ハートフルコーチの泣き笑い日記

日々の発見やつぶやきなど。

大きな迷いの中で


大阪の田中です。
小林さんの日記を読んで、子育てって面白い、そんなふうに思えるってすごくステキだなぁと思いました。
どんなちいさな子どもでも、自分で決めることの大切さを改めて感じます。

さて、今回は一人暮らしをしている父のことを書きたいと思います。
父は、5年前に認知症の診断を受けました。ヘルパーさんや訪問看護師さん、訪問薬剤師さんの手を借りながら、45年住み続ける家で今もひとり暮らしをしています。
買い物へのこだわりがあるのか、家の中にはものがたくさんあふれていますが、一歩外へでると認知症と言われてもピンとこないぐらいシャキッとしています。365日ほぼ外食で、自転車で行ける範囲のところに何軒か行きつけの店があります。なかでもお気に入りの近所のお寿司屋さんへは、ほぼ毎日通っています。

父が認知症の診断を受けてから、私はずっと迷って揺れていることがあります。それは、父の周りの近しい人たちに、病名を伝えるかどうかということです。
(以前のブログにも書きましたが)まずは、隣近所の人。迷った末に病名は伝えず、何かあったら連絡してください、と私の携帯番号を渡すに留まりました。
そして、父が通う行きつけのお店。迷惑をかけているようなことがあれば伝えたほうがいいかもしれないと思っていました。けれども父はそれぞれのお店で、特に迷惑をかけるでもなく陽気に過ごしていました。お気に入りのお寿司屋でも、大将や常連さん達と冗談を言い合ったりして過ごし、むしろお店の人も常連さん達も父が認知症であるなんて思ってもいないように感じました。父のご機嫌な様子に安心し、行きつけのお店は父にとって大切な居場所なんだなと感じました。そして、もしここで父が認知症であるということを伝えたら、今のような関係が崩れてしまうのではないか、父の大切な居場所が居心地の悪い場所になってしまったらどうしようという気持ちになり、どのお店にも父の病気のことは伝えずにいました。

地域で一人暮らしをしている以上、周りの人たちの協力は必須です。そのためには、父の現状を伝えるということをしなくてはならないという思いはありました。けれども、どうしても、「父は認知症です」ということが言えませんでした。まわりの人たちが、「認知症」ということばにどんなイメージをもっているか不安に思ったからです。父にネガティブな印象がついてしまうのも嫌だったし、軽んじられるのも嫌でした。
2022年06月27日(月) No.572 (日記)

カレーにするか、にんじんにするか


本心を伝える難しさ


カナダのチャウです。
落合さんの日記を読んで、私も自分の子どもたちの出産とそれを助けてくれた看護師さんや助産師さんや家族や友人、すべての人に助けられて今があるんだなと改めて思い返し、そういった幸せな思い出をたくさん持てていることに感謝の気持ちで一杯になりました。

今回は長男とのやり取りを通して、私が自分の発する言葉と思いについて気づかされたことを
書いてみます。
17歳の長男は今ハイスクール3年生。夏休み明けの9月からは最終学年である4年生になります。卒業後の進路について、学生課の説明会が開かれたり、友達同士でも話が出始めているようです。私も昨年ごろから、長男に「進路どうしたいの?」と何度か聞いてみましたが、まだあまり実感が湧いていないのか、「I don’t know」との返答ばかりが返ってきて、会話として続かない状態でした。
夫も私も学生時代に親元を離れて過ごし、一人暮らしをする大変さや楽しさを経験してきたので、子どもたちにも自立の一歩として、高校を卒業したら一人暮らしをする方がいいと夕食時の会話などで長男に話をしていました。

ただ、彼の日常を見ていると、「こんなんで一人暮らしなんてやっていけるのかしら?」とため息
交じりに思うことが多々あります。長男の生活態度を見てまだ「これならやっていけるだろう」
とは思えない気持ちと、それは母親として私の育て方が上手くなかったからだと自分を責める
ような気持ちが同居しています。
2022年06月13日(月) No.570 (日記)

過去からの贈り物