“受け身”って悪いこと?
★★★第24回「泣き笑い日記 オンライン・ホッとカフェ」★★★
【日時】2025年11月24日(月・祝)10時〜12時
【参加費】無料
【方法】オンライン(ZOOMを使用します)
【お申込み】
https://ssl.form-mailer.jp/fms/e8a5ee8b868874
ホッとカフェは、日記を読んだ後の「もうちょっと聴きたい」、「もっと知りたい」を叶え、ざっくばらんに語り合い、お互いの経験や知恵を分かち合う場。
今回、取り上げる日記は、藤岡伸子さんの「反発のわけは…」です。
あなたは自分の親に「うるさーい!」と思ったことはありますか。
親にされて嫌だったことを、ふと気づけば子どもにしていたなんて経験はありませんか。
親と子と、どちらの立場も体験している私たち。
体験を話し、皆の話を聞きながら、あなたと親との関係を振り返ってみませんか。
あなたの気持ちを軽くするための場として、このカフェをご活用ください。
ご参加をお待ちしています。
※ 前回までのカフェの様子は、こちらでお読みいただけます。
★★★
こんにちは、東京の㓛刀です。
これまでの日記では、自分の欠点や苦手なことに対する葛藤や克服方法について書くことが多かったのですが、今回は珍しく(?!)自分の“得意なこと”を軸に、最近考えたことを綴らせていただきます。
少し自慢げに聞こえる箇所もあるかもしれませんが、どうかご容赦ください。
私が得意とすること、それは「人と人を繋ぐこと」です。周囲にはクリエイティブな才に恵まれた人がたくさんいます。アーティスト、デザイナー、文筆家、美術史家、編集者、ギャラリスト。各分野で自分のスキルを磨き抜いた個性豊かな彼らは、私にとって常に刺激的な存在です。そうした人たちと接し理解を深めていくうちに、
「この人とあの人が会ったら気が合いそうだし、きっと何か面白いことが起きるのでは?」
と、ひらめく瞬間があります。そのワクワク感はまるで、「あれとこれを混ぜたらどんな化学反応が起こるだろう?」という実験的な好奇心のようです。
そんな私ですが、実はとても内向的で、人の輪に入ることにストレスを感じるタイプです。それが、「この人とあの人を引き合わせたい!」というワクワク感に駆られると、まるで別人のように行動的になり、誰に頼まれなくても二人を引き合わせる場をつくろうと奔走します。
そうして生まれた出会いが仕事に発展したり、新たな人間関係に広がっていったりすることも少なくありません。「㓛刀さんのおかげで〇〇さんと知り合えてよかった」と言われると、本当に嬉しいものです。
ところが最近、この特技について深く考え込む出来事がありました。
1年ほど前、密に仕事でお付き合いのあるAさんに、Bさんを紹介しました。会ってみると、AさんとBさんの間には共通の知り合いのCさんがいることが判明しました。Cさんは私も一度会ったことのある人で、今後もAさんとの仕事で関わる予定の方です。そしてつい最近、Aさんが、「今度、BさんとCさんとDさんの4人で飲もうって話しているんだよね」と言いました。Dさんも、Aさん絡みの仕事でご一緒した人です。その話を聞いた瞬間、私は「そうなんですか」と淡々と答えながら、胸の奥に黒いモヤモヤが広がるのを感じました。
「別に一緒に食事がしたいわけじゃない。でも、なんだか気持ち悪い」
その“気持ち悪さ”を見つめていくうちに、いくつかの感情に気づきました。ひとつは、「Bさんを紹介した私の存在が軽んじられているのではないか」という悔しさや怒り。そしてもうひとつは、「仲間に入れてもらえなかったんだ」という、少し子供じみた寂しさです。
AさんもBさんもCさんもDさんも、それぞれの世界を極めた立派なクリエイターです。そんな彼らの輪の中に入れない自分の力の無さを痛感し、なんだかとても惨めな気持ちにもなりました。同時に、「繋ぎ役としての自分をもう少し尊重してほしい」という思いは消えませんでした。「もう人を繋ぐのはやめようかな」とさえ思い始めましたが、一旦冷静になって、自分の振る舞いを振り返ってみました。
