ハートフルコーチの泣き笑い日記

日々の発見やつぶやきなど。

まず、受け止める


水の恐怖克服!


相手は変えられない


★★★ 第11回 オンライン・ホッとカフェのご案内 ★★★
【日時】2022年8月27日(土)10〜12時
【参加費】無料
【方法】オンライン(ZOOMを使用します)
【お申し込み】
https://ssl.form-mailer.jp/fms/cfefe9db748100

「話してスッキリした」「思いがけないヒントを得た」と好評のオンライン・ホッとカフェ。
夏のカフェで話題にする日記は、子どものしつけに手を焼いた日々を振り返った 「カレーにするか、にんじんにするか」です。

この日記を読んでさらに知りたくなったことがある方。
「しつけ」に悩んでいる方。
子どもに任せたいのに・・・と思ったことのある方。
菅原裕子や執筆コーチたちと、聞きたくなったこと、話したくなったことを、気軽に語り合いませんか?

★★★

渡海さんの、頑張れ! 青春男子!が聞こえてきて、つい画面に向かって「頑張れ! 青春男子!」とつぶやいた埼玉の落合です。

今回は我が家の娘猫たちの話です。
「飼い主にベタベタ。かわいい猫差し上げます」と6年前、職場の最寄り駅をすぐ出たところの電柱に張り紙があるのを見つけ、我が家の子どもとして迎えることに決めました。

張り紙にある「飼い主にベタベタ」。この言葉を見た途端、子どもの頃に私に懐いていた大好きだった猫との生活を思い出され、私の脳の中で猫との妄想生活が広がっていきました。
どんな名前にしようか、餌の置き場はどこにしようか、抱っこしてほしいとせがむようにすり寄り、ゴロゴロと喉を鳴らし膝の上で眠ってくれる昔の愛猫のイメージを膨らませ、どこにケージを置こうなどと、まるで赤ちゃんを迎える夫婦の気分とはこんな感覚なのだろうと胸を躍らせていました。

猫たちを迎えた当日、保護団体の方が我が家の玄関で猫が入っていたバスケットを開けると同時に、生後約2か月の子猫が勢いよく飛び出し四方八方へ逃げ回りあっという間にどこかに消えて行ってしまいました。
準備していたケージには入らずに…。
2022年08月15日(月) No.580 (日記)

思春期男子の涙


★★★ 第11回 オンライン・ホッとカフェのご案内 ★★★
【日時】2022年8月27日(土)10〜12時
【参加費】無料
【方法】オンライン(ZOOMを使用します)
【お申し込み】
https://ssl.form-mailer.jp/fms/cfefe9db748100

ある日の泣き笑い日記を題材に語り合う、季節ごとの恒例「オンライン・ホッとカフェ」。
夏のカフェで話題にするのは、子どもに声を荒げ、自己嫌悪に陥った日々を振り返った 「カレーにするか、にんじんにするか」です。
この日記を読んで感じたことや知りたくなったことがある方、
子育てや自己成長のヒントを探している方、
ふと立ち止まって、ひと息入れたい方。
お気軽にお立ち寄りください。
菅原裕子と執筆コーチたちがお待ちしています。
★★★

兵庫の渡海です。
岩田さんと、お母様とのエピソードに、親は子どもになんと影響を与えるのか。親と子どもの境界を大切にしたいと思いました。

今回は思春期真っ只中、高校2年生息子の涙と、葛藤について綴ってみようと思います。

小学5年から中学3年まで不適応を繰り返し、七年間学校生活を安定して送れなかった息子が、自ら選択した希望の高専・機械科に昨春入学し2年生となりました。それまでの不安定な生活が嘘のように、自分の足で自分の人生を爽やかに軽やかに歩き出した姿に、親として彼の成長を眩しく頼もしく思えた高校一年目が終わりました。
2022年08月08日(月) No.579 (日記)

時を超えた想い


★★★ 第11回 オンライン・ホッとカフェのご案内 ★★★
【日時】2022年8月27日(土)10〜12時
【参加費】無料
【方法】オンライン(ZOOMを使用します)
【お申し込み】
https://ssl.form-mailer.jp/fms/cfefe9db748100

季節ごとの恒例、「訊いてスッキリ&話してスッキリ」のオンライン・ホッとカフェ。
夏のカフェで話題にする日記は、6月20日掲載の 「カレーにするか、にんじんにするか」です。
子どものしつけに思い悩んだ日々からの脱出を綴ったこの日記を読んで、訊きたくなったこと、話したくなったこと、思い出したことのある方。
菅原裕子や執筆コーチたちとざっくばらんに語り合いませんか?

