再会
和木さんの日記「自分の特技認定」を読んで、私の中に認定できるところを探したいなと思いました。
宝探しのような気持ちで、探してみたいです。
こんにちは。愛知県の藤岡です。
今回は、自分から一歩行動できたことについて書いてみます。
昨年の後半、学生時代の同窓会があり、参加しました。
なつかしい仲間たちに会い、思い出話や近況報告で楽しく盛り上がりました。
そして、SNSでも繋がり、にぎやかにやりとりできるようにもなりました。
ただ、そのなかにAさんの参加はなく、他の仲間と「Aさんは参加していないね。彼女にも会いたいね」と話していました。
彼女とは住む地域が離れてからも年賀状のやりとりは続いていましたが、長い間会えていませんでした。
2026年03月30日(月)
No.773
(日記)
自分の特技認定
㓛刀さんの日記を読み、「いずれにしても背中を強く押してやりたい」と言う最後の文章、特に「いずれにしても」という言葉が、子どもと向き合う今の私の心に残りました。
こんにちは、広島の和木です。
自分には胸を張ってこれが特技だと言えるものがないと、少ししょんぼりしたのですが、それがきっかけで前向きになれたので日記に残そうと思います。
先日、「あなたの特技と言えることは何ですか」と問われる場面がありました。
「特技...特技...特技......?」と、自分のできることや好きなこと、得意なことなど、特技と呼べそうなものを頭の中から探し出すのに必死です。つまり、「これが私の特技です」と言えることがなかったんです。
その時は結局、パッとひらめいた3つーー昔10年続けていた「打楽器」、子どもの頃から好きで、褒められることの多かった「文章を書くこと」、よく決めたね、と人から驚かれるような「思い切った決断をすること」を自分の特技として挙げました。3つ目の「決断」なんて、特技なのか?私は何をしゃべっているのか?と思いながらしどろもどろで話をしていました。
2026年03月23日(月)
No.772
(日記)
“ありのままの自分”を受け容れる
こんにちは、東京の㓛刀です。
「息子の大学受験、無事終了しました!」と言いたいところですが、なんとも落ち着かない日々を過ごしています。滑り止めの学校は合格できましたが、行きたいと思う学校は補欠で、まだ先が見えません。
受験する前、息子は「浪人はしたくない。滑り止めしか受からなかったらそこに行く」と言っていましたが、補欠がわかった途端、言うことが変わりました。
「もし繰り上がりが来なかったら浪人したい」
彼は必死の形相で私に訴えました。
私は「それって話が違うでしょう!」と咄嗟に声を張り上げました。しかし彼は続けます。
「みんな苦しくても勉強していたのに、自分は全力を尽くさなかった。そんな自分を今許してしまったらダメな人間になっちゃうよ。だからもう一度挑戦したい。なんでその気持ちを分かろうとしてくれないの! それって自分が心配したくないからじゃないの?」
彼の言う通り、再び肝を冷やしたくないのは事実です。入試の期間や結果待ちの時間、正直かなり疲弊しました。
しかし驚いたのは、「浪人するかもしれない」と言われて震え上がった自分の反応でした。試験前は「もし結果が思うようにならなければ1年くらいのモラトリウム、楽しく過ごせばいいじゃない」なんて、余裕のあることを言っていたのに……。それだけにこの突き上げてくる拒絶感は想定外でした。
2026年03月16日(月)
No.771
(日記)
「出番」を守る
こんにちは。東京の菅原です。
日ごろのちょっとした出来事から気づいたことを綴ります。
先日、母と甥のKくんと3人で食事をしました。大学生のKくんと会うのは珍しく、母も私も久しぶりの時間を楽しんでいました。
「Kくん、バイト今なにしてるの?」
私がそう尋ねると、Kくんが答えるより先に母が言いました。
「Kくん、今〇〇でバイトしてるのよね?」
思わず私は言いました。
「お母さんじゃなくて、Kくんに聞いてるんだけど」
とたんに母はむっとし、その後の食事はどこかぎこちない空気に包まれました。
帰り道、自分の言い方がきつかったと反省しつつも、心がざわついていました。
母に悪気はなかったはずです。知っていることを会話の流れで口にしただけなのだと思います。
それでも私は、Kくんの「出番」を母が奪ったことへの嫌悪感が消えませんでした。
同時に、Kくんと私の会話を邪魔されたという残念な気持ちもしました。
でも母を責める気にはなれませんでした。
なぜなら、少し前まで私自身も同じことをしていたからです。
2026年03月09日(月)
No.770
(日記)
我が家の手出し口出し事情
こんにちは。東京の小原です。
今回は『我が家の手出し口出し事情』について書いてみようと思います。
ハートフルコミュニケーションのセッションやワークショップに参加すると「子どもについ手出し口出ししてしまっていること」についてみんなで話をすることがあります。
親の手出し口出しが、子ども自身が考えて行動する経験を奪ってしまっていることに気づき、子どもに任せるということについて考えていくというものです。
子どもに任せることでどんないいことがあるのか、私自身、頭ではよく理解しているつもりです。また、任せたことで子どもができるようになっていたことはいくつもあり、実体験も伴っています。
ですが、どうしても私が任せにくいこと、何度か任せようとしてみたがうまくいかず結果的に手出し口出ししてしまっていることも結構あります。どんなものがあるか考えてみました。
2026年03月02日(月)
No.769
(日記)


