見守る(その2)
すっかり秋の陽気となりました。群馬の渡辺照子です。
植松さん、「知って欲しい」「成功体験をして欲しい」という状態から、「見守る」というスタンスに移行なさったプロセスに、“あっぱれさ”を感じました。
幼かったときお母さんがやさしく見守ってくれたことを、植松さん思い出されていましたね。私自身は「見守る」ことは、子どもが幼かったときよりも、今の方がずっとできるようになったと思います。しかし、子ども達が二十歳になったこの頃も、時に見守れない時があります。自分としては、こう思うんだ!こう感じるんだ!ということを、つい口出ししたくなってしまう。特に、子どもたちの進路(キャリア)などに対して。
私の母も、私にとって見守り型の存在です。エピソードを一つ。
大学卒業後、公立中学の教員になり、初めて担任になりました。私は生徒たちに、「私は学校の中で一番年齢があなたたちに近いから、あなたたちの理解がしやすいよ。味方だよ」というオーラを発していたのですが、最初の内それは伝わらず、「変なおばさん」というまなざしで、見られてい
た気がします。
なんで生徒たちとの距離を縮められないのだろうと焦る日々。教科の指導も、部活指導もままならない上に、問題行動のあった生徒さんの対応、不登校の生徒さんの対応、朝から夜遅くまで学校に居続ける毎日。
2016年10月03日(月)
No.269
(日記)
見守る
こんにちは。静岡の植松です。
十五夜も過ぎ、朝晩は寒くなりすっかり秋めいてきましたね。
過ごしやすい半面、夏好きの私には何となく寂しい季節の変わり目です。
さて、さっくんがキャベツの千切りを食べてくれたときの堀さんの喜びよう!!ウンウンと頷きながら読ませていただきました。
親の喜ぶ顔が見たいと、頑張って千切りのおかずを食べるさっくんもいじらしいですね。
子どもにとって何がモチベーションになるのか、探り当てることが親の知恵だよなと再認識しました。
かくいう私も、息子のモチベーション探しに余念がありません。
我が家の息子が空手を習いだして、もうすぐ1年が経とうとしています。
時々「空手、行きたくない〜」という日もありますが、なんだかんだと週2回の稽古に通っています。
道場では年に3回ほど審査会というものがあり、審査に合格すると級があがり帯の色も変わっていきます。スタートは全員9級白帯からです。
息子が入門してから3回の審査会がありましたが、息子は相変わらず9級白帯のままです。
というのも、8級で審査される"ピンアン2段"の型が全部覚えられず審査が受けられないのです。
2016年09月26日(月)
No.268
(日記)
息子の食べる条件
こんにちは。東京都の堀です。
児島さんの娘さんたちに対する愛情がひしひし伝わってきました。ご姉妹の違いを個性と認めてサポートするというのは、口で言うほど楽なものではなかったと思います。今、娘さんたちが自分らしさを大切にして生きていけるのも、娘さんへのサポート以外に、児島さん本人もご自身の個性としっかり向き合って来られたからではないかと感じました。
さて、今回も2歳4ヶ月になるイヤイヤ絶頂期の息子(さっくん)との奮闘記です。
息子は生まれてこの方、母乳以外の離乳食や普通食をほとんどまともに食べることがありませんでした(あっ!でもお菓子は食べています・・)。たまに食べるときも豆腐だけ、バナナだけ、というように偏りがあり、ここ数ヶ月は納豆ごはんがブームのようでそればっかりでした。食べる量もミニ茶碗に半分程度ですが、それでも毎日お外で元気よく遊べているので、ある意味、息子の燃費の良さに感心してしまうほどです。
しかし、健康診断のたびに成長曲線の基準を下回る結果を見せられると、そうも言ってられず、何とか他にも野菜やお肉なども食べてほしいと、いろいろチャレンジしました。大好きなアンパンマンのお箸やお皿を使わせてみたり、「いっぱいご飯食べてくれるとお父さん・お母さん嬉しいな」と親の気持ちを伝えてみたり。でも、私も妻も自分の時間に追われているときは追い打ちをかけるように「もっと早く食べなさい」と急かしてしまって、しまいには「ヤーダー、これで(食べものを手に持って)遊ぶの〜」と暴れ出す始末です。
ところが最近、保育園の給食に出たキャベツの千切りをおかわりするという出来事が起きました。「さっくんいっぱい食べたんだねー!すごいねー!」と言うと、いつになく誇らしげです。
その翌日、我が家でもキャベツの千切りを夕飯に出してみました。
2016年09月19日(月)
No.267
(日記)
個性派姉妹への私なりのサポート
昼間はまだ、暑かった夏の名残りを感じますが、朝晩は、秋の涼しさを感じるようになりましたね。
こんにちは。愛知の児島です。
佐藤さんの、息子さん、パスケースが見つかって本当によかった! ドキドキしながら読みました。
私も、佐藤さんがおっしゃっていた「相手を信頼し、見守ることの奥深さ」を、常々、感じております。
私は、一人っ子です。兄弟姉妹と競うことも、戯れることもなく育ってきました。なので、いざ自分が姉妹を育てるにあたり、いろいろわからないところがありました。
まずは次女が生まれる前に、持っていた疑問は、
「今は長女をこんなに愛しているのに、もう一人生まれたら、この愛情は次女にも注がれるから、私の長女への愛情は、半分になっちゃうんじゃないか?」ということです。
嬉しそうに私のポンポコポンのお腹を撫でる長女を見て、なんだか不憫に思ったりもしました。
