ハートフルコーチの泣き笑い日記

日々の発見やつぶやきなど。

立ち止まるチカラ


同じ行為でも「主体的に」取り組むことで、モチベーションが違ってくるのですね。先週の菅原さんの日記を読んで、たまに愚痴りながら物事をこなしている自分を思い出し、反省してしまいました。

こんにちは、東京の㓛刀です。
夏休みが終わり、高3の息子の2学期がスタートしました。9月半ばには共通テストの出願が始まり、大学受験がぐっと間近に迫ってきます。

息子は高3に進級する前の春休みから、調子よく受験勉強に取り組んでいました。ところが6月頃から様子が一変。勉強が手につかず、気づけば音楽を聴いたり、友だちと通話したり、YouTubeを見たり。
とはいえ、よく食べ、よく笑い、会話もするので、最初は気にしないよう心がけていました。しかし1か月ほど経っても状況は変わらず、さすがに心配が募りました。

今年の春の「泣き笑い日記」で、私はこう綴っています。

「受験という山登りが本格的になったら、きっと色々な局面が待っているはずです。自信を失うこともあれば、悔しいこともあるでしょう。そんな時こそトラブルを成長の機会と捉え、心を離さずに見守りたい。」

しかし、いざ目の前に「局面」が訪れると、頭で分かっていても心がついてきません。焦りと不安がじわじわ募るばかりです。
息子はそれを察してか、「最近ぜんぜん勉強してないなあ、マズイよなあ」と私に聞かせるように言ったりします。自覚があることに一瞬ホッとするものの、なかなか動き出さない姿にイライラと不安が積もっていきました。

そんな折、ハートフル・セッションコーチの米澤佐知子さんによる「思春期セッション」を受講しました。息子の状況を話すと、米澤さんはこう言いました。

「息子さんは今、停滞しているわけですね」

その言葉を聞いた瞬間、ハッとしました。「停滞」とは「前に進みにくい状態」であって、「後退」や「下降」とは違います。私はこれまで息子の様子を必要以上にネガティブに捉えていたのだと気づき、心が少し軽くなりました。

では、停滞する息子に私はどう関わればよいのか。考えていると、「伴走者」という言葉が浮かびました。
伴走者とは、ランナーのペースや個性を尊重しつつ、目標に向かって寄り添う存在です。想像の中で私は、辛そうに走る息子の横で、余計な言葉をかけず、ただ静かに並走する自分を生み出しました。そのイメージを持つことで、「こうありたい」とリアルに意識することができました。

さらにセッションで息子の性格や状況を言葉にするうちに、「勉強しないのではなく、できなくなっているのかもしれない」と思えてきました。
これまでも息子は「自分は何のために勉強するのか」とか、「自分がしたくてしている勉強なのか」とか、自問自答しては立ち止まることが多々ありました。中学受験も高校受験もそんな感じで、なかなかスムーズとは言えない道のりでした。
だからこそ大学受験では少しでもスムーズに歩を進めたいと考えていたし、真剣に取り組んでいたと思います。しかし何らかの要因で心に変化が生じ、足踏みしているのが現状なのだろうと、推測できるようになりました。

そんな状態が続いたある日、息子がふと「俺って小さい時、絵を描くのが好きだったよね。原点回帰で描いてみようかな」とクロッキー帳を買ってきました。デッサンの教本に従って、汗をかきながら何時間もかけて、みかん一つを小さな画面に描き上げました。
子どもの頃の自由奔放な筆致とは異なり、ミカンの実の詰まった形をなぞる線は繊細で、慎重に描き進めている様子が伝わる絵でした。決して上手いとは言えませんが、目の前の存在を必死に捉えようとする真摯な姿勢がにじみ出ています。

「なかなか、いいんじゃない?」と声をかけると、息子は、「勉強よりずっと難しいけど、面白い」と満足そうな表情を浮かべました。勉強を後回しにして「突然どうしたんだろう」と思いはしたものの、思いがけない方向から自分を奮い立たせようとする姿に、むしろ微笑ましさを覚えました。

やがて夏休みに入り、のらりくらりしながらも後半には勉強に集中する姿も戻ってきました。息子なりに調子を崩せば自分で立て直し、気分転換も工夫しているようでした。
息子は調子が良いとテンションが上がってきて、「やっとエンジンかかってきた!!」とか「これから俺はやりますよ」とか、自分の実況中継を始めるのですが、それには同調せず、かといって冷ややかにすることもなく、柔らかな空気で朗らかに受け止めるよう心がけています。なぜならそんなことを言っていても、また様子が変わることの方が多いので。

思えば息子は、目的に向かって一直線に突き進むタイプではありませんでした。「そのまま進めば楽なのに」と思える時でさえ、立ち止まって自分を俯瞰し、引っ掛かりを覚えては動きを止めたり、寄り道してみたりする子でした。
その傾向が際立って表れたのが、小学校5年から中学校3年までの不定期登校の時期です。周囲からは、動きがなく停滞しているように、あるいは後ろ向きに見えたかもしれません。しかし実際には、彼自身の内側で必死の格闘が続いていました。親や学校、勉強、友達、さらには生きることや死ぬこと――心に浮かんでくる様々な問題に対して真剣に考え、心と頭で葛藤を繰り返していたのです。どん底のような精神状態に陥ることもありましたが、そうやって正面からもがいたからこそ、その先にかすかな光を見いだせたこともありました。

高校生になった今、息子は以前の自分を思い出して、「もうあんな孤独は懲り懲り」と言っています。
閉じこもって葛藤した時間は、確かに彼にとって苦痛を伴うものでした。でも親から見ると、その孤独は彼の精神を鍛える糧となり、自分の課題を自分で解決に導けるようになってきました。以前は、考えこみたくなると外部を避けていましたが、今は人の中にいながら考えを深めるワザも身につけたと思います。

親は子どもが何かに打ち込んでいると嬉しいし、安心するものです。怠惰に見えたり、現実逃避に思える様子に苛立ったり、焦ったりします。でも、そんな時こそ、それは次へ進むためのホバリング状態かもしれません。と、ここまで書いてようやく私は気づきました、彼が停滞しているように見える時、私は慌てず、ただ静かに見守っていればいいのだと……。

走り続けるだけが力ではなく、立ち止まる時間にも意味がある。そこで親にできることは、走り方を教えることでも道を決めることでもなく、安心して立ち止まれる場所を提供することかもしれません。

ではこの辺で和木さんにバトンを渡します。

東京都/㓛刀知子 





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