冥土の土産詐欺
こんにちは。大阪の中泉です。
今回より、執筆という新しい挑戦の機会をいただくことになりました。
中泉家は毎日がドラマチックです。
今回はゴールデンウィークの思い出を綴ってみました。
特別な事情を除いて、中泉家の大型連休は「これが人生最後の旅行かもしれないから」と実母から旅の誘いがたいてい来る。今年は韓国ソウル。お気に入りの韓流ドラマの撮影地をめぐりたいらしい。
昔々に思いを馳せても、私は実母との旅行で楽しかった記憶を思い出すことができない。
小学生の時、東京ディズニーランドで迷子になり、怒られたこと。中学生の時、富士山の登山途中でトイレを催したら、「なぜ五合目で行っておかなかったのか」と怒られたこと等々、苦い思い出ばかりが蘇る。
そのあたりがトラウマになっているのか、毎度母から旅の誘いが来るたび、私の中に行きたくないバイアスがかかる。が、母の常套句である「年齢的にこれが最後の旅行かもしらんし、冥土の土産にね、行きたいのよ」というキーワードに負け、結局行くはめになる。
行くと決まると、私は母からの承認を得るために躍起になる。ありとあらゆるSNSの口コミを読み、旅本を複数冊買い、絶対に外さないように食事場所を決め、予約を取る。フライト時間も早朝や深夜を外し、我ながら痒い所に手が届く行程を作る。
ホテルでは冷房の苦手な母のため空調設定は永遠の27度、一番風呂が苦手な母の前に私は入浴、母から「もう寝るの?」と言われるのが嫌で必死に眠い目をこする私。ショッピングは母の歩くペースに合わせ、転ばないようにできるだけ段差のない道を選ぶ。とにかく、どこでもかしこでも体と心が張り詰めて、リラックスできないのである。結果的に、母との旅はおもてなし旅行となり、私は添乗員と化し、目的は「完璧に任務を遂行すること」となってしまう。
しかし結婚し、子どもが生まれてからというもの、この任務の全うを邪魔する3人が現れた。パパ、長男、次男だ。彼らは私の練りに練った完璧なる行程などおかまいなしに行動する。
「面白そうだから」という理由でフラフラとお店に入る。「今食べたいから」という理由で、ソフトクリームを食べる。結果、「お腹いっぱい」と2つ星レストランの食事を残す。言うならば望んで迷子になり、私という監視の目を掻い潜るパパと次男。本気で迷子になるが、「ま、いっか」と困らない長男。
こうなると添乗員としての私のお役目も成すすべ無し。その上、「『迷子になった』ってお店で道聞いたら『かわいそうに〜』って、ソルビン(韓国のかき氷)、食べさせてもらえた!」とか、「イチかバチかバスに乗ったら、たまたまホテルの前で下車できた!」とか、私の人生にはあり得ないエピソードを聞かせてくれる。
「ママは心配したよ! 時間通りに来ないから、事故にでもあったんじゃないかと思って!」と旅の疲れも相まって、平静を装うわけもなく、ものすごく嫌味でヒステリックな私を家族にぶつける。
結局、予約していた夕食時間を変更せざるを得ないことになるのだが、彼ら3人の行動でふと気付いたことがある。自由奔放な行動のおかげで予定どおりに進まず、待たされているにも関わらず、冒険話を聴いている母は楽しそうなのだ。ニコニコしている。
そして私は気づく。時間通り行動しなければいけないと決めていたのは私。「この店を予約する」と決めたのも私で、私が「きっとみんな美味しいというに違いない」と決めたレストランを選んだ。「きっと寒いというに違いない」と勝手に決め、空調を27度にし、良かれと思って、先にお風呂に入った。そうか。私は私が望んで添乗員をしていたのだ。
そう考えると、過去の東京ディズニーランド事件は私が「迷子になってしまった私はだめだ」と思い込み、「心配したのよ」の言葉を怒られたと捉え、富士登山事件は「私のせいで五合目まで戻らないといけなくなった。母に迷惑をかけた私はだめだ」と思い込んでいただけなのかもしれない。
もちろん、過去において母娘問題は諸々あったので私の潜在意識が母と関わることを拒んでしまうのも事実だが、「旅」というカテゴリーにおいてはもしかすると私の思い込みが邪魔をしていたのかもしれない。そう思えたのも「人(親)は変わらない。自分を変えよう」を学んだおかげだ。
「北村(今回、母が行きたいと言っていた韓国の聖地)に行けたおかげで、ますます元気になっちゃった。ありがとうね〜」と帰りの飛行機でお礼を言われたが、「これ以上、元気になるのか。勘弁してほしい」という私の素直な感情と「ありがとう」という母からの素直な感謝が入り混じって、咄嗟の返事に困るまだまだ未熟な私。それでも、あともう少し、冥土の土産詐欺に引っ掛かるのも悪くはないな、と思った2025年のGWでした。
それでは、安部さんにバトンを繋ぎます。
大阪府/中泉あゆみ
2025年06月09日(月)
No.730
(日記)