ハートフルコーチの泣き笑い日記

日々の発見やつぶやきなど。

過去に向き合い手放すと


藤岡さんのお子さんへの承認と共に、お子さんが幸せな気持ちになっていることが伝わってきました。
そして、私も承認の大切さを実感しました。

奈良の清瀬です。
子育てのつまずき、悩みから、そこには、子どもに寄り添うのが難しい私がいました。
学びのプロセスで、私にとって、自己探求、自己受容がとても効果的で、大切でした。

先日、高校の部活の同窓会のお誘いがありました。
今までは、会いたい人もいるけれど、それでも嫌だなぁと思って、避けていました。
高校生の時は部活という仲間として仲良くしていたと思うのですが、卒業してからは私から会いたいと思う間柄にはならなかったのです。
それは、高校時代が良かったなぁと思えないし、高校時代の自分が好きではなかったし、自分が嫌なやつだったと思っているからです。

6年ほど前に一度同窓会に参加してみました。
まぁ、その場は、それなりに楽しかったけれど気まづさも残り、それだけ。
その後のお誘いは断っていましたが、私の人間関係のしこりの一つに高校時代のものがあります。
学びをした今、今年は少し会ってみよう、心のモヤモヤの正体を探りたい、良い関係性を作ってみようと思ったので、参加してみました。

席が近い子とは、良い関係を作ろうと意識して、とても楽しく過ごせて、幸せな気持ちでした。

モヤモヤの一つ、ひとりの子との関係性があります。
その子とは、高校2年生の時にとても仲が良かたのですが、徐々に嫌になってきて2年の終わりには凄く嫌いになりました。
そして私は関係性の終わりを告げ、その子が関係の修復を願う姿にさらに嫌気が増して、3年生からずっと、無視やあからさまな嫌な態度をとっていました。
嫌という気持ちと、ひどい事をしたという罪悪感が、残り続けています。

とにかく努めてその子の良い所を見ました。
場を和ませよう、心地良くしようと、とても気配りをしていました。みんなが集まれたのもその子のおかげ。
感謝の気持ちを持つと、嫌な気持ちが軽減し、その子への見方も少し変わりました。
けれど、今回は席の関係もあって、話すタイミングがなかったのと、何かまだ、気まずさが残って話しに行くことができませんでした。

このモヤモヤ、気まずさは何なのか、自己探求をしてみました。
なぜあんな嫌で嫌いになって、酷いことをしたのか。
共感と嫌の奥にある私のニーズ、肯定的意図は何だったのか高校生の私に聴いてみました。

その子の束縛、私に求めて来るもの、過剰に気をかけてくるのが嫌だった。
信頼されていないと感じた。
それは、 

自由が欲しかった。
認めて欲しかった。
わかって欲しかった。
信頼されたかった。
安心感が欲しかった。
私が求める言葉や態度、姿が欲しかった。

そして、学びの過程で、子どものありのままを認めるために、自分のありのままを認める、受け入れるを何度かやってきました。
心が癒され安心して、前に進む体験をしてきました。
今回も、とても醜く、わがままな高校生の私に
「嫌だったんだね、そうだったんだね」と全てを承認して、肯定してあげました。
「そんなふうに思ってもいいよ」と許可してあげました。
重しが外れたように、ふぁっと、とても心が軽くなりました。

当時、私の嫌だという気持ちを誰にも聴いてもらわなかったし、嫌の奥にあるニーズに気づきませんでした。
もうひとりの私は嫌になってはいけない、醜いことをしてはいけないと私を認めず否定していたかもしれません。至らなさを認めたくなかった、恥ずかしさを知られたくなかったから、話せなかったのかもしれません。
そして、相手を責める事、醜い行動をすることで、私のわがままなニーズを正当化するために、私が傷つくことから守るために無意識でやっていたかもしれません。
なんと、健気なことか。

今、過去の私の悪事、黒歴史と思っていたことが愛おしいと思えます。
そして、その子に罪悪感ではなく、心から謝りたい気持ちになりました。
逢いたいという気持ちになりました。
そして、私の心は晴れやかです。

自分に寄り添ってあげることで、心の変化を体感しました。
寄り添うことがどういうことか、なぜ大切なのか、わかってきました。

子どもたちには、自分にしてあげたように、肯定的な意図を意識して話を聴き、気持ちを聴き、ニーズを聴き、認めてあげたいと思います。
そうすることで前向きな心の変化が起き、望む行動ができるようにサポートしたいと思います。

何より、いつでも自分に問いかけ、私自身が心晴れやかに、ご機嫌でいる事で、子どもや周りの人に安心や承認、愛をもたらしたいと思います。

奈良県/清瀬美帆



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