★★★

埼玉の岩田です。

安村さんが息子さんのやりとりを通して、「これは誰の問題?」と息子さんを尊重する選択を配慮した母としての愛の深さを感じました。私の場合、母と子はいつも一括りのような気がして切り離すことの難しさを痛感していました。

先日母から手紙が届きました。「お母さんが入るお墓について探しているけれど、どうしたら良いか分からない。こんなことを考えたら怒られるかもしれないけど・・あなたの家の近くに樹木葬をやってくれるところをインターネットで見つけたので行って見てきてくれない?」といった内容でした。今まで母から何通の手紙を受け取ってきたかしれません。母は私に面と向かって言いにくいことがあると手紙で伝えてきます。

私が中学生の頃だったでしょうか、初めて?反抗して自分を主張した翌朝、2階の私の部屋から1階のリビングへ向かう階段の途中に手紙がそっと置かれていました。
2022年08月01日(月) No.578 (日記)

お気に入りのリュック


★★★ 第11回 オンライン・ホッとカフェのご案内 ★★★
【日時】2022年8月27日(土)10〜12時
【参加費】無料
【方法】オンライン(ZOOMを使用します)
【お申し込み】
https://ssl.form-mailer.jp/fms/cfefe9db748100

日記を読んだ後の「もうちょっと聞きたい」「誰かと話したい 」を叶える場、それがこのホッとカフェです。
今回、話題にする日記は、6月20日掲載の 「カレーにするか、にんじんにするか」。
子どもをしつけられていないのは自分のせいと悩んだことのある方、
子どもに怒りをぶつけてど自己嫌悪になったことのある方、
子どもに任せたいのにうまくいかないという方。
菅原裕子や執筆コーチたちと語り合って、一歩前に進むヒントを持ち帰りませんか?

★★★

大阪の安村です。
「圧倒的に愛されていました」の言葉に、私は愛されたとは思っているけれどそこまでは・・・、子ども達は、どう思っているのだろうかと思いを巡らせました。

秋岡さんの素敵な話とはかけ離れた・・・、この時期になると思い出す反省エピソードを書こうと思います。
夏休み終盤、「読書感想文、どう書いたらいいか分からないから、見てくれない?」と、小1の息子から言われました。小さ頃から塾の宿題のサポートをしていたので、いつもの感じで「いいよ。」と答え、いざ、息子の感想文を読むと・・。
文末が、こんなに「です。」「ます。」ばかりだと何だか単純な感じがする。ここはどう思ったのかをもっと、伝わるように書かないと!とか、改善点ばかりに目が行ってしまい、書いてある文章を読んだだけで、添削し始めてしまいました。
2022年07月25日(月) No.577 (日記)

父からのギフト


神奈川の秋岡です。
山本さんの書かれた言葉から強い「生きる」を感じ、私も自分の人生を生きようと改めて思えました。貴重なお話とその心情を共有いただいたこと、とてもありがたく感じています。

さて、今回は父のことを書いてみたいと思います。
父は、私が13歳の春に、50歳で急逝しました。職場で倒れて1日半で帰らぬ人となってしまい、あまりにも突然の出来事に当時の自分は受け止められず、1ヶ月くらいは周囲が不審がる程に変わらず過ごしていたようです(その後に大変な悲しみの時期が来るのですが)。なので、私の記憶の父は小学生時代に集中しています。

そんな限られた期間ですが、父との思い出は本当に楽しいものしかありません。
当時は社会全体が週休1日でしたから、メーカーに勤務していた父の休日は日曜日だけ。それでも毎週日曜日は父と出かけ、むしろ床屋などの父の用事にすべて私は連れていかれていました(もしかしたら家事が好きな母が連れ出してと言っていたかもしれませんが)。夕方になるとキャッチボールやバドミントンなど一緒に遊んでくれていましたし、私が友達の家に行くというとわざわざ車で送り迎えをしてくれていました。
自分が親になって子どもと日々を過ごすようになって、父が私にいかに多くの時間とエネルギーを費やしてくれていたか、身に染みて感じます。
2022年07月18日(月) No.575 (日記)

「誰」の「一度きりの人生」なの?


