ハートフルコーチの泣き笑い日記

日々の発見やつぶやきなど。

守り通したもの


こんにちは、神奈川の松下です。

我が家の娘は今大学生ですが、
子育てで一番苦しい時期はいつだったかと問われたら
彼女が中学2年の時に迎えたコロナ禍一斉休校から高校受験までの道のりだったと答えると思います。

私はその頃コロナにより前代未聞に爆増した仕事のため、
姿の見えない感染に怯えながら早朝から夜まで連日出勤していました。
当時の娘は外出もできず、家で一人ぼっちの生活にネット漬け、ゲーム漬けに。
精神的に病んでしまい、ベッドに横たわり天井見ていると涙が止まらない日もあったそうです。

一斉休校明けもしばらく登校できず、私は通勤途中の満員電車の中でずっと娘が泣いている声を電話で聴く日もありました。
ネットでの欠席連絡システムもなかったので、乗換の僅かな時間に今日も休みますと学校へ電話する日々。

そんなもやもや、母娘とも苦しい時期を抜け出す手がかりとなったのは、中学2年生の秋から興味を持ちそうな近隣高校の学校見学へ一緒に行ったことです。
そうすると、学校によって様子や雰囲気が全く違うことに娘自身が気づきました。

学校の説明というよりは大学の合格実績発表会みたいだったり、会場が凍り付いた棺桶のような雰囲気だったり、
通り過ぎる生徒の様子も、真面目そうで折り目正しかったり、健康的で明るかったり。
その中で、一目で気に入った、絶対ここに行きたい!と感じた高校があったのです。
制服がなく、髪型も自由、たまたま見かけた生徒たちが何より伸び伸びしていました。

帰り道、スキップしそうな足取りで「学校が生徒を選ぶんじゃなくて、生徒が学校を選んでいいんだね」と言う娘を見て、私も重い心が軽くなる気がしました。よし、全力で応援しよう。その高校は、娘と私にとってまさに、希望の光となりました。

それを機に少しずつ学校にも行けるようになり、現実世界とのつながりを再構築して行きました。
元々通っていた塾にもあまり行けてなかったのですが、たまに気分が向いた娘が行くと「お、レアキャラ来た」と来ただけで認めてくれました。なぜ来ないのか、とかやっと来たとかジャッジせず、ただ1コマ顔を出しただけで認めてくれたのが、親としては本当に有難かったです。

その後3年生になって生活ペースもなんとか取り戻し、いざ、受験生として願書を提出する段となり、熱望していたA高校の倍率が昨年よりぐんと上がったことで、娘に迷いが生じました。公立高校は一つしか願書が出せないので、安全を狙って一つ下げたレベルのB高校にするか、どうか。

塾長さんからは「本人が決めれば、どちらでもいいです。A高校でも十分可能性はあります。」というアドバイスでした。願書を出すぎりぎりのタイミングで、親子で話し合いました。
私は「A高校が好きすぎて、挑戦して入れなかったらと考えると、怖いと思う。でも、受けなかったら、もし受けてたらどうだったのだろう?と考えてしまうと思う。」と伝えました。そして、逃げずに正面からぶつかってみよう、と娘は自分で心を決めました。

とはいえ、繊細な娘は、受験を控えた模試会場でのピリピリした雰囲気が苦手で、科目途中で帰ってくるなんてこともしょっちゅう。そして、必要な勉強は学校と塾にいる間に終え、家ではリラックスするというミニマムスタイル。夜遅くまで必死に勉強するという感じでもなく、家にいる間は先に進路が決まった友達と電話で笑い声を立てておしゃべりし、試験直前でも終始リラックスしている様子でした。

私は昭和のガリ勉世代だったので、不思議ちゃんを見ているようでしたが、本人なりに考えているのだろうと、勉強ペースは塾と本人にお任せしました。私の役目は、心配そうな顔は見せないこと。私が彼女を信じれば、娘も自分を信じられる。そう思ったからです。にっこり笑顔で、「どんどん後伸びして伸びしろだらけだね〜」と声をかけ、暖かい食事を作って、当日朝までコロナやインフルエンザに罹患しないよう、胸のつぶれる思いで見守っていただけです。

迎えた試験当日。塾の先生方から事前に手紙を渡されました。当日朝に開けてみると
塾長さんからは「実力は問題ない、あとはメンタルだけだ。本番は適当にやれ!」、
他の先生からも「途中で帰っちゃダメだよ!?」等々のメッセージが書かれていました。
「最後の1秒まであきらめずに…」とか「死ぬ気で頑張れ」ではなくて、適当にやれと。途中で帰らずに、最後まで試験受ければOK、と。2人で大笑いしました。先生の心遣いに心から感服し、感謝しました。この軽やかさと含蓄あるメッセージは、到底私には言えません。

そして、娘自身が自分自身に向けて書いたメッセージもありました。受験直前に偶々目にしてしまい、そこには、「たった一人の、大好きで、大切な私へ」とありました。これ以上無理…とならないよう、崩れそうになる自分を試験本番まで必死に支えていたのだと分かり、「ああ、大丈夫だ、私の子育てはほぼ終わったな…」と涙しました。

その後、晴れて合格を手にし、「受験とは、自分と向き合うための場所だった」と言う娘がまぶしかったです。娘が守り通したもの、それはたった一人の、大切な自分自身。それは、これからも、ずっと。きっと変わらないであろうこと。そして、そんな自分が選んだ結果ならば、どんなことでも受け止められる。一番大変だった時期は、かけがえのない経験となりました。

それでは、中泉さんに繋ぎます。

神奈川県/松下いづみ 







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