すると、肝心の交流の場をリードするでもなく、引き合わせた人たちの円滑な様子を見届けながら談笑しているだけの自分の姿が浮かんできました。場を作るまで活発だった主体性がプツンと途切れ、受け身の自分になってしまっているのです。
もしかすると私は、「人と人を繋いでいる」つもりで、無意識的に「人と人の間に “自分を”繋ぎ止めている」だけではないか。そんな思いが頭をよぎりました。
元来、極度に内向的な私は人を隠れ蓑にして、自分が「面白そう」と思える場に身を浸しているだけなのかもしれない。だとしたら今回のような気持ちを味わっても仕方がありません。繋ぎ役としての存在感を自ら薄めているのですから。
せっかく自分がもたらした交流の場なら、積極的にファシリテートして、主体的に場を仕切った方が良いでしょう。自分のステップアップのためにも、もうひと踏ん張りしたい課題点です。それを果たせたら、より円滑なコミュニケーションがその場に生まれるような気もします。そうしたらきっと、自分の役目をもっと尊重してもらえるだろうし、それ以前に私自身に自信が生まれると思います。自信が生まれれば、「尊重してほしい」という気持ちも後退するはず……。
でもそれって、正直なところとてもハードルが高いことです。そんな素敵な自分を思い描いたところで重圧がのしかかってきて非現実的。多分できません。では、もっと自分に合った方法はないものでしょうか。
そもそも人を繋げることに、なぜ自分はこれほどまでに積極的なのか。それについて考えてみました。
自分に無い才能や経験、知識を持った人ともっとしっかり繋がりたい、信頼関係を築きたい。だけど真っ向から対峙して信頼関係を持つには、自分のスキルに自信がないし知識や経験もない。そこで本能的に思いつくのが、その人と誰かを引き合わせること、なのです。それによって自分の自信の無さが紛れ、自力では深められない一対一の関係性が新しいネットワークに組み直され、より広がりと強度を生むからなのです。
言ってしまえば私のコンプレックスから生じたコミュニケーション術というわけで、なんだか自分のために他人を利用しているようにも見えますが、結果は決してネガティブなものではありません。おかげさまで良いご縁に結びつくことが多いです。
その理由は、もしかしたら私が媒介に徹しているせいかもしれません。先ほど交流の場での受け身姿勢を嘆いたばかりですが、視点を考えてみるとマイナスと思っていたことがプラスに見えてくるものなのですね。私の受け身姿勢も、そこまで卑下する必要はない気がしてきました。
「能動的」であることは必ずしも活発にアクションを起こすことだけではなく、「能動的な受け身」という姿勢だってあるはずです。例えば交流の場を作り、相手の話をしっかり聞くことや朗らかな空気をもたらすこと、人が勧めるものを素直に読んだり見たりすること、等々、受け身姿勢を磨く術はいろいろ思い付きます。
これまでは無意識に(本能的に)それをしてきましたが、これを機に受け身の在り方を能動的に、自分の良い点として客観的に捉えてみたら面白そうです。人の役に立てるでしょうし、自分の自信に繋がるはずです。そうなれたら私は今回のAさんの話も「自分がやったことが役に立った」と余裕を持って思えるのではないでしょうか。
媒介というのは実態が掴みにくい役どころですが、それを自分のユニークな資質として肯定し、その機能に意識を向けて努めたい。それができたなら、私の今後の人間関係は公私問わずより豊かに、楽しいものに育ってくれると思います。
特技を自慢げに語るどころか、今回も結局、苦手克服の話に転じたところで、次なる和木さんにバトンタッチです。
東京都/㓛刀知子
2025年11月10日(月)
No.753
(日記)


