ルール更新の効果はいかに!?
石垣さんの「続・家族会議」を拝読し、ご家族のコミュニケーション力の高さに驚くとともに、家族会議が“決めつけ”の抑止力になることになるほど納得! さらなる後日談が知りたくなりました。
東京の平沢です。
この春、高校生になった次男。新しいステージにあがったわけですが、我が家のルールも長男のときに決めた高校生ルールにバージョンアップしました。
中学生までのルールは、細々と制約の多いものでした。たとえば、ゲームは1日1時間まで、スマホやゲームは自室に持ち込み禁止、夜更かし禁止など。制約が多かった理由は、中学生時代に自分で自分のことが管理できる準備をしてもらうためでした。
高校生のステージは、準備期間は終了で、いよいよ親の介入なく、「やることをやれば、自由にしてよし。」に更新です。
「やること」というのは、健康的な生活を送ること、学生の本分を全うすることの2つです。要は、自分で健康管理をしなさいね、学生としてしっかり学んで見聞を広めなさいね、ということです。それをしていれば、親がアレコレ言うことはなし、ただし、やれなければ中学生ルールに逆戻り、と、そう宣言した春。
中学生ルールの時の次男は、決まりにのっとって過ごすのが性にあっていたのか、制約の多いアレコレにそれほど反抗することもなく、なじんで日々を過ごしていました。そんな生活から、これからはゲームの時間も勉強の取り組みも自分で決めて、やりたいようにやってね、という自由度全開の生活がスタートしたのです。
そして、いま、夏を目の前にどんな状況かと言いますと、嬉々としてのんびりを満喫している次男です。いそいそとスマホを部屋に持ち込み、動画や漫画を楽しんでいる模様。中間テストも相当油断して結果は散々なものでした(結果は本人からではなく、保護者に通知され知ったのですが)。
でも、スマホやテストの結果については、私が不安に感じることはありません。結果がついてこなければ、中学生ルールを適用するだけですので。
不安なのは、自由度全開の生活がスタートしたのに、次男が“見聞をひろめるための自由”を満喫してないことなのです。
2024年06月10日(月)
No.677
(日記)
続・家族会議!
鈴木さんの日記を読んで、息子さんの個性や資質を受け容れて楽しみながら成長を見守る姿が素敵だと思いました。と同時に、私は子どもにどれだけ選択を任せられているだろうか?と背筋を正される思いがしました。
石川県の石垣です。
前回の日記『やってみた! 家族会議』に綴った我が家の取り組みがどうなったのか、今日はその後について書きたいと思います。
家族会議を知った当初は、話し合い学習が好きな息子にはいいかも! と思ったものの、「なんだか面倒くさそうだな…」と感じて、なかなか取り組めずにいました。しかし、何度注意しても直らない息子(小6)の行動に夫婦共にほとほと困り果て、万策尽きて家族会議の開催に踏み切ったのです。
初めての家族会議の内容は前回の日記を見ていただくとして…。2回目の家族会議では、それぞれが決めた取り組み事項についての振り返りを話し合いました。
息子の取り組み事項は3つ。�.乾澆鯤�別して捨てる、�∋�科矯正装置(マウスピース)をきれいに磨く、�CΔい隻�は洗濯しやすいように籠に入れる(表に返す、ポケットの中身を出すなど)。そして、私と夫は息子の� 銑�の取り組みについて『たくさん褒める(できたことを認め、言葉で伝える)』です。
2024年06月03日(月)
No.676
(日記)
息子に選択を任せるワケ
片付けひとつとっても、気質によって異なるその定義。
相手を知ることで、相手に対するイライラが受容に変わり、初めて、お互いがハッピーになれる方法を一緒に作っていくことができる、そんな一連のプロセスを瀧澤さんの日記を読んで感じました。
インドネシアの鈴木です。
最近、インドネシア人家族から「なぜあなたたち夫婦は子どもにそれほど選択肢を与えるのか?」と聞かれることが重なりました。
確かに、幼児の時の「着る服は何にする?」に始まり(その当時、息子が選ぶのは決まってピンク!)、10歳になった今は、通う学校も息子が選ぶようになりました。
選ぶとは言っても、学校に関しては学費、通学時間等、大人の事情もあるので、多様性(日系、シンガポール系、華僑系、インドネシア系、ニュージーランド系)をもたせた上で5校に絞り、あとは息子が自分で見学に行って決めた次第ですが。
