信じることの意義
バイアス=排除すべきもの、という感覚でした。しかし、瀧澤さんの日記を読んで、バイアスは自分自身のものの見方、ひいては価値観であり、それは気質や環境によって育てられた私そのもの。排除するのではなく、知ることが大切だなと思います。
インドネシアの鈴木です。
今回は、「子どもを信じることの意義」について書きたいと思います。
ここジャカルタでは、小学生は保護者の送り迎えが必須。
我が家は学校から徒歩5分の距離にあるため、ほんのわずかな時間ではありますが、息子と一緒に歩く時間は貴重なお喋りの時間。学校での出来事が消化しきれていない帰りの時間は、楽しかったこと、嫌だったことが感情のままに出てきます。
そんないつもの帰り道。息子が、
「先生がChatGPTを使わなかったか? って聞くんだよ」
と話すのです。
何ごとかと思ったら、その週の月曜日に提出したストーリーについて、「ChatGPTを使わなかったか?」と先生から尋ねられたとのこと。
息子が「使っていない」と答えたところ、先生は「そんな顔で私を見るんじゃないよ。確認したんだからね。両親とも話をする」と言っているようです。
2024年03月25日(月)
No.664
(日記)
バイアスとの向き合い方
チャウさんの日記を読んで、レジリエンスを育むことは人生を謳歌するために必要なことだなと改めて感じるとともに、ネガティブな感情に寄り添い受け止め言語化することを自分に対しても、周囲の大切な人に対してもしてきたかな、と振り返るよいきっかけになりました。
ついついネガティブな感情を避けようとしてしまいがちな私ですが、レジリエンスを育むチャンス到来と前向きに、寄り添い受け止めたいと思います。
タイの瀧澤です。
先日、大学のオンライン授業でバイアスについて話し合う機会がありました。バイアスとは思考や判断の誤り、歪みのことで、誰にでもあるものだそうです。
思考や判断を誤らせるバイアスに、私はネガティブなイメージを持っており、自らが持つ認知の歪みをなくしたいと意識して過ごしているつもりでした。にもかかわらず、その授業で行った確証バイアスの例を挙げるアクティビティや心はどこにあるかの問いについて考察し意見交換をした際に、自らが気付かないうちにバイアスをかけていたことに気が付かされるという体験をしました。
この体験をしてから、これは私の中でバイアスが発生していたのだな、と思った出来事がありました。
2024年03月18日(月)
No.663
(日記)
自分の感情に寄り添ってみたら
落合さんの日記を読みながら、私もカナダで長年暮らしている側の者として病院との関わりを振り返っていました。初期の頃、病院にいくのも恐る恐るで、ちゃんと症状を伝えられないのではないかと、辞書で調べて書き出してから病院に行っていたのを思いだしました。
おかげさまで出産を始めこれまで医療者の方々には親身にケアしていただき、今では信頼して通うことができています。相手はきっとわかると信じて、いろいろな表現で伝えようとしてくださること、本当にありがたいです。
カナダのチャウです。
保育や子どもに関わる仕事をしようとカレッジで学び始めて1年半が経ちました。学んでいくなかで、保育者として子どもをどのような対象として見るかという基本的なこどもの捉え方が、何度も繰り返しでてきます。それは、「子どもは有能で、複雑な思考ができ、好奇心旺盛で、可能性に満ちている」というフレーズです。
そして、元々このような存在である子どもたちにどんなカリキュラムや学びの環境づくりを用意できるのか、というのが私たち親や保育に関わる大人の在り方だと教わります。子どもにとっての学びは遊びの中にあるので、子どもたちが示す興味や関心をベースにそこから彼らの「面白いからもっと知りたい!」という自然な欲求を探求させてあげる環境づくりが必須と習います。
文はさらに、「子どもの家族は、有能で好奇心があり、豊富な経験をもった一人一人からなっており、保育者は、有能で、好奇心があり、豊富な経験がある」と続きます。このような見方を持った時はじめて、幼児期の子どもに、本当の意味でよい環境を用意することができるというのです。
実は、私はこれまでこの文言を読むたびに、どこか複雑な気持ちになっていました。
2024年03月11日(月)
No.662
(日記)
伝わるように、伝える
さいたまの落合です。
渡海さんの、「大発見をします。『本を読む事は、何通りもの人生を生きるという事だ』」の一節を読んだときに、何通りの人生の送る人からのメッセージを受け取ることができるんだと思い、世界が広がった感覚になりました。
助産師をしていると、嬉しいことにたくさんの方に会うことができます。そのなかには外国人の方もいらっしゃいます。コロナウイルスが蔓延した頃から、日本に住む外国人妊産婦さんに、NPOのスタッフとして月に1回程度、同じ国の言葉を使う人たちのグループごとに通訳さんと一緒にオンラインの相談に応じています。
先日、「やさしい日本語」(医療版)という研修をうけてきました。
「やさしい日本語」とは、難しい言葉を言い換えるなど、相手に配慮したわかりやすい日本語のことです。始まりは阪神淡路大震災で日本語を母国語としない方々の被災件数が多かったからだそうです。少しずつ普及し現在では漢字にルビを振ることや、「避難」と言う漢字を「すぐに、にげて!」わかりやすい言葉で表示しなおされるように工夫がされているとのことでした。
2024年03月04日(月)
No.661
(日記)