「ちゃんと」と「がんばれ」
★★★第22回「泣き笑い日記 オンライン・ホッとカフェ」★★★
【日時】2025年5月25日(日)10〜12時
【参加費】無料
【方法】オンライン(ZOOMを使用します)
【お申し込み】https://ssl.form-mailer.jp/fms/d81b8e93806528
日記の筆者や読者と気軽に語り合うなかで、自分の「今」に必要なヒントを持ち帰ることができる、季節毎の恒例プログラム。春カフェのテーマは「自分で"選ぶ"」ことです。
「瀧澤かおるさんの「自分らしい選択」を読んで感じた「ちょっと訊きたい」「もっと知りたい」を、直接筆者に尋ねてみませんか。
日常生活の中で、仕方ないと諦めていること。いやいややっていること。
実は瀧澤さんにとってはそれこそが、自分らしく生きることの糸口でした。
あなたはどんな糸口を見つけるでしょう?
前回までの様子は、こちらでお読みいただけます。
★★★
東京の菅原典子です。
この春、18歳になった息子が地方の大学に進学し、家を巣立っていきました。
送り出してからの数週間、静かになった家の中で、これまでの子育てを思い返しています。
息子は小さい頃からよく泣く子でした。人見知りが激しく、私の姿が見えなくなると不安でよく泣いていたのを昨日のことのように思い出します。
幼稚園時代も、毎朝「行きたくない」と泣く息子。先生の話によれば、園では楽しく過ごしているとのことでしたが、毎朝のことなので私も憂鬱で、そんな泣き虫なところをなんとかしてほしいなといつも思っていました。
少しでも強い心を持ってほしいと、スポーツをやらせたこともありました。
男の子は絶対スポーツ! という私の理想や憧れが大きく、本人の意向を聞くことなく地元のスポーツチームに入れたのですが、行きたくなくて時々メソメソする息子に、私は、「がんばって!」「泣かないの!」と励ますというより、責めるように言ってしまっていたなと、今でも胸が痛みます。
一方、その後習ったスイミングは大好きで、毎回楽しく通っていました。その他、ピアノや学校の合唱クラブなども、笑顔で参加していたのが印象的でした。チームプレイよりも、自分のペースで進められるものや表現するものが好きだったのだと気づいたのは、だいぶ後になってから。
当時の私は、彼のペースや好みに気づく目をもっていなかったことに大反省です。
彼のペースを無視した私の子育て。小学校にあがってから「うちの子大丈夫かしら、、」の不安と心配はどんどん大きくなっていき、「ちゃんとしてほしい」「なんとかしなきゃ」という焦りは増える一方。
そう、「ちゃんと」という言葉。私の口癖の一つなのですが、それって一体なんだったのだろう・・とふと。
私の中では、「ちゃんと」に含まれるイメージは、おそらく、「正しく」「しっかり」「きちんと」「間違えなく」「正確に」「着実に」のような感じ。私が息子に対しての「ちゃんとしてほしい」は、具体的にはどんなことだったのだろう、一体どんな息子が理想像だったんだろうと振り返ってみると、多分こういうことです。
他の子のように、朝泣くことなくはつらつと登園登校し、楽しく学校生活を送る子
他の子と同じように ママと離れて友達同士で楽しく遊べる子
運動も勉強も人並みにできる子
などなど。
なんとまあ、当時の息子のあるがままとは別の、自分の理想に息子を近づけようとしてきたことに今さらながら頭を抱えてしまいます。
特に学習面での心配は、中学生になってさらに大きくなり、次第に思春期の難しさも顔を出し始め、親子の関係性も少しずつ険悪に。反抗心も芽生え始めた息子へのよい関わり方を模索し、たどり着いたのが“コーチング”でした。
ハートフルの養成講座を通じて、意識して「待つ」「見守る」こと等を学びました。
それまでの私は、不安と心配が原因で、声掛けと言う名のガミガミをたくさんして、「先回り」の常習犯でした。
「できたの?」「ちゃんとやってるの?」など細かくあれこれチェック。(その度に「わかってるよ!」の逆切れの声で険悪に)
