ハートフルコーチの泣き笑い日記

日々の発見やつぶやきなど。

親修行 第二弾


兵庫の羽木です。初めて書かせていただきます。どうぞよろしくおねがいします。

娘さんはきっとこれからも田中さんに見守られて、自分でいろんなことを決めながら成長していけるんでしょうね。素敵な母娘に心からエールを送ります。

初めての投稿は、それに比べてなんとも「ヘタレな親、私」の葛藤のお話です。
昨年の3月、息子が会社を辞めました。就職して2年。このコロナ禍が始まって間もなくのことです。「さて、どうしよう。気を付けなくては!私。」と、最初に思ったことはそれでした。自分が親として、平静を保ち、うるさく口出しせずに息子を信じて見守れるか、という自分の在り方への不安です。
というのは、私は過干渉で息子を潰しそうになったことがあるからです。その頃の私は子どもたちの全てを把握して管理しようとしていました。それが子どものためと一生懸命でした。当時の私なら、「このコロナ禍に会社辞めて大丈夫なの?!」と、すぐに息子を質問攻めにしていたかもしれません。思春期になって、思い切り反抗にあい、息子の状態に悩んでハートフルコミュニケーションを学びました。私が息子から離れることで、初めて息子が自分の将来を自分で考え始めました。そうしたら、自分のこれからのために今は勉強することが大切と考えたらしく、全く勉強をしなかった息子が驚くほど頑張り、充実した大学生活を送ることができました。子育てを学んでよかった。本当に感謝です。でも、当然、彼の人生はまだまだ続きます。
おかげで、息子は自立し、社会人となり、子育てもひと段落。私は親の介護や地域のことや自分の勉強で忙しくなり、頑張る息子を遠くから応援する母になっていた。はずなのですが、「会社を辞めた」と聞いた途端、心がざわついたのです。
「転職か。さあ来たぞ、次の修行」。同じ間違いを繰り返してはいけないと、妙な緊張が走りました。もう一人で暮らし、社会に出ている息子。今は転職も珍しくはない。何をそんなにと笑われそうですね。
2021年03月08日(月) No.502 (日記)

娘が決めたこと


続けて初投稿の田中です。
これからどうぞよろしくお願いいたします。

小林さんのお話、少しドキドキしながら読みました。
娘さんは、おもいもよらない状況に戸惑われたことでしょう。
ともに辿られた時間に胸が熱くなりました。
目標を持ってさらに進み出した娘さんと、それに寄り添う小林さんに、心からエールを送りたいです。

私は以前知的障がい者の通所施設で働いていました。
そこでは、多くの学習の機会を得ました。中でも、「ピープル・ファースト」を知れたことは、私にとって大きな学びでした。
「ピープル・ファースト」は、知的障がいをもつ人たちが、自分たちで自分たちのために発言する、自己権利擁護組織です。文字通り、第一に人間。障がい者であるまえに人間です、という意味です。
「自分のことは自分で決める」を合い言葉に、日本でもピープル・ファースト全国大会が開催されています。
1泊2日の日程で行われるのですが、全体会や交流会、多種多様な分科会に至るまで、知的障がいのある当事者が会議を重ねて決定し、運営しています。
私はそこで、生き生きと自分たちの思いを発信し、自信に満ちあふれた障がい当事者達の姿を目の当たりにしました。
そして親や支援しているはずの職員が、いかに当事者本人の選ぶ機会や決定する機会を奪っていたのかということに気づかされたのです。

通所施設に通う人はみな成人していました。けれど、親からの申し送りでは「お弁当を作れなかったので、昼にはおにぎりを買わせてほしい」「寒くなったらこれを着させてほしい」というようなことがありました。
なかには、食べるものが決まっていることで安心して過ごせる人や、体温調節が難しい人もいます。そういう人たちには当然必要な支援です。
だけど、親の心配をよそに、お昼ご飯を買いに行くとカップラーメンを選ぶし、寒くなったらストーブの前に立ちます。それぞれ十分に本人が心地の良い選択をしているのです。
言葉だけでのコミュニケーションでは通じにくい場合もあり、意思疎通の難しさを感じることもありましたが、彼ら彼女らは確実に自分で選び、決定していました。

あれから20年がたち、私は現在3人のこどもの母親になりました。真ん中の娘には知的障がいがあります。
2021年03月01日(月) No.501 (日記)

娘のひび割れ壺


千葉の小林です。初めて参加します。楽しみながら書きたいと思っています。よろしくお願いします!
山田さんの兄弟の違いを受け入れて親のサポートも変えていく姿勢に、私も二人の兄妹を育てている母として共感しました。

今回は、私と娘(高校1年第2子)について書きたいと思います。
娘は中高一貫の女子校に通っています。中学生になったときに歌劇部という宝塚歌劇団をモチーフにした部活に入りました。娘は思ったことをはっきりと伝える性格で、小学生の頃、お友達に「その服、あまり似合ってないね」と言ってしまい、そのお友達のお母さまから酷いことを言われましたとご指摘を頂く次第でした。
娘に「言われたら嫌なことは、人に言ってはいけないんだよ」と注意すると、「似合ってないって教えてもらえたら嬉しいと思うのだけど」と返ってきたので、言われたら嫌なことは言わないという定説みたいなものは、この子には通用しないんだ・・と途方に暮れました。どう伝えたらいいのか、答えはでませんでした。私はどう娘に伝えたらいいのかわからず、繊細なお友達は娘に近寄らずにいてほしいな・・と、正直なところ、あまり問題に向き合えませんでした。
2021年02月22日(月) No.500 (日記)

目には見えない気持ち・・・


彼の気づき


迷ってぐるぐる


初春の学び


娘のおこもり生活


大阪の桜井です。
楠野さんのお話の中に出てきた「新しい自分に出会うための筋肉痛!」、これからも思い出
していきます!

