ハートフルコーチの泣き笑い日記

日々の発見やつぶやきなど。

涙の話


「話すこと」「書くこと」を通して〈私には大切なものは全て備わっている〉と思い出した名和さん。しっかりと自分と向き合い対話できる名和さんは弱虫なんかじゃないですね!

これまでのブログを読み返してみると私は毎回泣いています。自分でもよく泣くほうだという自覚もあります(笑)。そんなわけで今回は涙の話をしようと思います。

私は不安やイライラが高まると(ああ、そろそろ限界だな)と気づくことがあります。
心の奥にどす黒い影がもやもやと湧いてきて形を成すことなく漂う感覚です。
そうなると何もできない、どうにもならない。そんなふうに気持ちが落ち込んでいくのです。
そうした気持ちに気づいたとき、私は会社に向かう車の中で泣きます。
まずは大好きなロックバンドの曲を大音量で流しながらテンションを上げ、心に染み入る曲に変わったとき、思い切り涙を流すのです。流れる涙を拭うこともせず、ときには声を上げながら泣きます。小さな交差点。信号待ちの対向車のドライバーに私の泣き顔が見えているかもしれません。でもそんなのお構いなしに泣き続けます。
すると会社に着く頃には涙と鼻水とともに黒いもやもやも少しは小さくなっています。
不思議なものでこういう状態のとき、ひとりで泣くのが私にはストレス発散になるようなのです。それはまだ誰かに話す段階にない、つかみどころのない気持ちの揺れに、押しつぶされないようにするための無意識の自衛策なのかもしれません。
だから私は心が悲鳴を上げたら車に乗り込みボリュームを上げることにしています(笑)。

そんなふうに積極的に泣くこともある私ですが、自分でも思いがけず流した涙もあります。それは母が亡くなったときのことでした。
母を病室で看取り、一緒に帰宅した二日目の夜には、次の日の「お別れの会」に参列するため、姉と私の家族も実家に集まっていました。夫と長男、義兄がテレビを観ているとなりで、私は返礼品のチェックや会食の人数の確認などをしていると台所で姉と妹と甥が歌を歌い始めました。心地よい3人のハーモニーはなにかと気ぜわしい私の気持ちを静めてくれましたが、そのうち「そうだ、お母さんにも聴かせてあげよう」と姉が言って、3人は歌いながら母が眠る部屋へ移動していきました。
少し遠のいた歌声に耳を傾けながら私は母に(お母さんは歌が大好きでしょ! 聞こえてる? 娘と孫がお母さんのために歌っているよ)と心の中で話しかけました。そして(明日はもう本当にお別れか…もう会えない…)とそこまで頭に浮かんだ刹那、カッと熱い何かが身体を貫きました。
「(泣いてしまう!)あ、ダメだ」。私はそう声に出し、身をひるがえして部屋から出ようとしましたが間に合いませんでした。
気がつけばみんなに背を向け、身体を折って床につっぷし、両手で耳を塞ぎながら泣いていました。何が起こっているのかわからないまま、「うえっ、うえっ」と自分で発している声だけが頭の中いっぱいに聞こえていました。
どのくらいそうしていたのか自分では覚えていません。
ふいに誰かが私を抱き起こし、肩を抱き、優しく背中をさすってくれました。それは武骨で大きな手。(ああ、お父さんだ…)と私はすぐに気づきました。母が倒れてから葬儀の手配や霊園の見学などひとりで一手に引き受けていた私でしたが、父に背中をさすってもらいながら「お母さんがまだ生きているのにそんなことをするのは本当に辛かった」と、自分でも気づいていなかった気持ちを吐き出していました。(お父さんの胸で泣くなんて何十年ぶりのことだろう)そんなことをぼんやりと思いながら、そのあまりの温かさに気持ちが安らぎ、まるで思い切り父に甘えるかのように私はしばらく泣くことをやめませんでした。

次の日。
「小さな幸せをふたりで育ててきました」と父は会食の席で挨拶しました。
とても穏やかで優しい語り口の中に深い悲しみの音が聞こえたような気がしました。
私は挨拶をする父の姿を見て、この世の中で誰よりも母を愛し、そして母の死を一番悲しんでいるのは父なのだと理解しました。
父と母は50年近くの歳月をともに過ごし、3人の娘を育てました。父は若くして病を患った母を支えながら、遠くに旅行に行くことも派手に遊ぶこともせず、何事もない日々を笑って過ごせることが幸せなのだと、ふたりで手を携えて日々を生きてきたのです。そしてそのかけがえのない小さな幸せを積み重ね、ふたりで大事に育ててきたのでした。

本当は父も泣きたいだろうに。
私はそう思いましたが、同時に、今父の涙を受けとめられる人がいるだろうか? そして父自身は今誰かに涙を受けとめてほしいだろうか? そんなことも考えました。
晩酌をしながら母のことを思い、私たちの前で涙を流す父を見たのは、母が亡くなってずいぶん経ってからのことでした。父はどれだけひとりで泣いてきたのだろう。そう思うと(やっと話せるようになったんだね)と、父の涙に安堵しながらも切なさも相まって、その夜は母の思い出を話しながら、家族みんなで泣きました。

涙は人の心を映し出します。その涙をしっかりと受け止めてもらえたら、あのときの私のように自分でも気づかなかった思いが溢れ出したり、父の涙を見たときのように、誰かの涙を受けとめることで自分が救われることもあります。
私は泣き虫ですが、それは両親に愛情たっぷりに育ててもらったからだと勝手に思っています。そして何より、涙を受けとめてくれる心優しい人たちが私のまわりにたくさんいるから安心して泣いてしまうのです(笑)。
今朝は父のガラケーから「里芋とネギを送ったよ」とメッセージが届きました。父が育てる野菜はとってもおいしいのです。野菜が届いたらさっそく電話をかけてみよう。父の柔らかくて優しい「みんな元気か?」の声を無性に聞きたくなったから。

2年間ありがとうございました。最後の襷を來山さんへ繋ぎます。それー!

埼玉県/上村明美 






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