彼らが私たちに対して、「子どもに必要以上に選択を委ねているのでは?」と感じていたことは私にとって新鮮な驚きで、改めて「なぜ息子に選択させているのか」について考えるきっかけとなりました。
今回の日記ではその「なぜ?」について私なりにひも解いてみたいと思います。
2024年05月27日(月)
No.675
(日記)
どうして片付けようとしないのか…
娘さんの態度に対するモヤモヤした感情がどこから来るのかを深堀し、ご自身の反応をしっかりと受け止め進んでいるチャウさんの日記を読んで、相手だけでなく自分の感情ともしっかり向き合うこと、そして受け入れることの大切を改めて感じました。
我が家の娘も同じ歳頃、良い関係を構築するうえでの参考にしたいと思いました。
タイの瀧澤です。
1年半くらい前、リビングルームの机や棚の上が娘の物で散らかり、私が「片付けなさい!」と言うことが続く、「片付けバトル」が勃発している時期がありました。
当時10歳の娘は家にいるほとんどの時間をリビングルームで過ごしていました。動画をみたり、創作活動をしたり、読書をしたり、好きなことを自由にするのは良いことなのですが、「まだ使うから」「明日も続きをやるから」と、使ったものを出しっぱなしにするのです。
まだ使うなら、と私もそのまま見守ることにするのですが、それが何日も続くうえに、範囲がリビングテーブルからダイニングテーブルへとどんどん広がっていき、「いい加減に片づけて!」と私のイライラが爆発する、そんな状況が続いていました。
リビングルームの机は家族で共有するのだから、皆が快適に過ごせるように片付けてほしいと伝えていました。何度言ったらわかるのか、どうして片付けようとしないのか、私には理解できずにイライラが募っていました。
2024年05月20日(月)
No.674
(日記)
負けず嫌い
自分にとって心地良い音楽を聞ける場所に積極的に出かけたことで、心に余裕が生まれ、それをきっかけに妊婦さん一人一人に寄り添える助産師さんへと変わっていかれた落合さん。自分を好きのパワーで満たす大切さを感じました。
カナダのチャウです。
先日、久しぶりに11歳の娘と夕食後にトランプでクレイジーエイトというゲームをやっていた時のことです。
途中までは楽しく遊んでいたのですが、私がもうすぐ上がりそうと察したとたん、娘は自分の番を待たずに山札からカードを引いたり、それを正当化するようなことを言い始めました。意地になって自分が勝てるまでゲームを続けようとしているようでした。
数年前、当時中学生だった次男と娘と私の三人でモノポリーやSORRYなどのボードゲームが
ブームだった時も、娘は負けそうになるとルール違反したり、機嫌が悪くなったりして最後が
うやむやになることがよくありました。
5つ歳上の次男は妹が機嫌悪くなるのを避けるようにやんわりと諭して、事を荒立てずにさっさと居間から退散。私も内心モヤモヤしつつも、娘を強く咎めはしないままゲーム終了となることが度々ありました。歳の離れた末っ子の娘は家族からプリンセスのように可愛がられて育ったせいなのか、お兄ちゃんたちと何でも対等に渡り合おうとする頼もしさがある反面、私は彼女の勝ち気なところがずっと気になっていました。
今回はそんな娘の態度をスルーできず、ついに娘に「途中でルールを無視してまで勝とうとす
るなんて面白くない。もう〇〇とはトランプしたくない」とはっきりと言ってしまいました。
これまでモヤモヤしていたものが一気に口から出た感じでした。そうしたら娘は案の定、不機嫌になって、2階の自分の部屋へ駆け上がりこもってしまいました。
やれやれ、どう言えば良かったものやらと考えていると、ほどなく携帯にメッセージがあり、
「ママは私のこと全然わかってない。ママがそんな風じゃ面白くない」と書いてありました。
私の態度の話じゃなくて、あなたの態度について言ってるんですけどと思ったものの、このメッセージだけでは真意がつかめずにいました。結局寝る時間になっても娘と話す気になれず、毎晩しているおやすみ前のベッド脇での会話もせずに就寝となったのでした。
2024年05月13日(月)
No.673
(日記)
世界に一つだけの花
違いや比較は社会や自分が作り出し、そう見ているのは自分だという気づきや、ありのままの輝きを感じることができ、また美しいと感じる渡海さんの柔軟な捉え方に感動し、今回のブログのヒントを頂きました。
埼玉の落合です。