今回は、大学生になった娘の話をしたいと思います。
娘は3人兄弟の男の子に挟まれた真ん中の子です。マイペース過ぎるところもあるけれども、細かいことは気にしない、わりとさばさばした性格です。私が兄や弟のことで悩んでいる時も、時には一緒に愚痴ってくれたり、「とりあえず、おいしいもんでも食べとこか〜」と励ましてくれる、なかなかありがたい存在です。去年の4月から大学生になったので、これからもっと一緒に出掛けたりしたいなぁ〜ととても楽しみにしていました。

ところがコロナ禍で娘は大学に通うこともほとんどなく、代わりにレポートの提出の締め切りに追われる生活になりました。授業ごとに課題が出るので、結構な量だったようです。そんななか、大好きなユーチューブもかなりの時間見ています。さらにサークル活動も始めて、夜中にオンラインでの話し合いや友達との会合を毎日近くしていました。週に2回程度のバイト以外はほとんど自分の部屋にこもるようになりました。レポート作成やオンライン授業や会合の合間に自分の部屋でご飯を食べて、夜中にお風呂に入って、洗濯物を出す、そんな生活になりました。あっという間に昼夜が逆転してしまい、食べて座ってばかりいるせいか、体重も大幅にアップ、顔中にニキビがいっぱいになりました。
2021年01月18日(月) No.495 (日記)

筋肉痛


東京の楠野です。
五十君さんブログを読んで心が震えました。自分ではどうにもならない現実に直面して葛藤の末にたどり着いた、ひとまわり逞しくなった自分。現実は変わらないけれど、その現実を受け止められる自分に変わることはできる。いぎみさんの体験はそのまま私自身の勇気へと変換されました。心からのエールと感謝を送ります。

新しい自分になるための葛藤って、筋肉痛みたいなものだなと常々思っています。
激しい運動をすると筋肉痛になりますよね。なんとも耐えがたい鈍痛。あれ、壊れた筋繊維を自己修復機能が働いている証拠だそうです。一度筋肉は壊れ、再生される時に筋肉が成長する。つまり、成長のためには一度壊れる必要があり、修復するのに痛みを伴うのです。
痛いというのは成長の過程で避けては通れないものであるけれど、紛れなく成長に向かっている証。

シンドイなと感じる時、筋肉痛をイメージするようにしています。この辛さ苦しさは、自己成長するためにもがいている証なんだ。痛みは徐々に引いていき、この葛藤の先に必ず新しい自分が待っているんだと。

ハートフルコミュニケーションと出会ったのは、それまでの人生で最も大きな挫折を体験し、もがいていた時でした。

それまで順風満帆、女性の地位を確立するんだ!と勇しく仕事に取り組んでいた30代後半、そのまま課長職に昇格。実績を積んでいた部署でのスライド昇格だったので仕事も部下も何の問題もなく、この部門で歴史を作るぞと意気込み、2年の間に新しいことに次々挑戦していた矢先、突然今までのキャリアとは関係ない部署への異動辞令。
今となればマネージメント力を磨く機会を与えられたわけですが…当時は異動させられたという敗北感に頭と心は占拠され、ズタボロのお粗末な状態で、なかなか気持ちを切り替えることができないでいました。
ただでさえ諸々問題を抱えていた部署は、そんな私の後ろ向きな態度が引き金となって、部下の不満が爆発。13人の組織は真っ二つに割れてしまいました。
もう12年前のことですが、そこでの2年間の経験は今でも振り返るたびに冷や汗が出ます。
2021年01月11日(月) No.494 (日記)

被害者ポジションと解決者ポジション


あけましておめでとうございます。
五十君です。

來山さんの親としての覚悟、ずしんと我が身に響きました。
ついつい子供たちが心配になって口や手を出してしまいそうになりますが、彼らの力を信じて見守っていきたいと改めて思いました。

私は今回、被害者ポジションと解決者ポジションについて書きたいと思います。

今私は夫の転勤で12月から中国に来ているのですが、年末に1ヵ月にわたる隔離期間がようやく終わろうとした時、会社の業務上の事情により中国の他の都市に移動するよう指示がありました。3人の子供達が通う学校について半年かけて調べたり、オンラインで何度も面接やテストをしてもらい、子供達もようやく年始から登校できることを楽しみにしていた矢先でした。現地での住まいも探し、新しい生活に家族全員の気持ちが向かっていた最中の突然の変更に、頭も心も混乱し、正直心がぽきっと折れてしまいました。
また別の都市に移動となれば、子供の学校も選び直さなければならない、中3長男の受験もやり直し、さらに他都市から入ってきた人はコロナ予防で2週間学校へ通うことも許されない、家探しもゼロからやり直し、など戸惑いや不安が次々と溢れ出し、夜中に何度も目を覚ましてしまうほどでした。
2021年01月04日(月) No.493 (日記)

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