ハートフルコーチの泣き笑い日記

日々の発見やつぶやきなど。

目には見えない気持ち・・・


彼の気づき


迷ってぐるぐる


初春の学び


娘のおこもり生活


大阪の桜井です。
楠野さんのお話の中に出てきた「新しい自分に出会うための筋肉痛!」、これからも思い出
していきます!

今回は、大学生になった娘の話をしたいと思います。
娘は3人兄弟の男の子に挟まれた真ん中の子です。マイペース過ぎるところもあるけれども、細かいことは気にしない、わりとさばさばした性格です。私が兄や弟のことで悩んでいる時も、時には一緒に愚痴ってくれたり、「とりあえず、おいしいもんでも食べとこか〜」と励ましてくれる、なかなかありがたい存在です。去年の4月から大学生になったので、これからもっと一緒に出掛けたりしたいなぁ〜ととても楽しみにしていました。

ところがコロナ禍で娘は大学に通うこともほとんどなく、代わりにレポートの提出の締め切りに追われる生活になりました。授業ごとに課題が出るので、結構な量だったようです。そんななか、大好きなユーチューブもかなりの時間見ています。さらにサークル活動も始めて、夜中にオンラインでの話し合いや友達との会合を毎日近くしていました。週に2回程度のバイト以外はほとんど自分の部屋にこもるようになりました。レポート作成やオンライン授業や会合の合間に自分の部屋でご飯を食べて、夜中にお風呂に入って、洗濯物を出す、そんな生活になりました。あっという間に昼夜が逆転してしまい、食べて座ってばかりいるせいか、体重も大幅にアップ、顔中にニキビがいっぱいになりました。
2021年01月18日(月) No.495 (日記)

筋肉痛


東京の楠野です。
五十君さんブログを読んで心が震えました。自分ではどうにもならない現実に直面して葛藤の末にたどり着いた、ひとまわり逞しくなった自分。現実は変わらないけれど、その現実を受け止められる自分に変わることはできる。いぎみさんの体験はそのまま私自身の勇気へと変換されました。心からのエールと感謝を送ります。

新しい自分になるための葛藤って、筋肉痛みたいなものだなと常々思っています。
激しい運動をすると筋肉痛になりますよね。なんとも耐えがたい鈍痛。あれ、壊れた筋繊維を自己修復機能が働いている証拠だそうです。一度筋肉は壊れ、再生される時に筋肉が成長する。つまり、成長のためには一度壊れる必要があり、修復するのに痛みを伴うのです。
痛いというのは成長の過程で避けては通れないものであるけれど、紛れなく成長に向かっている証。

シンドイなと感じる時、筋肉痛をイメージするようにしています。この辛さ苦しさは、自己成長するためにもがいている証なんだ。痛みは徐々に引いていき、この葛藤の先に必ず新しい自分が待っているんだと。

ハートフルコミュニケーションと出会ったのは、それまでの人生で最も大きな挫折を体験し、もがいていた時でした。

それまで順風満帆、女性の地位を確立するんだ!と勇しく仕事に取り組んでいた30代後半、そのまま課長職に昇格。実績を積んでいた部署でのスライド昇格だったので仕事も部下も何の問題もなく、この部門で歴史を作るぞと意気込み、2年の間に新しいことに次々挑戦していた矢先、突然今までのキャリアとは関係ない部署への異動辞令。
今となればマネージメント力を磨く機会を与えられたわけですが…当時は異動させられたという敗北感に頭と心は占拠され、ズタボロのお粗末な状態で、なかなか気持ちを切り替えることができないでいました。
ただでさえ諸々問題を抱えていた部署は、そんな私の後ろ向きな態度が引き金となって、部下の不満が爆発。13人の組織は真っ二つに割れてしまいました。
もう12年前のことですが、そこでの2年間の経験は今でも振り返るたびに冷や汗が出ます。
2021年01月11日(月) No.494 (日記)

被害者ポジションと解決者ポジション


あけましておめでとうございます。
五十君です。

來山さんの親としての覚悟、ずしんと我が身に響きました。
ついつい子供たちが心配になって口や手を出してしまいそうになりますが、彼らの力を信じて見守っていきたいと改めて思いました。

私は今回、被害者ポジションと解決者ポジションについて書きたいと思います。

今私は夫の転勤で12月から中国に来ているのですが、年末に1ヵ月にわたる隔離期間がようやく終わろうとした時、会社の業務上の事情により中国の他の都市に移動するよう指示がありました。3人の子供達が通う学校について半年かけて調べたり、オンラインで何度も面接やテストをしてもらい、子供達もようやく年始から登校できることを楽しみにしていた矢先でした。現地での住まいも探し、新しい生活に家族全員の気持ちが向かっていた最中の突然の変更に、頭も心も混乱し、正直心がぽきっと折れてしまいました。
また別の都市に移動となれば、子供の学校も選び直さなければならない、中3長男の受験もやり直し、さらに他都市から入ってきた人はコロナ予防で2週間学校へ通うことも許されない、家探しもゼロからやり直し、など戸惑いや不安が次々と溢れ出し、夜中に何度も目を覚ましてしまうほどでした。
2021年01月04日(月) No.493 (日記)

親の役割


涙の話


「話すこと」「書くこと」を通して〈私には大切なものは全て備わっている〉と思い出した名和さん。しっかりと自分と向き合い対話できる名和さんは弱虫なんかじゃないですね!

これまでのブログを読み返してみると私は毎回泣いています。自分でもよく泣くほうだという自覚もあります(笑)。そんなわけで今回は涙の話をしようと思います。

私は不安やイライラが高まると(ああ、そろそろ限界だな)と気づくことがあります。
心の奥にどす黒い影がもやもやと湧いてきて形を成すことなく漂う感覚です。
そうなると何もできない、どうにもならない。そんなふうに気持ちが落ち込んでいくのです。
そうした気持ちに気づいたとき、私は会社に向かう車の中で泣きます。
まずは大好きなロックバンドの曲を大音量で流しながらテンションを上げ、心に染み入る曲に変わったとき、思い切り涙を流すのです。流れる涙を拭うこともせず、ときには声を上げながら泣きます。小さな交差点。信号待ちの対向車のドライバーに私の泣き顔が見えているかもしれません。でもそんなのお構いなしに泣き続けます。
すると会社に着く頃には涙と鼻水とともに黒いもやもやも少しは小さくなっています。
不思議なものでこういう状態のとき、ひとりで泣くのが私にはストレス発散になるようなのです。それはまだ誰かに話す段階にない、つかみどころのない気持ちの揺れに、押しつぶされないようにするための無意識の自衛策なのかもしれません。
だから私は心が悲鳴を上げたら車に乗り込みボリュームを上げることにしています(笑)。

そんなふうに積極的に泣くこともある私ですが、自分でも思いがけず流した涙もあります。それは母が亡くなったときのことでした。
2020年12月14日(月) No.491 (日記)

話すこと、書くこと


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