子どもと同化する
神奈川の秋岡です。
山本さんの記事を読んで、私も実はどこかで自分の「正しさ」にこだわっているところがあるのかもしれないとドキッとし、少し考えさせられました。
そんなドキドキを持ちつつ、今回は一生忘れられない出来事となった、約4か月前にあった息子の中学受験本番について書いてみます。
東京・神奈川では2月1日から中学受験の試験が一斉に始まります。前日の夜、当の息子はぐっすり寝ていた一方、落ち着いていると自分では思っていた私は全く寝られず、夜中に5回ほど目を覚まし、朝も鳴る前の目覚まし時計のボタンを押す始末。翌日も翌々日も、深い眠りとは程遠い夜をそれから3日過ごしました。
2021年05月31日(月)
No.514
(日記)
私の選択肢
群馬県の山本です。
羽木さんのお話、耳が痛くなりました。私は親と「対話」はもちろん、会話もあまりしてないな…と反省しつつ、まだもう少し先になりそうです。その時まで「対話」のことを心にとめて温めておきたいと思います。
さて、私は昔のことを思い出していました。
長男が小さい頃、子育てのやり方に迷いながらも、正しい答えは一つしかないと思っていた頃のことです。私は厳しい母親でした。
ずっと後悔していることがあります。ハートフルに出会う前のことです。
今から13年前、息子が小学校に入学した頃のことです。息子は身体も大きいほうでしたし、しっかりものでしたから、あまり心配もしていませんでした。
それが入学して2週間ほどたった頃、急に「今日は休む…」と言いました。おなかが痛いとも言ったかもしれません。
でも、明らかに仮病だと確信した私は瞬間的に、学校へ行かせることを考えました。行ってさえしまえば、大丈夫と思っていました。それに、仮病で休ませることは、その時の私の選択肢にはありませんでした。
2021年05月24日(月)
No.513
(日記)
親と対話すること
兵庫の羽木です。
田中さんのお話を読んで、母が認知症になった頃のことを思い出しました。
「今」を生きる親。私も母への寄り添い方を考えなおしてみたくなりました。
今回は田中さんに続いて、私も父のことについて書いてみたいと思います。
父は93歳。厳格でまじめな、家事など一切しない一昔前のお父さん。仕事でいつも忙しそうで、私は子どもの頃から父の体が心配で、父を労い、敬い、大切に思う気持ちがありました。それは、今でも残っている感覚です。
5年前、母が脳梗塞で倒れました。母は半身不随となり、認知症が急速に進んで施設に入りました。父の生活も、隣に住む妹一家の生活も一変しました。父は3か月で10キロ痩せ、昼夜逆転。母の訪問も目的ではありましたが、私は父のことが気がかりで、毎月新幹線に乗って帰省するようになりました。その頃から急に父の老いを感じるようになりました。それでも、まだ、この頃は自分のことは自分でできていたのです。歩く、食べる、トイレに行く、お風呂に入るなどの、超基本的な自分でやりたい自分のこと。
ところが、昨年末、転倒したのがきっかけで、父の介護度が急に上がりました。人に頼らず、何でも自分でやりたい父にとって受け入れられない事態になりました。
2021年05月17日(月)
No.512
(日記)
父のこと
大阪の田中です。
我が家の長男は現在中三。部屋はぐちゃぐちゃ、学校からのプリント類を見せたためしなし。進学を前に、「困った母ちゃん」の出現率の多い自分にハッとさせられました。
お弁当をもって颯爽と出発する息子さん、それをドンと構えて見守る小林さんの様子を想像し、信じる力をもらいました。
さて今回は、私の父のことについて書きたいと思います。
父が認知症かもしれないと告知されたのは、四年前のことでした。
父は糖尿病で、血糖値が安定せず入院していました。そこで異変を感じた主治医から告げられたのです。
一人暮らしの父は、自分で入院準備をし、手続きをし、子供らに迷惑をかけまいと、入院していることを伝えるのをためらっていました。ここまでできるのに認知症???ショックというよりも、頭の中にハテナがいっぱい浮かび、信じられないという気持ちでした。
2021年05月10日(月)
No.511
(日記)
困った母ちゃん脱却
千葉の小林です。
山田さんの「子育て四訓」。ハートフルコミュニケーションでいう「ヘルプとサポート」と似ているように感じました。お子さんの年齢が離れていらっしゃるなかで、それぞれの成長にあわせてサポートしていらっしゃる山田さんにエールを送ります。
そして、山田さんの日記をきっかけに、最近の私を振り返りました。
今回は、もうすぐ19歳になる息子について書きたいと思います。
私がハートフルコミュニケーションに出会ったのは、11年前。息子が小学校1年生のときです。そのときからなるべく余計な手助けはしないように心がけてきましたが、今年の大学受験で改めて「どこまでが余計な手助けなのか」について考える出来事がありました。なんと共通テストの受験票を前日に紛失してしまったのです。
2021年05月03日(月)
No.510
(日記)