ハートフルコーチの泣き笑い日記

日々の発見やつぶやきなど。

被害者ポジションと解決者ポジション


あけましておめでとうございます。
五十君です。

來山さんの親としての覚悟、ずしんと我が身に響きました。
ついつい子供たちが心配になって口や手を出してしまいそうになりますが、彼らの力を信じて見守っていきたいと改めて思いました。

私は今回、被害者ポジションと解決者ポジションについて書きたいと思います。

今私は夫の転勤で12月から中国に来ているのですが、年末に1ヵ月にわたる隔離期間がようやく終わろうとした時、会社の業務上の事情により中国の他の都市に移動するよう指示がありました。3人の子供達が通う学校について半年かけて調べたり、オンラインで何度も面接やテストをしてもらい、子供達もようやく年始から登校できることを楽しみにしていた矢先でした。現地での住まいも探し、新しい生活に家族全員の気持ちが向かっていた最中の突然の変更に、頭も心も混乱し、正直心がぽきっと折れてしまいました。
また別の都市に移動となれば、子供の学校も選び直さなければならない、中3長男の受験もやり直し、さらに他都市から入ってきた人はコロナ予防で2週間学校へ通うことも許されない、家探しもゼロからやり直し、など戸惑いや不安が次々と溢れ出し、夜中に何度も目を覚ましてしまうほどでした。
2021年01月04日(月) No.493 (日記)

親の役割


涙の話


「話すこと」「書くこと」を通して〈私には大切なものは全て備わっている〉と思い出した名和さん。しっかりと自分と向き合い対話できる名和さんは弱虫なんかじゃないですね!

これまでのブログを読み返してみると私は毎回泣いています。自分でもよく泣くほうだという自覚もあります(笑)。そんなわけで今回は涙の話をしようと思います。

私は不安やイライラが高まると(ああ、そろそろ限界だな)と気づくことがあります。
心の奥にどす黒い影がもやもやと湧いてきて形を成すことなく漂う感覚です。
そうなると何もできない、どうにもならない。そんなふうに気持ちが落ち込んでいくのです。
そうした気持ちに気づいたとき、私は会社に向かう車の中で泣きます。
まずは大好きなロックバンドの曲を大音量で流しながらテンションを上げ、心に染み入る曲に変わったとき、思い切り涙を流すのです。流れる涙を拭うこともせず、ときには声を上げながら泣きます。小さな交差点。信号待ちの対向車のドライバーに私の泣き顔が見えているかもしれません。でもそんなのお構いなしに泣き続けます。
すると会社に着く頃には涙と鼻水とともに黒いもやもやも少しは小さくなっています。
不思議なものでこういう状態のとき、ひとりで泣くのが私にはストレス発散になるようなのです。それはまだ誰かに話す段階にない、つかみどころのない気持ちの揺れに、押しつぶされないようにするための無意識の自衛策なのかもしれません。
だから私は心が悲鳴を上げたら車に乗り込みボリュームを上げることにしています(笑)。

そんなふうに積極的に泣くこともある私ですが、自分でも思いがけず流した涙もあります。それは母が亡くなったときのことでした。
2020年12月14日(月) No.491 (日記)

話すこと、書くこと


子どもの「好き」を見守る


心が軽くなった秋


秋ですねぇ


「うざい」ってどういうこと?


恋焦がれた自己肯定感


鎧を外す


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