この季節にブログを締めくくらせていただけることに感謝しています。
助産師になってちょうど13年目の春を迎えました。今だからこそ書ける、私の大好きな曲からの気づきを書きたいと思います。
新人助産師の2年間は、学び舎であった看護学校の母体となる総合病院で働いていました。
社会人から40代でこの業界に飛び込んだ私は、一日でも早く「一人前の助産師」になりたいと意気込んでいました。「一人前」とは、妊娠・分娩・産後を通して関われること。出産の前後を通して、五感を、時には六感を使ってあらゆる角度から相手に共感し、寄り添いたいと思っていました。
しかし、現実はなかなか厳しく、業務量の多さと組織の中での役割に追われて、次第に家と職場を往復するだけの日々となっていきました。忙しさのあまり、私はいつのまにか、教科書通りに、学校で学んだ通りに、まるでロボットのように業務をこなす助産師になってしまっていました。そして、休日に自宅に居ても耳にモニターの電子音が残っている感覚に陥っていったのです。
頭の中に居座る音を違うものにしたくて、今の場所から離れたい思いに駆られました。それでも、助産師を辞めようとは決して思いませんでした。幼少の頃、母の妊婦健診に付き添ったおぼろげな記憶のころから、助産師という職業は「産む・育てる」というライフイベントで絶対に必要な存在であると確信していて、「決して辞めない」と心に決めていたからです。家族や恩師の協力や応援も、心の支えになっていました。
そこで、何か音楽を聴きにいってみようと思い立ちました。検索したところ、槇原敬之さんのツアーライブを見つけました。
彼の楽曲は学生時代からよく知っていて、ただただ聴いているだけでも歌詞から景色が想像できて、不思議なくらい魅力的です。他のアーティストに提供した有名な曲もあったり、思い出がよみがえる曲があったりと身近に感じて、複数回のチケットを購入しました。
2024年05月06日(月)
No.671
(日記)
ハートフルコミュニケーションが私にくれたもの
〜第18回「泣き笑い日記 オンライン・ホッとカフェ」(春カフェ)のご案内〜
【日時】2024年5月25日(土)10:00〜12:00
【参加費】無料
【方法】オンライン(ZOOMを使用します)
【お申込み】https://ssl.form-mailer.jp/fms/290b6c35765590
季節ごとの恒例、オンライン・ホッとカフェでは、日記を読んでさらに知りたくなったこと、聞きたくなったことを筆者に尋ね、参加者同士で語り合って、自分に活かせるヒントを持ち帰ります。春カフェで取り上げる日記は、
「ゴウに入ってはゴウに従え」です。
この日記の筆者は、ジャカルタに転居し、カルチャーショックを経て異文化を受け入れるようになったことから、子どもや家族も"異文化”であることには変わりがないのに、なぜなかなか受け入れにくく、イライラしがちなのか、振り返りました。
子どもやまわりが「思い通りにならない」ことにストレスを溜めている方。
そこから抜け出るヒントを見つけに来ませんか。
前回までの様子はこちらでお読みいただけます。
★★★
兵庫の渡海です。
岩田さんの日記を読んで、全ての時間に意味があると思いました。その渦中の時は、一生懸命で見えなかったり、気付けなかったりするけれど、そこにはそれぞれの想いがあり、お互いを思いやる気持ちが存在している。それらの繋がりが、今を作っていると思いました。
今回、この最後のリレーブログを、子育てで悩み、苦しみの暗闇にいた過去の私に『私は学ぶ事でこんなに風に変われるんだよ』と読ませてあげたいと思って書きました。
今、私は、当たり前の日常に輝きを感じます。今この瞬間に在ること、存在自体が尊く、物事(存在)には良い・悪いは無い。“私“が物事をどう捉え、どう受け取るかだけで良い。だから私たちは、この瞬間の輝きを感じさえすれば、いつでも幸せの選択ができると気付いたからです。
この気付きは、息子や娘が私のもとに来てくれ、学びの中で気付かせてくれた最大のギフトです。
ハートフルとの出会いは息子の不適応に悩んでいた頃。真っ暗なトンネルの中を彷徨っているようで苦しく、誰か助けて! と切実に思っていた自分。息子の不適応に加え、娘の「みんなと同じ」ができないに苦しみ、娘を受け入れない私は母親失格なんだと、養成講座では毎回毎回泣いていた自分。
この時の、自分があったからこそ、今の私があるんだと思えます。