定期テストの見直しや、夏休みの宿題の進捗状況など、赤ペン先生のごとく勉強に日々手出し口出ししていました。
しかし、講座で学んでいくうちに、勉強をしないのは私ではなく息子の問題!と腹をくくることができ、勉強に関する干渉を一切やめる決心をしました。とても不安でしたが、学校と息子を信じ、口出しをやめました。
その他にも、意識を変え行動を変えたことで、みるみる関係性はよくなっていきました。
以前はコソコソ観ていた動画も、堂々とリビングで観るようになり、その分自主的に切り上げて勉強に向かうようになりました。また、日常の言い合いが極端に減りました。これは、息子自身も学校の作文に「母との喧嘩が減った」と書いてくれていて、親子共々実感した一番大きな変化でした。
ところが、私の子育てもあと少し!ゴールは間近!と油断したところで、実は、また「ちょっと手を出して」しまいました。
大学入試の小論文対策が進まない息子に、どうしても我慢ができなかった・・。
受験が差し迫るなか、「このままで大丈夫なの?ほんとに間に合うの?」と、心は焦りでいっぱい。でも“学んでいる私”は、そんな心配をすぐには口にしたりはしません。日々様子をうかがいながら、「どう?最近?」「なんか困ってることとか、分からないこととかなぁい?」「大学のサイトでこんな情報載ってたよ!」など、息子の顔色をみながらジャブを入れてみたりしましたが、反応はイマイチ・・。
部屋や勉強机はいつもぐちゃぐちゃで汚い!
金銭的にも、なんとかして浪人せずに合格してもらいたい!
あー心配心配心配―! と心の中の心配が満タンになってしまった私は、
「ごめん!最後のおせっかい! 許して!」と心で叫び、Chat GPTで、小論文のテーマになりそうなキーワードを検索して、関連情報をまとめてプリントアウト。
「はい、あとは自分でやりなさい」と、まるで“親からの最終課題”のよう。
高校生にもなって親が勉強に口を出したり教えたり、逆にすごいね!と友達からは驚かれましたが、それは海外にいた影響も大きいです。
子どもたちの通っていた現地の日本人補習校では、「ご両親は、第二の担任です」といつも言われ、毎日の家での学習が必須でした。日本の勉強に遅れを取ってはいけない!と私も必死でした。
その影響もあり、親が勉強を教えることが当たり前の感覚があり、それが抜け切れていなかったのでしょう。
そして迎えた合格発表の日。息子は、自室で結果を見たあと、リビングにやってきて、「合格した」と報告してくれました。
おめでとう! がんばったね! と潤んだ目で声をかけると、息子もそれにこたえ、そして小さな声で、でも確かな意思と逞しさを込めてこう言ったのです。
「ちゃんとがんばったよ。」
私は、その言葉にハッとしました。
思えば、確かに、ずっと「がんばれ!」という暗黙のメッセージを伝え続けてきた18年間だったような気がします。しかも「ちゃんと」という私の謎の期待も添えて。でももうこれからは私のためにがんばらなくていいからね、自分のための人生を正々堂々進んでいってね、と息子に伝えたいです。
“心配な息子”は、ちゃんと、自分で決めた進路に向かって、自分なりに取り組んで、そして「がんばったよ」と胸を張って言える人になっていた。
たしかに、試験当日、会場から出てきた息子の表情は、今まで見たこともないほど凛々しく、清々しい顔をしていたっけ。
最後の最後まで、私は待てない親でしたが、それでも息子は逞しく育って巣立って行き、私も無事このタイミングで子離れが無事できてよかった。これからは物理的な距離が、お互いのよい成長促進剤になるのがまた楽しみです。
さて、一向に連絡をよこさない息子ですが、先日さっそくサークルに入ったとの一報あり。知らぬ間にちゃんと自立している姿に、ひっそり感動の涙を流している今日この頃です。
それではこの辺で、功刀さんへバトンをお渡しします。
東京都/菅原典子
2025年04月28日(月)
No.723
(日記)