真面目であるということ
こんにちは。東京の小原です。
「あなたの長所は何ですか?」
この歳になってこの問いに答える機会は殆どなくなりましたが、私が大学生で就職活動をしていた頃は、この問いによく頭を悩まされていました。自分の長所について自信を持ってこたえられるわけもなく、数ある短所の裏返しから当時の私が導き出した答えは「真面目である」ということでした。
学生時代を振り返ってみると、確かに中学・高校・大学を含め、成績はある程度上位をキープするために努力をしていましたし、生徒会をはじめとする委員会活動やボランティア活動などにも積極的に取り組んでいました。生活態度について先生や親から咎められるようなこともなく、いわゆる『優等生』の部類にカテゴライズされていたように思います。
学生の頃まではそんな見られ方をしていることに特段居心地の悪さは感じていなかったのですが、社会人になって徐々にあまり良いものではないように思えてきました。
学校での勉強に関しては良い評価がつくやり方が自分なりにわかっていて、努力の量に応じて成績がついてくるものと考えていましたが、仕事はそうではありませんでした。やり方が決まっているような業務は誰でもこなせる前提で、自分の本業以外に、組織の業務効率化といった課題の特定やゴール設定から検討する必要がある業務を担当することもしばしば。白黒はっきりした答えが出るようなものはなく、どちらを選んでも一定のリスクがあるなかで何を選択していくかを考える、といったものに変わっていきました。努力だけではどうにもならない世界でもあり、時には人との関係値や多少強引な力業で乗り越えるような場面も経験しました。
そんななか、私の「真面目さ」は時として周囲の人から「遊びがない」「頭が固い」「冷たい」という印象を持たれてしまうことがあり、悩みのタネになりました。
さらに「真面目さ」は私自身を苦しめるようになります。
例えば、手を抜くということが怖くてできなくなり、丁寧に仕事をやりすぎてしまった結果、長時間労働となり体調を崩してしまうこともありました。
これは仕事だけでなく育児や家事についても同様で、自分で何とかしようとするあまり、余裕がなくなり、結果的に家族に嫌な思いをさせてしまうこともありました。
結婚した当初、残業続きで掃除機がかけられないことがいやで、夜遅くに掃除機をかけようとして夫に全力で止められたことがありました。実家では母が毎日かならずかけてくれていたこともあり、同じようにできない自分が許せなかったのです。
考えてみれば、専業主婦の母とフルタイム勤務の私ではできる家事の質も量も異なることは当然なのに、「何事もきちんとできる自分でいたい」という思いが強すぎたのでしょう。子どもが生まれてからはさらに時間に追われる日々で、子どもの話を十分に聞けなかったり、口調が強くなったりというのが日常茶飯事でした。
そんなときハートフルコーチ養成講座で、「自分の”べき”に出会う」という課題に取り組むこととなりました。
「シンクの洗い物はその日のうちに片づける”べき“」といった日常生活の具体的な習慣から「時間や約束は守る”べき“」といった価値観にいたるまで、様々な”べき”を可視化するというものですが、このワークをやってみると私の中には大量の”べき”が眠っていることがわかりました。
例えば「ニュースや情報は把握しておくべき」「人権に配慮した言動をすべき」「(子どもに対して)お友達とは仲良くすべき」「受験生は寸暇を惜しんで勉強するべき」などなど。これらの『べき』は、静かに私の中から私の言動をコントロールしていました。そして養成講座を受講している仲間たちにも多くの”べき”がありました。
すべての”べき”が悪いというものではありませんが、一旦立ち止まって「それはみんなにとっての当たり前?」と考えられるようになることで、柔軟性を身につけることができるというものでした。
落ち着いて良く考えると、そもそも性格が真面目かどうかにかかわらず、たくさんの”べき”に振り回されている自分がいることに気づきました。そして手放しても良い”べき”は徐々に解きほぐしていくことで、自分自身をよりセルフコントロールできるようになることがわかりました。
そこで私が子育てに関して手放しても良いと思えたのは「母親は子どものお手本になる“べき”」。
お手本になるポイントがたくさんあること自体は素敵なことですが、“べき”として自分自身を縛りつける必要はないと考えたのです。そこから、子ども達には自分ができないことや苦手なことを正直に打ち明けるようになりました。その頃には小学校高学年になっていた子ども達は、私が苦手なことは率先して自分でやるようになるなど、徐々に頼もしくなっていったように思います。
そして、私の中の「真面目さ」はこれまでもこれからも私を救ってくれる要素である一方で、度が過ぎるとたくさんの”べき”と共に自分自身を硬直化させるものにもなり得ると改めて実感しました。
先日、ふと何気なく「私って真面目なほうだと思う?」と子どもたちに聞いたところ、「ある程度は真面目な気はするけど、抜け感がある」と言われました。中2の息子からは「面倒だと思ってることは結構やらないじゃん」とストレートに言われ、高1の娘からは「抜けてるところがお母さんらしくていいんだよ。大丈夫、お母さんはちゃんと“変”だから」とフォロー(?)してもらいました。
ついにのどから手が出るほど欲しかった”柔軟性”を手に入れたのか、年齢を重ねて良い具合に”もの忘れ”や”手抜き”が身についたのかはわかりませんが、今、いいバランスを見つけることができています。
もし今「あなたの長所は何ですか?」と問われたら、こう答えると思います。
「抜きどころはバランスよく考えつつも、根は真面目なのが私の持ち味です」
それでは、次の菅原さんにバトンをつなぎます。
東京都/小原由佳
2025年08月25日(月)
No.741
(日記)