群馬の山本です。
「おこだでませんように」と書いた子どものけなげさは、どの子にも当てはまることを思い出しました。私も七夕の頃にはこの絵本を思い出すことになりそうです。

人生100年時代と言われるようになりました。100歳まではいかなくても、仮に90歳まで生きられたらすごいな。90歳としても… 私はもう半分を過ぎてる!
一度きりの人生を悔いのないものにするには?
「誰のものでもない私の人生」なのは当然、わかっているつもりでしたが、そうしきれていない事実に気付かされるきっかけがありました。

私は、毎年は人間ドックを受けていませんでした。今から3年ほど前に受けた人間ドックも、夫がうるさく言うので2年ぶりに受けることにしました。
結果が返ってくるといくつか再検査が必要な項目がありました。病院嫌いな私は、「最悪」と思いましたが、まぁ、大丈夫だろうとすぐには再検査へ動きませんでした。
数か月後、ニュースで耳にした「二人に一人はがんになる」という言葉に、二人に一人なら、私がなってもおかしくないと思い、やっと重い腰を上げました。
そして、実際にがんが見つかりました。
お医者様に言われてもどこか他人事で、実感もなく「ステージ」という言葉を思い出せず、がんの進行具合を質問できずに帰ってきたのを覚えています。
夫に話す時もお皿を洗いながら、「私、がん?があるみたい」という感じで話したと思います。
2022年07月11日(月) No.574 (日記)

『おこだでませんように』で泣いてしまうのは


大きな迷いの中で


大阪の田中です。
小林さんの日記を読んで、子育てって面白い、そんなふうに思えるってすごくステキだなぁと思いました。
どんなちいさな子どもでも、自分で決めることの大切さを改めて感じます。

さて、今回は一人暮らしをしている父のことを書きたいと思います。
父は、5年前に認知症の診断を受けました。ヘルパーさんや訪問看護師さん、訪問薬剤師さんの手を借りながら、45年住み続ける家で今もひとり暮らしをしています。
買い物へのこだわりがあるのか、家の中にはものがたくさんあふれていますが、一歩外へでると認知症と言われてもピンとこないぐらいシャキッとしています。365日ほぼ外食で、自転車で行ける範囲のところに何軒か行きつけの店があります。なかでもお気に入りの近所のお寿司屋さんへは、ほぼ毎日通っています。

父が認知症の診断を受けてから、私はずっと迷って揺れていることがあります。それは、父の周りの近しい人たちに、病名を伝えるかどうかということです。
(以前のブログにも書きましたが)まずは、隣近所の人。迷った末に病名は伝えず、何かあったら連絡してください、と私の携帯番号を渡すに留まりました。
そして、父が通う行きつけのお店。迷惑をかけているようなことがあれば伝えたほうがいいかもしれないと思っていました。けれども父はそれぞれのお店で、特に迷惑をかけるでもなく陽気に過ごしていました。お気に入りのお寿司屋でも、大将や常連さん達と冗談を言い合ったりして過ごし、むしろお店の人も常連さん達も父が認知症であるなんて思ってもいないように感じました。父のご機嫌な様子に安心し、行きつけのお店は父にとって大切な居場所なんだなと感じました。そして、もしここで父が認知症であるということを伝えたら、今のような関係が崩れてしまうのではないか、父の大切な居場所が居心地の悪い場所になってしまったらどうしようという気持ちになり、どのお店にも父の病気のことは伝えずにいました。

地域で一人暮らしをしている以上、周りの人たちの協力は必須です。そのためには、父の現状を伝えるということをしなくてはならないという思いはありました。けれども、どうしても、「父は認知症です」ということが言えませんでした。まわりの人たちが、「認知症」ということばにどんなイメージをもっているか不安に思ったからです。父にネガティブな印象がついてしまうのも嫌だったし、軽んじられるのも嫌でした。
2022年06月27日(月) No.572 (日記)

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