ハートフルコーチの泣き笑い日記

日々の発見やつぶやきなど。

3人目の思春期


奈良の清瀬です。
長男、長女の思春期が落ち着きを迎えてきた今日この頃、どうやら次男に思春期が訪れてきました。3回目となれば簡単に対応、乗り越えらると思いきや、まだまだ試されてます。
次男の自己中心的で自分勝手な行動にイライラしてしまいます。

次男に、どうしたい? どうなりたい?を聴くといつも、「自由」。
彼は今、中学一年生。学校はそこそこ楽しんでるし、部活もそこそこ頑張っている。
けれど、学校から帰ると荷物を置いて直ぐにゲームを始め、テレビをつけてYouTubeを見て、学校のChromebookでひたすらショート動画を見る。
つい、「もうやめろ」「いつになったら宿題をするのか」「いつ風呂に入って寝るのか」と言ってしまう。
「わかった、ちょっと待って」「うるさい」と言ったり、怒り出す。

自分がそのような生活、自由にしているとどうなるのか、その結果を引き受けてもらうために余計なことを言わずにいようと思ったものの、ご飯を用意してもすぐに食べずにそれらをやり続ける。
声をかけても、そちらに集中して聴く耳持たず。

自分でスケジュールや目標を立ててもらったり、タイマーを使ったりといろいろ工夫はするものの、まったく守れず。
彼の気持ちを想像したり、思春期だからと受け入れようとするけど、どうにもイライラして、怒ってしまう。

私は、何にイライラしているんだろうか。

彼がやるべきことをやらない。・・・んー?
やるべきこととは?
勉強? 宿題?

それらをやるのは彼で、やったり、やらなかったらどうなるかは彼が引き受けることで、私が困ったり、責任を引き受けることではない、ということがわかってきて、かなり気にならなくなってきた。

親の言うことは上の空な態度?
それは、私も思春期の頃はそうだったなぁ。
で、私はどうしたんだっけ?

それなりに親とケンカしてた。
そのうち、親を黙らせた。
どうやって?
部屋にも篭ったけど、怒られないように、それなりに要領よく、親の望むことをした。
私の感覚では、それなりに反抗期を迎え、やらされた感覚はなく、私自身の選択でやってきたつもり。自分が自由になるために。

どうやら私の「自由」とは、誰かに何かを決められたり、制限されることではなく、自分が決めて選択すること。

だから、親を黙らせるために(心配させない・迷惑をかけない)ために隠し事をしたり、甘えず、大した問題をおこさず、良い子だったような気がする。
それって、一見自分で考え自立しているようだけど、親に頼らず、我慢していたところもずいぶんとある。

あー、私は子どもの我儘な態度、子どもの甘えにイライラしてるんだ。

私自身は、愛されたい、甘えたい、やりたいこと、欲しいものがあるなど、自分中心的なものがあるにも関わらず、それらを無いことにして、自分の自由のために考えて、やってきたようだ。
だから、子どもが考えて行動していないような態度に腹が立つし、私と同じように隠し事をしたり、素直に甘えず反抗的な態度を取ることにもモヤモヤする。

あの頃の私は本当はどんな気持ちだったんだろうか?

疲れた、めんどくさい、だるい。
友だちとうまくいかない時は悲しい、辛い。

そんな気持ちの時、可愛らしく、甘える態度で話を聴いてもらったりするのではなく、口うるさい母に生意気な態度の反抗と自立心でやってきた。
それが私の甘え方だった。
私が気持ちをわかってもらうことは諦めたような気がする。
親を黙らせ、自由になるために。

そう思うと、次男の自由とはどんな感覚なのだろうか?
気質、価値観の違う私と思春期次男、頑張ってると思う。

次男が成長するために私はどんなサポートができるのだろうか。
やっぱり私がこうやって自分を整えること。
イライラなく、整っている状態で、関わることかな。

彼には自分で成長していく力があると信じて、口やかましく言ったり、否定したりしないで、何かあった時に素直に話せる母であること。
彼と一緒にいてお互いがご機嫌になることを探そうと思う。

それにしても、ショート動画が手強い。


奈良県/清瀬美帆




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