次男の小学校の卒業
奈良の清瀬です。
長男が19歳。
この19年間、ほぼ専業主婦で子育てが大半をしめていました。
長男を妊娠した時から、どこで産むのが安全か。出産してからは、寝てくれない、おっぱいが上手に飲めない、泣いてばかり。
どうしたら寝てくれるのか、どうしたらおっぱいを飲むのか、どうしたら賢い子になるのか。
一難去ってまた一難。問題を解決していくことが、子育てでした。
へとへとに疲れて、子どもに八つ当たり、そして自分責め。
それでも、どうしたら子どもは幸せになるのかを求めつづけました。
けれど、私はなかなか気づかずに、ついには不登校という形で長男は私に伝えようとしていました。
もう、私が解決する手立てがなくなりました。
学び続け、子どもではなく、自分を振り返えざるを得なくなりました。
私が子育てでやってきたことは、出したものを全部食べない、宿題が決めた時間に終わらない、友達と遊ばない、学校に行かない。○○が出来ていない。だから、口やかましく、あれこれしろと責め立てる。
それは、私が問題があると思うところを見つけ、解決しようとする行為。私が子どもを「問題のある子」に仕立て上げていたことに気付きました。
私が作り上げた問題を、私が解決しようとしていたこと、私が勝手に振り回されていたことに気づきました。
そして、「出された食事は全部食べるべき」、「宿題は学校から帰ったらすぐにするべき」、「友だちと外で元気よく遊ぶべき」、「学校に行くべき」と、たくさんの○○すべき、○○でなければならないと私が思い込んでいることにも気付きました。そして、それらは長男には必要ではないことを知りました。
気付きがあってから、私が何もしなくても、子どもが私が思うような姿ではなくても、それなりに考え、行動している姿がたくさん見えるようになりました。
そんな姿が愛おしく思えるようになりました。
一方で、子どもが失敗してほしくない、辛い思いをしてほしくない、もっとよくなってほしい、そんな想いが、解決していこうとしていた自分にあることに気づきました。
そこには愛情もたくさんあることに気付きました。
そんな自分も認めつつ、黙るという愛情を使うことにしました。
長男は少しづつ元気になっていき、主体的な行動に変わってきました。
子どもには生きる力、自分で解決する力がもともとそなわっているということが身をもって知ることができました。
子育てをする上でそれを前提として、握りしめて子どもをサポートすることが絶対条件となりました。学びが頭でわかったではなく、身をもって体感している状態にやっとなってきました。
次男が小学校を卒業するにあたり、「できない子」として私が代わりに問題を解決しようとしたり、代わりにやってあげることは本当に卒業。
19年間の独りよがりな長い子育てはもう終了。
すでにやってきている次男の思春期。
どんなことをやらかしてらくれるのか、私は、どんなふうに見守っていくのか楽しみ。
あとは、親育てをしてもらいながら、一緒に成長していく関係になっていくフェーズ。
これからは、子どもたちは人として成長していく同志。
私は彼らを「できる」前提で、見守って、サポート。
振り返れば、子どもたちの変化や成長が楽しみだなぁと心から思えるようになった自分の変化にも気付きました。
頑張ったね私、19年間の子育て卒業おめでとう。
そんな気持ちになった、次男の小学校の卒業式でした。
奈良県/清瀬美帆
2025年03月24日(月)
No.718
(日記)