でも、その疑問は、次女が誕生してすぐに解決しました。私の愛情は、二分割されるのでなく、長女への愛情はそのままに、ポワンッ!と二倍に増えたのです。
お腹の中にいる時はあんなに心配していたのに、この心配は杞憂に終わりました。
そして、「同じお父さんとお母さんから生まれてきて、同じように育ててきたのに、どうしてこんなにこの子らの性格は違うの!?」
これが次なる疑問でした。
2016年09月12日(月)
No.266
(日記)
失くし物大臣
夏休みも終わり、ようやく静かな日常が戻ってきたようで嬉しい佐藤です。新学期が始まり、元気に通学し始めた息子の姿に、ホッとしています。
島さんの純粋で優しさに溢れたサポートに感動しました。私はつい先日、息子の失くし物のことで、サポートの難しさを感じたばかりだったので、相手を信頼し、見守ることの奥深さを、教えられたような気がしました。
息子は自他共認める「失くし物大臣」です。我が家では彼が物を失くして帰ってきた時に、そう呼んでいます。
これまでに失くした物は数知れず。鉛筆や消しゴムなどの文房具類はしょっちゅう、給食袋や補助バッグなんて可愛いもの。絵の具セットや図工の授業で着るアート着に始まり、制服のベスト、新調したばかりのメガネなど、あげたらきりがないくらいです。
それでも3年生になってからはようやく自覚も芽生えて、だいぶ減ってはきましたが、持ち物や、することが多く忙しくもなってきて、たまに失くし物大臣が復活します。
さっそく先日がそうでした。
2016年09月05日(月)
No.264
(日記)
義母のサポート
長い夏休みが終わり、もうすぐ新学期が始まりますね。埼玉県の島葉子です。
私は子どもたちの小さい頃のビデオというと、運動会を思い出します。必死になって撮ったビデオも、ふくちゃんのようにお誕生日に見直すこともなく、今まで過ごしてきました。ふくちゃんの話を読んで、久しぶりにビデオを見ようかなぁ〜。かわいい子どもたちの姿とあの頃の自分を確認してみようかなと思いました。
さて、今回は、病気療養のため、義母と同居したときの話です。
2年前に義母が手術のため入院しました。退院後に1か月半ほど、我が家で一緒に暮らしたことがありました。
退院当初は、トイレに行くのも壁をつたいながらよろよろした様子でしたが、徐々にしっかりした足取りで歩くことができるようになり、食事量が増えていきました。
義母にとって、歩くことや食べることは体調の回復に繋がることでした。こうして、入院前にできていたことができるようになっていくと、義母の目は輝き笑顔が増えて生き生きとしてきました。
2016年08月29日(月)
No.263
(日記)
いいことを探す目を持つと
りえちゃんからラストバトンを受け取りました、千葉県市川市在住ふくちゃんです。
オリンピックでもたくさんのバトンの受け渡しがありましたね。バトンを次の人につなげていく過程で、その思いも受けつがれて大きなエネルギーになっていくような気がしました。人が成長していくこと、それをサポートしていくこと、また、チームで支え合い、高め合っていくことのすばらしさを感じています。
オリンピックの映像を見ながら、人..
2016年08月22日(月)
No.262
(日記)
私が大切にしていること
先週のくりさんの「可愛い子には・・・」で、やはりいくつになっても親には頭が上がらないなぁーと改めて思うのでした。
兵庫県の明石のりえです。
毎日、暑いですね。
毎年、夏休みに入ると9つの児童館で【子どもとつくる即興ライブ】という事業をさせていただいています。8年目を迎えたので今まで約72館の子どもたちとお芝居を作りました。
今年も児童館の子どもたちに会ってきました。
学童保育で朝から児童..
2016年08月15日(月)
No.261
(日記)
可愛い子には・・・
照子さん、バトンを受けとりました!
東京都の加藤くりです。
とかく、親は子が心配なのかな。
うんうん、心配する親は多いだろうな〜と思いつつ拝読しました。
「子どもの脳には『親離れ』がプログラミングされてるが、親の脳には『子離れ』がプログラミングされていない。なぜならば、長い人類の歴史のほんの少し前までは、親が次々と子育てし、末っ子を育て終える頃には寿命が尽きていたから」
と..
2016年08月08日(月)
No.260
(日記)
心配しなくても大丈夫だったんだな
こんにちは。
群馬の渡辺です。
植松さん、おばあさまが愛してくれたことが、「いざという時に強くいられた」「仲間外れにされても自分は自分て思えた」のですね。
おばあさまの存在・ご姉妹の見守り・植松さんの力強さ・・・うっとりしながら読ませていただきました。奇遇にも、私もおばあちゃんと寝ていまして、祖母の18番は、「桃太郎」でした。
ところで、おばあさまは、植松さんのその時や未来をどのように見ていたでしょうかね?
憂えていたかなあ〜? それとも信じていたかなあ〜?
想像でしかないですが、植松さんの今を喜び、将来もきっと大丈夫だと信じて愛して関わってくださっていたと思います。
私も、我が子たちのことを信じていました。しかし一方で、将来どうなるのだろうといつも心配していた気がするのです。
その心配が頻繁にイライラにつながっていたように思います。
ところが、この頃(息子23歳、娘19歳)、“心配しなくても大丈夫だったんだな〜”と思える出来事にしばしば遭遇するのです。
2016年08月01日(月)
No.259
(日記)
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