定着。

大学生の娘は、遅刻厳禁の時に限り「〇時に起きていなかったら起こしてください」と家族LINEに。敢えて誰宛てにもしていないところが上手い。(ちなみに毎回自分で起きていますし、精神的に自立しています。)
高校生の息子も、夫の不在中に私の寝坊で遅刻しそうになってしまった際、謝った私に、「ママのせいじゃない。自分のせい。っていうか目覚ましのせい」と笑って。
感情的な夫婦のやり取りを子どもたちの前で繰り広げていたことは多いに反省ですが、それぞれ自立に向け成長しているようでなにより。

そんなこんなの我が家ですが、皮肉なことに、子育て卒業間近の今になって、私たちの「起こす起こさない」バトルもやっと終焉。春から地方大学進学のため一人暮らしをすることになった息子のことで、夫との討論が久々に再燃しました。
今まで「できるようになるまで起こすべき!」と頑なな夫でしたが、ふと、「3月までずっと起こしていて、4月から急に一人で起きられるようになるのかな?」と私は素朴な疑問を。「この残りの数か月で、1人で起きられるように練習させるのも親の役割じゃない?」と冷静に言うと、夫は静かに、「そうだね・・」とすんなり。
私がむきになって感情的になっているときは夫も同様に感情的に言い返しモード。でも言い方やタイミングを変えただけで全く違ったやりとりが生まれるものだなぁと改めて。

先日息子に、父母のそれぞれの言い分について子どもとしてどう思うのか?と聞いてみたところ、「起こす起こさないとかどうでもいい、ちゃんとオレ起きれるし」。
少し呆れた表情でサラっと言ってのける彼が、少し大人びて見え、「確かに!そうだよね・・・」と私も苦笑い。

今まで躍起になって、「起こさないで!」と夫に言っていた私はなんだったのだろう、とふと冷静に振り返ると、自分の体験を反面教師にしたかったというのが一番ですが、子育てについて学んで向き合って試行錯誤していることを、夫に承認して共感してもらいたかった自分もいたのかもしれません。
子育てで意見が合わない時、夫に対して「何で分からないの?」「私は学んでるんだからあなたも学ぶべき!」と言わんばかり(時々声に出ていたかも?)に説き伏せようとしていたように思います。
それぞれ違った「経験」とお互いの「べき」。尊重してほしいと思っていた私自身は、はて、夫の経験や考えを尊重していたのだろうか・・・? など考えが巡ります。

私たちに必要だったのは、「朝起こすか起こさないか」の方法の議論ではなく、「責任」を教えるために私たちは何をするべきなのか? という対話だったのでしょう。私は、朝起きられる子にしたかったわけではなく、将来大人になったときに、目の前の“問題”に立ち向かって、自ら考えて解決できる大人になって欲しかった。
「私たちが望む彼らの自立ってなんだろうね?」「どんな大人になるんだろうね」そんな対話に、今ようやくたどり着いた私たち。いろいろなことに気づいたときには子どもたちはもう巣立ち。私たち二人に、多くのことを教えてくれた子どもたちに感謝を抱きつつ、あと残り僅かの「親」の時間を楽しみたいと思います。

それでは功刀さんにバトンをお渡しします。

東京都/菅原典子 





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