「普通」からの解放
大阪の中泉です。
私はずっと人とちがうことを選ぶのは、いけないことだと思っていました。
まわりと同じでいることが正解だし、はみ出さないことが正解。
いわゆる「普通」に当てはまることが、正しいことだと信じていたのはつい数年前までの私です。
だからこそ、どこかで私の思う「普通」という、授業中は静かに座り、まわりに合わせることを心がけ、ちゃんとできる子でいる、という極めて主観的な自分の価値観を我が子に押し付けようとしていたのだと思います。
普通とはみんなと同じようにすること。みんなと同じようにできること。それがこの子のためだと、疑いもせずに。
長男が小学生の頃、参観日ではみんなと同じように手を挙げる我が子に笑顔を送ったし、音楽発表会もどこにいるのか探すのが大変なほどみんなに混ざって歌う姿に安堵した。学期末懇談会は毎回、特に問題はないことを確認するための担任との会話。
私の思う素晴らしき「普通」。普通にすくすくと育っている長男をみて「子育てって楽しい!」と思っていたし、「私の子育て、うまくいっている」と思っていました。
ところが、長男誕生から4年後、個性の塊のような次男がこの世に登場します。
「僕は今、外に出たい!」その勢いのまま、陣痛から約2時間のスピード出産。私の心の準備が追いつく間もなく、彼はこの世に飛び出してきました。
「保育園へ歩いていくと決めたのはだれ?竹馬で行く日があってもいいでしょ?」と、当時4歳の彼は、徒歩30秒で着く道のりを竹馬で2時間かけて登園したり、「授業を聞くより、図書室で本を読んでいた方が学びが多いから」と、小学1年で授業をボイコットしたこともありました。
私の人生の中に、「学校からのお呼び出し」なんてことは想定にありませんでした。
母としては、決められたことをしない、ルールを守らない彼の理解ができませんでした。私は、長男で子育てに成功している(と思っていた)のです。だからこそ、次男で失敗するわけがない、と。
私の描いた通り運ばない子育てに、戸惑い、そして勝手に次男の将来を不安に思い、焦りすら感じていました。
そんな折、出産祝いに、と友人からもらった一冊の本、『子どもの心のコーチング』を読み返してみました。そこには「子どもはみな違います。(中略)子どもが、それぞれ違う気質をもって生まれてきていることに気づくことで、その子に合った対応があることを学びましょう。」とありました。
ハッとしました。
「次男は、わがままなわけでもおかしいわけでもない。私と気質が違うだけなんだ」と。
そしてふと、「もしかすると彼には私とは違う、彼が思う普通があり、ただ自分の気持ちに素直にまっすぐに表現しているだけなんじゃないか」と考えるようになりました。
そう考えると、「通園とは普通、徒歩でしょ」と決めたのは私であり本人ではない。「聞く」ことよりも「読む」ことの方が理解度の高い彼にとっては、一斉授業よりも本からの学びの方が深いのでは、という解釈もできました。
今思うと、私と次男のぶつかり稽古のような日々は、母として信じて疑わない「普通」を投げる私に対して、「その価値観、本当に必要?」と投げ返してくれていたのかもしれません。あー、ぶつかり稽古ではなく、キャッチボールだったのか!
私「学校には行こうよ。」
次男「分かった。でも、どこで学ぶかは僕が決めたい。」
私「給食は食べようよ。」
次男「分かった。でも、いつだれと食べるかは僕が決めたい。」
そうやって少しずつ、私が作った「普通」の枠にはめる子育てから、いっしょに枠を考える子育てへと、私自身が変わっていきました。
4月から次男も中学生。「僕はここに行きたい」と自分で決めた中学校への志望理由書にはこのように書いてありました。
――「ぼくはだれかに指示されるような生き方ではなく、自分の考えを持って行動し、人生を楽しみたいです」――
我が子は素晴らしいです。生まれた時と何も変わらず彼は彼のままです。
私が「普通」という呪縛を手放した先には、子どもが自分の足で立ち、自分の言葉で人生を語ろうとする姿がありました。
もう一度、長男の話に戻ります。
今月から高校2年生。先週、「今日は休むわ。ちょっとお腹も痛いし。」と部屋から出てきませんでした。珍しいこともあるもんだわ、位で捉えていた夜、おずおずと話してくれました。
部活内で前々からたまっていた鬱憤を昨日爆発させてしまったのだ、と。今日、どんな顔で部活に行けば分からなかった、と。だからお腹が痛いわけではないので心配しないで、と。
バツの悪そうな長男を横目に私の心の中は「あーここまで成長したんだな」と嬉しくなりました。
人一倍、波風を立てることを嫌う彼が、鬱憤を爆発させたということ。それは、ただの衝動ではなく、自分の思いを無視しなかった証のように思えました。そして、「自分はどうしたいのか」を考えながら人と関わろうとしている。自分の人生を自分のものとして大切にしている!と。
かくいう私も。
こどもたちのように、私は私の思う「普通」を手放し、迷いながら、笑いながら、時には泣きながら、私の人生を楽しみたいと思います。
それでは安部さんに繋ぎます。
大阪府/中泉あゆみ
★★★第26回「泣き笑い日記 オンライン・ホッとカフェ」のご案内★★★
【日時】2026年5月16日(土)午前10時〜12時
【参加費】無料
【方法】オンライン(ZOOMを使用します)
【お申込み】https://ssl.form-mailer.jp/fms/23a67c67880276
日記を読んだ後の「もうちょっと聞きたい」、「もっと知りたい」を気楽にシェアする、オンラインのこのカフェ。今回、話題にするのは和木 郁さんの「子どもは常にベストを尽くしている」です。
子どものダダに手を焼いたことはありませんか?
どうして私がこんな目に⋯と、まわりや自分を責めたことはありませんか。
我慢しすぎてはいませんか。
このカフェは、感じているままのことを吐き出せる場です。
そこから何かが始まるかもしれません。
どうぞ、お気軽にご参加ください。
※ 前回までのカフェの様子は、こちらでお読みいただけます。
★★★
2026年04月20日(月)
No.776
(日記)


