渦中から抜け出せたきっかけ
★★★第23回「泣き笑い日記 オンライン・ホッとカフェ」★★★
【日時】2025年8月25日(月)20時〜22時
【参加費】無料
【方法】オンライン(ZOOMを使用します)
【お申込み】https://ssl.form-mailer.jp/fms/60a57326860602
日記の筆者や読者とざっくばらんに語り合うなかで、自分の「今」に必要なヒントを持ち帰ることができる、季節毎のこのオンライン・カフェ。
夏カフェは久しぶりに、夜の開催です。
とりあげる日記は、松下いづみさんの「やっちゃった」。
大学生になった娘が初めてのアルバイトに挑戦したものの、うまく行かず打ちのめされているのを見て、追い打ちをかけるようなことを言ってしまった後悔とその後、そしてそこからの気づきを綴っっています。
あなたにも「やっちゃった」経験、ありませんか。
つい「やっちゃた」、わかっているけど「やっちゃった」・・・そのときの状況や気持ちを打ち明けてみませんか。
経験者同士で語り合ううちに気持ちが軽くなって、思わぬ気づきやヒントも持ち帰れるかもしれません。
ご参加をお待ちしています。
※ 前回までのカフェの様子は、こちらでお読みいただけます。
★★★
藤岡さんの体験からの気づきと捉え方が伸び代に向かって成長されているなぁと感じました。
奈良の清瀬です。
人生は見方、捉え方を変える事ができれば、起こった困難な出来事、辛いことが糧となり、幸せになれるらしい。
いろいろな人の体験、教え、学びや本、映画、などから知ることはできました。
けれど、渦中の時は中々気づくのが難しいものです。
長男の子育ては初めての事だというだけでなく、育児書に書いている通り、私が描く通りにいかずイライラしっぱなし。
なぜうまくいかないのか、どうやったらうまくいくのかを探し続けました。
うまくいくことも、いかない時もあります。
だから私の気分はいつも振り回されていました。
不登校を経験し、最終的に生きる気力を無くした長男に、私ができる事がわからなくなりました。
2025年07月28日(月)
No.737
(日記)
伸びしろ
愛知県の藤岡です。
和木さんの「憧れへの自由」に、子どものやりたいを応援する気持ちは私も強く持っているので、子どもにとって過剰にも足りな過ぎにもならないよう、今の私は適度かな? を自問しながら、斜め後ろか隣くらいの立ち位置で応援していきたいと思いました。
ところで、恥ずかしながら私は話すことがそれほど得意ではありません。
今回はそのことについて書いてみます。
私にとって、人前で話すことやプレゼンなどはニガテで、正直向き合いたくないことでした。
緊張してしまうし、言葉がすらすら出てくるタイプではなく、考えておいた言葉ならなんとか話せるけど、淡々とした話し方になってしまう、声にも自信がない、
ハキハキ話せたらいいのに、力のある、人に強く伝わるような話し方ができたらいいのに、私にはできない…
そんなふうにずっと感じていました。
2025年07月21日(月)
No.736
(日記)
憧れへの自由
功刀さんの日記を読み、日々大変なことやどうにかしたい!と思うこともあるけれど、今私は私の人生に誇りを持てているか?その姿を子どもに見せられているか?と、自分に問うことができました。
こんにちは。広島の和木です。
今10歳の長女には夢があります。きっかけは、飛行機に乗ってCAさんに会えたこと。その理由は、聞くとまだ「憧れ」でかわいらしいものですが、飛行機やCAさんに関連するYOUTUBEを見漁ったり..
2025年07月14日(月)
No.735
(日記)
“恵まれている”ってどういうこと?
私もつい解決策や改善案を出したくなるタチなので、菅原さんの日記を読んで、相手が「解決したい」と思っているのかどうか、考えてみる癖をつけてみようと思いました。
こんにちは、東京の㓛刀です。
今回は、つい最近起きた私の「猛省案件」を、恥を忍んで綴らせていただきます。
ある晩、息子とリビングで何気ない会話をしていました。話の流れはもう覚えていませんが、そのとき息子がふと「僕は周りの人に恵まれている」と言ったのです。
これまでも彼は時折、同じような言葉を口にしてくれました。彼の言う「周りの人」とは、祖父や故人となった祖母、母である私、親戚家族、家庭教師だったMさん、私の仕事仲間など、息子の成長を温かく見守ってくれている大人たちのことを指します。「そんなふうに感じてくれているのか」と、これまでは素直にうれしく思っていました。
ところがその夜は違いました。その言葉を聞いた瞬間、胸の奥に複雑な感情が湧き上がり、私は思わずこう言ってしまったのです。
「どこが恵まれているの? 別に恵まれてないでしょ」
照れ隠しの冗談めかした言い方ならまだしも、私は真顔で、低い声でその言葉をぶつけました。「つい、うっかり」ではありません。はっきりと、息子に届くように言ったという自覚があります。
私の言葉は、息子の胸に深く突き刺さりました。彼は怒りを押し殺し、無言のまま耐えていました。
その一方で私は、「ごめん、今の言いすぎだった」とすぐに謝ることができませんでした。ネガティブな感情が押し寄せ、私は無言の息子をじっと見つめながら、さらにこう続けてしまったのです。
「だって恵まれてないでしょ。母子家庭でお父さんはいないし、私は忙しいばかりで大した稼ぎもない。あなたが将来、何かを学びたい、外国に行きたいと言ったって、私は応えられないかもしれない。だからあなたは可哀想なのよ。恵まれてなんかいないの」
「……なんだよ、俺は不幸だって言うのか?」
息子はしばらく沈黙したあと、「もう生産性のない会話はいいよ」とぽつりと言い、風呂場へ向かいました。翌朝、息子はベッドから起きてこず、久しぶりに学校を休みました。
彼が不登校だった頃の朝の重たい空気がよみがえり、胸が押しつぶされそうになりました。「なんてことを言ってしまったんだろう。」後悔の念に襲われました。最近はどんなに眠くても自分で起きて「行ってきます!」と元気に家を出ていた息子が、親の言葉にこんなにも力を奪われるなんて。私自身の愚かさに呆れると同時に、息子のまっすぐな心を思い出して、ますます胸が締めつけられました。
息子が私に失望しても当然です。母親というのは、子どもの幸せを願い支える存在です。私もそのように努力してきたはずなのに、その私が「あなたは可哀想な子だ」と突き放し、それまで努力してきた自分をも貶めたのですから。
本当に私は息子を「恵まれていない」と思っているのかと自問すれば、即座に「違う」と答えられます。だのになぜあの日、私は物の怪に取り憑かれたように、あんな言葉を吐いてしまったのでしょう。
2025年07月07日(月)
No.734
(日記)


