親の役割
広島の來山です。
上村さんらしい素敵な涙の話。上村さんの気持ちや涙をご両親が愛情たっぷりに丸ごと受けとめてこられたからこそ、上村さんは思いっきり泣けるし、周りの人の涙もそのまま受け取れるのだと納得しました。
振り返ってみれば、9年前にハートフルコミュニケーションに出会う前の私は、子育ては、親が子どもをいい子にすることだと思っていました。だから、子どもがみんなに好かれて、色々なことにチャレンジして、何でもできるように教えてあげることが親の役割だと思っていました。
そんな私は、生まれたばかりのもうすぐ20歳の息子と対面した時、愛おしさを感じると同時になぜか「私はこの子を立派に育てられるだろうか」、というぼんやりとした不安を抱きました。現在24歳になる娘が泰然としているのに対して、息子のひと時も私から離れない後追いの時期、終わりのないイヤイヤ期にどう対応したらいいのかわからなかった私は混迷していました。その後、幼稚園に行きたくないと泣いてばかりいる彼を受け止めることができず、どうにかして変えなければと焦っていました。
2020年12月21日(月)
No.492
(日記)
涙の話
「話すこと」「書くこと」を通して〈私には大切なものは全て備わっている〉と思い出した名和さん。しっかりと自分と向き合い対話できる名和さんは弱虫なんかじゃないですね!
これまでのブログを読み返してみると私は毎回泣いています。自分でもよく泣くほうだという自覚もあります(笑)。そんなわけで今回は涙の話をしようと思います。
私は不安やイライラが高まると(ああ、そろそろ限界だな)と気づくことがあります。
心の奥にどす黒い影がもやもやと湧いてきて形を成すことなく漂う感覚です。
そうなると何もできない、どうにもならない。そんなふうに気持ちが落ち込んでいくのです。
そうした気持ちに気づいたとき、私は会社に向かう車の中で泣きます。
まずは大好きなロックバンドの曲を大音量で流しながらテンションを上げ、心に染み入る曲に変わったとき、思い切り涙を流すのです。流れる涙を拭うこともせず、ときには声を上げながら泣きます。小さな交差点。信号待ちの対向車のドライバーに私の泣き顔が見えているかもしれません。でもそんなのお構いなしに泣き続けます。
すると会社に着く頃には涙と鼻水とともに黒いもやもやも少しは小さくなっています。
不思議なものでこういう状態のとき、ひとりで泣くのが私にはストレス発散になるようなのです。それはまだ誰かに話す段階にない、つかみどころのない気持ちの揺れに、押しつぶされないようにするための無意識の自衛策なのかもしれません。
だから私は心が悲鳴を上げたら車に乗り込みボリュームを上げることにしています(笑)。
そんなふうに積極的に泣くこともある私ですが、自分でも思いがけず流した涙もあります。それは母が亡くなったときのことでした。
2020年12月14日(月)
No.491
(日記)
話すこと、書くこと
兵庫県の名和です。
自分を信じて自分に「GO」を出す頼もしい息子さん。息子さんの「好き」を見守るやまださんの視線があったればこそ!と思いました。
10月初頭のことです。
「胸部レントゲン撮影の結果のことでドクターから直接お話したいことがあるので来院ください」。健診を受けた病院から一本の電話がありました。不安を覚えた私は、電話口の女性に「何か良くないことですかねぇ? 緊急入院とか無いですよねぇ?」と遠回しに探りを入れました。「いえいえ、そんな。とにかくいらしてくださいね」と曖昧に応える女性の口調に更に不安が募りました。
胸騒ぎが止まらなくなった私は、ネット検索に首っ引きになっていました。様々な情報が入って来て、私の中にどんどん不安が募っていきました。堪らなくなって妹に話すと「健診で引っかかっても、7割ぐらいは問題ないらしいよ。毎年、健診を受けてるんだから、もし最悪でも超早期ですぐ治るわよ」と言ってもらえて、少し元気をチャージできました。
2020年12月07日(月)
No.490
(日記)