許し
子どもは、私にとって居るだけで愛おしく幸せをもたらしてくれる存在。日常生活の中では忘れがちですが、鈴木さんの日記を読んで思い出すことができました。
石川県の石垣です。
娘が旅立っていった2ヶ月前。娘は私に、1冊の絵本をくれました。その絵本は、私と娘の想いが詰まった宝物です。
今日は、その絵本を読んだ時に私の中に蘇ってきた娘との日々、沸き上がってきた思いを綴りたいと思います。
昔の私は、娘を「いい子」に育てようと必死でした。「みんなと同じように」、「普通」が大切で、周囲の人達から見た「いい子」に躾けることが、親の役目。そして、それが娘の為になる、と疑いませんでした。
そんな私は、「こうやればいいのよ」とすぐに手を出し、「こうしなさい」と口を出す。そして、「困らないように…」と先回りしてリスクを回避する。手出し、口出し、先回りのオンパレードでした。
しかし、私の思いとは正反対に、私の手出し・口出し・先回りは娘の持っている力を奪っていきました。
「失敗」を経験できなかった娘は、いつしか失敗を恐れるようになり、失敗しそうなことは「やりたくない」と嫌がるようになっていました。また、私やまわりの人の顔色ばかりを気にして、常に相手に合わせて波風立てない選択をするようになりました。私の手出し・口出し・先回りという関わりが、娘の「やる気」と「意思」に蓋をしてしまったのです。
そして、エネルギーが尽きた娘は、中学2年の冬、学校に行かなくなりました。私を完全に拒絶し、部屋に閉じこもってしまったのです。
それまでは、私が正しいと思う方へ娘を動かしてきました。でも、エネルギー切れの娘を動かす術は、もう私にはありませんでした。私は娘を、そのまま受け入れるしかなかったのです。
2023年06月26日(月)
No.625
(日記)
手放した先に見えてきたもの
千葉の鈴木です。
瀧澤さんの日記の中で、「娘のために」が、「母親である私」を勇気づけ、その人生を後押ししてくれる言葉へとかわっていく様子に、私の背中も押してもらったような気持ちになっています。
さて、国境を越えて引っ越しの多い我が家ですが、
今回は、インドネシアでの子育てを通じて、「大切な我が子、この子を守るのは私しかいない!」という思い込みから少しずつ解放され、その先に見えてきたも..
2023年06月19日(月)
No.624
(日記)
「娘のために」から気付いたこと
チャウさんの日記を読みながら、私も「違い」にフォーカスし自ら壁を作ってしまうことがあるなと思いました。違ってあたりまえ、お互いに寄り添い合える部分、分かり合える部分をみつめられるそんな視点を持って日々を過ごしたいなと思ました。
タイの瀧澤です。
今年の4月から日本の大学の通信教育課程で学び始めました。自分の興味のある分野について学びを深めることができる楽しさにわくわくしながら、自宅でテキストを読み、オンライン授業に参加し、リポートや課題を提出し、マイペースに学習をすすめています。
そんな私ですが、1年ほど前までは大学生になるとは想像もしていませんでした。
ハートフルの養成講座を始める時には、月1回の講座に参加することに抵抗がありました。休日は家族と過ごすもの、夫の出張や外出の日程が重なったら娘の面倒を誰がみるのか、娘を習い事にも連れて行かなくては、と休日に自分の予定を定期的に優先することに後ろめたさのようなものを感じていたのです。
2023年06月12日(月)
No.623
(日記)
どちらを見ようとしているか?
カナダの大らかなホストファミリーと過ごした幸せな時間は、今の落合さんが過去のご自分と向き合うきっかけを作ってくれたのですね。改めて家族のオープンな関係性や対話の大切さを感じました。
カナダ在住のチャウです。
似た者同士とか同郷のよしみとかいうように、私は自分と似た境遇や考え方、趣味を持っている人たちに安心感を覚えがちです。
ウンウンと相づちを打って聞いてくれる人には話しやすいのです。「同じ」や「似ている」に安心感を覚え、「違い」や「異なる」人や考え方には身構えてしまうし、私とは関わることもない人だと自分とは切り離して考えがちです。
2023年06月05日(月)
No.622
(日記)