子どもが生まれるまで、私は、成果や、目に見える評価に価値があり、それが出来ない人間は努力が足りず価値はないと感じていました。そんな私のもとに、息子と娘が私の力ではどうしようもないこと(体力的・精神的・知的・そもそも生まれ持った能力の違い)を、ある意味強引に、残酷なまでに思い知らせてくれました。人生のしっぺ返しをされたように、私にとって苦しく辛い現実であり、これまで生きてきた自分の価値観の間違いを子供を通して突きつけられたのです。
2024年04月29日(月)
No.670
(日記)
みんなのおかげ
安村さんの日記を読んで、これだけは!とお子さんに教えてこられたことが花開き素晴らしいと思いました。お料理のアイデアもきっと3倍になって返ってくるのではと思うと、安村家の食卓をのぞいてみたくなりました。
埼玉の岩田です。
長女を出産し退院した日は、まるで誕生を祝福するかのようにたくさんの桜吹雪が舞っていました。あれから22度目の誕生日。
今年の長女の誕生日には父と母と娘たちと総勢5人が集まってみんなでお祝いすることができました。一人でやってきたように感じていた日々でしたが、実はたくさんの人の力を借りて今があるということに気付いたことを書こうと思います。
かつての私は、何かひとつのことに集中してしまうと他のことも目に入らなくなってしまうところがありました。
例えば夫の介護中には夫のためと思い、無農薬野菜や無添加食品が良いと聞けば食材を探し回りました。市場に出回っている食材では限界があり、ネットショッピングや出先で見つけた健康食品など、来る日も来る日も食事のことばかり考えていて、それを調理して食べる頃にはヘトヘトになっているような日々でしたが、ある意味それが妻としての使命のようにも感じていました。
2024年04月22日(月)
No.668
(日記)
教えてくれる?
大阪の安村です。
平沢さんの日記をよんで、「メモ+メモが目につく環境づくり」なるほどと思いました。私も、メモが目に付く環境づくり、やってみようと思います。
今回は、教える側から教わる側になったと感じたことを書こうと思います。
子どもたちが大人になった時、自分の食事くらい自分で作れた方が食べることに困らないでいいと思い、小さな頃から料理の手伝いをしてもらって少しずつ子どもができることを増やしていきました。
例えば、一番下は、レタスを一枚一枚はがす、もう1人は、ドレッシングを混ぜる、一番上は包丁で材料を切るというように、その子ができるお手伝いを。
2024年04月15日(月)
No.667
(日記)
記憶術のキモは
なんと偶然にも、昨年度は我が家も家族会議を開催していました。家族はひとつのチームに共感。やってみての後日談も聞いてみたいです。
東京の平沢です。
突然ですが、私は記憶力に自信がありません。たまに、昔あった出来事を克明に覚えている人がいて驚きます。うらやましい限りです。
以前聞いた話なのに、初めて聞いたとばかりに驚いて、逆に驚かれたりします。例えば、「え〜っ、●●さん、双子だったの?」と私、「いや、前に話したよ」と友人。
言われて、はたと思い出すこともあれば、まったく覚えてないこともあります。同僚から、「20年くらい前に、平沢さんのお姉さんのうちに泊めてもらったことがあるよね」と懐かしそうに言われた時は、本当にたまげました。確かにその同僚とは、仕事で姉のうちの近くに行きました。けれども、姉のうちに一緒に泊まったという、記憶がすっぽり抜け落ちている。我ながら空恐ろしい気持ちになります。
長年一緒に過ごしている夫からは、なかば呆れたように「本当におぼえてないの?」と言われることがしばしばあります。どうやら、私の脳内には鍵がかかる箱があり、体験したことはそこにポイポイとしまわれて、厳重に鍵がかけられてしまわれるらしい。いやいや、そもそも、脳の機能のどこかが欠落しているのかも・・・と、ことあるごとに思ってしまうのです(ちなみに暗記能力は普通です)。
家族や友人との間なら、「忘れっぽい人なのね、そんなキャラもいるよね」と許してもらえることも、こと仕事や家の重要なこととなるとそうはいきません。では、どうしているのでしょうか。
私の記憶力を助けてくれる心強い相棒…それは!
2024年04月08日(月)
No.666
(日記)
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