父からのギフト
神奈川の秋岡です。
山本さんの書かれた言葉から強い「生きる」を感じ、私も自分の人生を生きようと改めて思えました。貴重なお話とその心情を共有いただいたこと、とてもありがたく感じています。
さて、今回は父のことを書いてみたいと思います。
父は、私が13歳の春に、50歳で急逝しました。職場で倒れて1日半で帰らぬ人となってしまい、あまりにも突然の出来事に当時の自分は受け止められず、1ヶ月くらいは周囲が不審がる程に変わらず過ごしていたようです(その後に大変な悲しみの時期が来るのですが)。なので、私の記憶の父は小学生時代に集中しています。
そんな限られた期間ですが、父との思い出は本当に楽しいものしかありません。
当時は社会全体が週休1日でしたから、メーカーに勤務していた父の休日は日曜日だけ。それでも毎週日曜日は父と出かけ、むしろ床屋などの父の用事にすべて私は連れていかれていました(もしかしたら家事が好きな母が連れ出してと言っていたかもしれませんが)。夕方になるとキャッチボールやバドミントンなど一緒に遊んでくれていましたし、私が友達の家に行くというとわざわざ車で送り迎えをしてくれていました。
自分が親になって子どもと日々を過ごすようになって、父が私にいかに多くの時間とエネルギーを費やしてくれていたか、身に染みて感じます。
2022年07月18日(月)
No.575
(日記)
「誰」の「一度きりの人生」なの?
群馬の山本です。
「おこだでませんように」と書いた子どものけなげさは、どの子にも当てはまることを思い出しました。私も七夕の頃にはこの絵本を思い出すことになりそうです。
人生100年時代と言われるようになりました。100歳まではいかなくても、仮に90歳まで生きられたらすごいな。90歳としても… 私はもう半分を過ぎてる!
一度きりの人生を悔いのないものにするには?
「誰のものでもない私の人生」なのは当然、わかっているつもりでしたが、そうしきれていない事実に気付かされるきっかけがありました。
私は、毎年は人間ドックを受けていませんでした。今から3年ほど前に受けた人間ドックも、夫がうるさく言うので2年ぶりに受けることにしました。
結果が返ってくるといくつか再検査が必要な項目がありました。病院嫌いな私は、「最悪」と思いましたが、まぁ、大丈夫だろうとすぐには再検査へ動きませんでした。
数か月後、ニュースで耳にした「二人に一人はがんになる」という言葉に、二人に一人なら、私がなってもおかしくないと思い、やっと重い腰を上げました。
そして、実際にがんが見つかりました。
お医者様に言われてもどこか他人事で、実感もなく「ステージ」という言葉を思い出せず、がんの進行具合を質問できずに帰ってきたのを覚えています。
夫に話す時もお皿を洗いながら、「私、がん?があるみたい」という感じで話したと思います。
2022年07月11日(月)
No.574
(日記)
『おこだでませんように』で泣いてしまうのは
兵庫の羽木です。
田中さんのお父様が築いてこられたご近所さんとの強いつながり、それがどんなに大切で得難いものかを親を見ながら感じていて、うらやましく読ませていただきました。
今回は、絵本を読んで考えたことを書いてみたいと思います。
もうすぐ七夕。くすのきしげのりさんの絵本『おこだでませんように』(小学館)は七夕が近づいて短冊を目にすると思い出す本です。
家でも学校でもいつも怒られてばか..
2022年07月04日(月)
No.573
(日記)
大きな迷いの中で
大阪の田中です。
小林さんの日記を読んで、子育てって面白い、そんなふうに思えるってすごくステキだなぁと思いました。
どんなちいさな子どもでも、自分で決めることの大切さを改めて感じます。
さて、今回は一人暮らしをしている父のことを書きたいと思います。
父は、5年前に認知症の診断を受けました。ヘルパーさんや訪問看護師さん、訪問薬剤師さんの手を借りながら、45年住み続ける家で今もひとり暮らしをしています。
買い物へのこだわりがあるのか、家の中にはものがたくさんあふれていますが、一歩外へでると認知症と言われてもピンとこないぐらいシャキッとしています。365日ほぼ外食で、自転車で行ける範囲のところに何軒か行きつけの店があります。なかでもお気に入りの近所のお寿司屋さんへは、ほぼ毎日通っています。
父が認知症の診断を受けてから、私はずっと迷って揺れていることがあります。それは、父の周りの近しい人たちに、病名を伝えるかどうかということです。
(以前のブログにも書きましたが)まずは、隣近所の人。迷った末に病名は伝えず、何かあったら連絡してください、と私の携帯番号を渡すに留まりました。
そして、父が通う行きつけのお店。迷惑をかけているようなことがあれば伝えたほうがいいかもしれないと思っていました。けれども父はそれぞれのお店で、特に迷惑をかけるでもなく陽気に過ごしていました。お気に入りのお寿司屋でも、大将や常連さん達と冗談を言い合ったりして過ごし、むしろお店の人も常連さん達も父が認知症であるなんて思ってもいないように感じました。父のご機嫌な様子に安心し、行きつけのお店は父にとって大切な居場所なんだなと感じました。そして、もしここで父が認知症であるということを伝えたら、今のような関係が崩れてしまうのではないか、父の大切な居場所が居心地の悪い場所になってしまったらどうしようという気持ちになり、どのお店にも父の病気のことは伝えずにいました。
地域で一人暮らしをしている以上、周りの人たちの協力は必須です。そのためには、父の現状を伝えるということをしなくてはならないという思いはありました。けれども、どうしても、「父は認知症です」ということが言えませんでした。まわりの人たちが、「認知症」ということばにどんなイメージをもっているか不安に思ったからです。父にネガティブな印象がついてしまうのも嫌だったし、軽んじられるのも嫌でした。
