ハートフルコーチの泣き笑い日記

日々の発見やつぶやきなど。

息子に選択を任せるワケ


片付けひとつとっても、気質によって異なるその定義。
相手を知ることで、相手に対するイライラが受容に変わり、初めて、お互いがハッピーになれる方法を一緒に作っていくことができる、そんな一連のプロセスを瀧澤さんの日記を読んで感じました。

インドネシアの鈴木です。

最近、インドネシア人家族から「なぜあなたたち夫婦は子どもにそれほど選択肢を与えるのか?」と聞かれることが重なりました。
確かに、幼児の時の「着る服は何にする?」に始まり(その当時、息子が選ぶのは決まってピンク!)、10歳になった今は、通う学校も息子が選ぶようになりました。
選ぶとは言っても、学校に関しては学費、通学時間等、大人の事情もあるので、多様性(日系、シンガポール系、華僑系、インドネシア系、ニュージーランド系)をもたせた上で5校に絞り、あとは息子が自分で見学に行って決めた次第ですが。

彼らが私たちに対して、「子どもに必要以上に選択を委ねているのでは?」と感じていたことは私にとって新鮮な驚きで、改めて「なぜ息子に選択させているのか」について考えるきっかけとなりました。
今回の日記ではその「なぜ?」について私なりにひも解いてみたいと思います。
2024年05月27日(月) No.675 (日記)

どうして片付けようとしないのか…


娘さんの態度に対するモヤモヤした感情がどこから来るのかを深堀し、ご自身の反応をしっかりと受け止め進んでいるチャウさんの日記を読んで、相手だけでなく自分の感情ともしっかり向き合うこと、そして受け入れることの大切を改めて感じました。
我が家の娘も同じ歳頃、良い関係を構築するうえでの参考にしたいと思いました。

タイの瀧澤です。
1年半くらい前、リビングルームの机や棚の上が娘の物で散らかり、私が「片付けなさい!」と言うことが続く、「片付けバトル」が勃発している時期がありました。
当時10歳の娘は家にいるほとんどの時間をリビングルームで過ごしていました。動画をみたり、創作活動をしたり、読書をしたり、好きなことを自由にするのは良いことなのですが、「まだ使うから」「明日も続きをやるから」と、使ったものを出しっぱなしにするのです。

まだ使うなら、と私もそのまま見守ることにするのですが、それが何日も続くうえに、範囲がリビングテーブルからダイニングテーブルへとどんどん広がっていき、「いい加減に片づけて!」と私のイライラが爆発する、そんな状況が続いていました。
リビングルームの机は家族で共有するのだから、皆が快適に過ごせるように片付けてほしいと伝えていました。何度言ったらわかるのか、どうして片付けようとしないのか、私には理解できずにイライラが募っていました。
2024年05月20日(月) No.674 (日記)

負けず嫌い


自分にとって心地良い音楽を聞ける場所に積極的に出かけたことで、心に余裕が生まれ、それをきっかけに妊婦さん一人一人に寄り添える助産師さんへと変わっていかれた落合さん。自分を好きのパワーで満たす大切さを感じました。

カナダのチャウです。
先日、久しぶりに11歳の娘と夕食後にトランプでクレイジーエイトというゲームをやっていた時のことです。
途中までは楽しく遊んでいたのですが、私がもうすぐ上がりそうと察したとたん、娘は自分の番を待たずに山札からカードを引いたり、それを正当化するようなことを言い始めました。意地になって自分が勝てるまでゲームを続けようとしているようでした。

数年前、当時中学生だった次男と娘と私の三人でモノポリーやSORRYなどのボードゲームが
ブームだった時も、娘は負けそうになるとルール違反したり、機嫌が悪くなったりして最後が
うやむやになることがよくありました。
5つ歳上の次男は妹が機嫌悪くなるのを避けるようにやんわりと諭して、事を荒立てずにさっさと居間から退散。私も内心モヤモヤしつつも、娘を強く咎めはしないままゲーム終了となることが度々ありました。歳の離れた末っ子の娘は家族からプリンセスのように可愛がられて育ったせいなのか、お兄ちゃんたちと何でも対等に渡り合おうとする頼もしさがある反面、私は彼女の勝ち気なところがずっと気になっていました。

今回はそんな娘の態度をスルーできず、ついに娘に「途中でルールを無視してまで勝とうとす
るなんて面白くない。もう〇〇とはトランプしたくない」とはっきりと言ってしまいました。
これまでモヤモヤしていたものが一気に口から出た感じでした。そうしたら娘は案の定、不機嫌になって、2階の自分の部屋へ駆け上がりこもってしまいました。

やれやれ、どう言えば良かったものやらと考えていると、ほどなく携帯にメッセージがあり、
「ママは私のこと全然わかってない。ママがそんな風じゃ面白くない」と書いてありました。
私の態度の話じゃなくて、あなたの態度について言ってるんですけどと思ったものの、このメッセージだけでは真意がつかめずにいました。結局寝る時間になっても娘と話す気になれず、毎晩しているおやすみ前のベッド脇での会話もせずに就寝となったのでした。
2024年05月13日(月) No.673 (日記)

世界に一つだけの花


違いや比較は社会や自分が作り出し、そう見ているのは自分だという気づきや、ありのままの輝きを感じることができ、また美しいと感じる渡海さんの柔軟な捉え方に感動し、今回のブログのヒントを頂きました。

埼玉の落合です。
この季節にブログを締めくくらせていただけることに感謝しています。
助産師になってちょうど13年目の春を迎えました。今だからこそ書ける、私の大好きな曲からの気づきを書きたいと思います。

新人助産師の2年間は、学び舎であった看護学校の母体となる総合病院で働いていました。
社会人から40代でこの業界に飛び込んだ私は、一日でも早く「一人前の助産師」になりたいと意気込んでいました。「一人前」とは、妊娠・分娩・産後を通して関われること。出産の前後を通して、五感を、時には六感を使ってあらゆる角度から相手に共感し、寄り添いたいと思っていました。

しかし、現実はなかなか厳しく、業務量の多さと組織の中での役割に追われて、次第に家と職場を往復するだけの日々となっていきました。忙しさのあまり、私はいつのまにか、教科書通りに、学校で学んだ通りに、まるでロボットのように業務をこなす助産師になってしまっていました。そして、休日に自宅に居ても耳にモニターの電子音が残っている感覚に陥っていったのです。

頭の中に居座る音を違うものにしたくて、今の場所から離れたい思いに駆られました。それでも、助産師を辞めようとは決して思いませんでした。幼少の頃、母の妊婦健診に付き添ったおぼろげな記憶のころから、助産師という職業は「産む・育てる」というライフイベントで絶対に必要な存在であると確信していて、「決して辞めない」と心に決めていたからです。家族や恩師の協力や応援も、心の支えになっていました。

そこで、何か音楽を聴きにいってみようと思い立ちました。検索したところ、槇原敬之さんのツアーライブを見つけました。
彼の楽曲は学生時代からよく知っていて、ただただ聴いているだけでも歌詞から景色が想像できて、不思議なくらい魅力的です。他のアーティストに提供した有名な曲もあったり、思い出がよみがえる曲があったりと身近に感じて、複数回のチケットを購入しました。
2024年05月06日(月) No.671 (日記)