2022年06月27日(月)
No.572
(日記)
カレーにするか、にんじんにするか
千葉の小林です。
ご主人の一言を真摯に受け止め、息子さんへの対応を変えられたチャウさん。本心を伝えることって、できているようでできていなかったことに私も気付かされました。チャウさんの素直さも真似したいと思いました。
さて、今日は、もうすぐ成人(18歳)を迎える娘が3歳の頃の思い出を振り返ってみたいと思います。
今の私の楽しみは、娘とスーパーで献立を考えながら買い物をすることなのですが、15年前は買い物恐怖症になっていたことがあります。
当時3歳の娘。買いたいお菓子があると、泣いて訴えます。「今日は買わないよ」と言うと、スーパーの床にひっくり返って泣くのです。大声で。
抱っこしようとすると、全身の力を抜いて拒否するので、重くて持ち上がりません。知らんぷりして買い物を続けていると、お店に響き渡る声で泣き叫びます。一緒に連れて行った、2歳上のお兄ちゃんがなだめようとしても泣き止まず、周りから白い目で見られていたと思います(怒りで覚えていませんが、きっとそうに違いないです)。スーパーのど真ん中で、私も叫びます。
「いい加減にして!!」
2022年06月20日(月)
No.571
(日記)
本心を伝える難しさ
カナダのチャウです。
落合さんの日記を読んで、私も自分の子どもたちの出産とそれを助けてくれた看護師さんや助産師さんや家族や友人、すべての人に助けられて今があるんだなと改めて思い返し、そういった幸せな思い出をたくさん持てていることに感謝の気持ちで一杯になりました。
今回は長男とのやり取りを通して、私が自分の発する言葉と思いについて気づかされたことを
書いてみます。
17歳の長男は今ハイスクール3年生。夏休み明けの9月からは最終学年である4年生になります。卒業後の進路について、学生課の説明会が開かれたり、友達同士でも話が出始めているようです。私も昨年ごろから、長男に「進路どうしたいの?」と何度か聞いてみましたが、まだあまり実感が湧いていないのか、「I don’t know」との返答ばかりが返ってきて、会話として続かない状態でした。
夫も私も学生時代に親元を離れて過ごし、一人暮らしをする大変さや楽しさを経験してきたので、子どもたちにも自立の一歩として、高校を卒業したら一人暮らしをする方がいいと夕食時の会話などで長男に話をしていました。
ただ、彼の日常を見ていると、「こんなんで一人暮らしなんてやっていけるのかしら?」とため息
交じりに思うことが多々あります。長男の生活態度を見てまだ「これならやっていけるだろう」
とは思えない気持ちと、それは母親として私の育て方が上手くなかったからだと自分を責める
ような気持ちが同居しています。
2022年06月13日(月)
No.570
(日記)
過去からの贈り物
埼玉の落合です。
渡海さんの「娘さんの存在に感謝する」「私たちの元にやってきてくれて、ありがとう」を伝え続けたいという一文を読んで、子どもを産む・育てる母の強い思いと、パワーを感じました。
私は子育てをするママたちの笑顔をみるとホッと安心します。眉間にしわを寄せたしかめっ面や、がみがみ怒ったり、という状態ではなく、穏やかな表情です。
会社員を辞めて助産師になり10年が過ぎました。
医療の現場という新しいフィールドで働くことはこれまでのワークスタイルとは違っていて、助産師になりたての頃は「何のために誰のために仕事をするのか」という考える余裕はなく、日々の業務をこなすことで精いっぱいでした。
しかし、どんなに忙しくても辛い日々でも、辞めたくない。無意識のうちに、子育てをしていく方への関わりをしていきたいと感じていたからです。私の根底には、子育てを「楽しい」と言えるくらいの心の余裕を持ったママさんが増えてほしい気持ちがありました。
2022年06月06日(月)
No.569
(日記)
神様からの贈り物
兵庫の渡海です。
岩田さんの、可愛くて仕方がない娘さんとの時間を大切にしたいという親の気持ち、そして一緒の時間が楽しいという親の喜びが子どもに伝わることの大切さに、私も娘との時間を大切に喜びと感謝の気持ちで過ごしたいと思いました。
私にも可愛くて仕方がない小3の娘がいます。しかし数年前まで、私にとって彼女は理解できない存在で、ありのままの彼女を受け入れられないという苦しみを私は抱えていました。
何をするのもゆっくり、同年代のお友だちが当たり前にできることができず、やたらと時間がかかる、そのうえ感覚が過敏で頻繁に癇癪を起こす彼女の個性を受け入れられなかったのです。
2022年05月30日(月)
No.568
(日記)
今この瞬間を楽しむこと
埼玉の岩田です。
安村さんが自分の気持ちよりも、先輩の気持ちを優先できたその勇気を見習いたいと思いました。そしてすぐに答えを出さず、娘のヘルプにいろいろと考えてくださったお母さんの存在は、その勇気を後押ししてくれたように思いました。
次女は、今年高校3年生になります。
コロナ禍で入学した彼女は、想像していた高校生活とのギャップから、次第に愚痴や不満を漏らすようになりました。もともと朝起きることが苦手な彼女は遅刻も増え、自転車で通うはずが、いつの間にか車での送迎に代わっていきました。
2022年05月23日(月)
No.567
(日記)
それぞれの立場で
大阪府の安村です。
秋岡さんが、お子さんのことをよく観察し、理解した上で信頼し、決断を待たれたことは、お子さんの母に対する信頼にもつながっているのではないかと感じました。自身を振り返ると待てないこともあったと反省もありです・・・・。
今回は、云十年前の大学の寮生活で、一番、心に残っている出来事について書きたいと思います。
2022年05月16日(月)
No.566
(日記)
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