ハートフルコーチの泣き笑い日記

日々の発見やつぶやきなど。

父のこと


大阪の田中です。
我が家の長男は現在中三。部屋はぐちゃぐちゃ、学校からのプリント類を見せたためしなし。進学を前に、「困った母ちゃん」の出現率の多い自分にハッとさせられました。
お弁当をもって颯爽と出発する息子さん、それをドンと構えて見守る小林さんの様子を想像し、信じる力をもらいました。

さて今回は、私の父のことについて書きたいと思います。
父が認知症かもしれないと告知されたのは、四年前のことでした。
父は糖尿病で、血糖値が安定せず入院していました。そこで異変を感じた主治医から告げられたのです。
一人暮らしの父は、自分で入院準備をし、手続きをし、子供らに迷惑をかけまいと、入院していることを伝えるのをためらっていました。ここまでできるのに認知症???ショックというよりも、頭の中にハテナがいっぱい浮かび、信じられないという気持ちでした。

退院の日、付き添いはいらないという父に、なかばむりやり家へついていって驚きました。玄関から居間まで、足の踏み場がないくらい物であふれかえっていたのです。積み重なった箱入りペットボトル飲料の賞味期限が何年も過ぎているのを見て、主治医の告知に合点がいったのでした。

それからすぐに、実家の片づけを始めました。それと平行して、福祉サービスを受けるための手続きもしました。実家の状況から見て、認知症が父の生活に不便をかけているように思いましたが、本人がどれだけ不便に思っているのかはよくわかりません。そもそも、自分が認知症であるなどと思っているのかどうか。父には、部屋の片づけの手伝いと、血糖値を安定させるためという理由で納得してもらい、ヘルパーさんと看護師さんに訪問してもらうことになりました。
今まで、父が一人で行っていた病院にも、私が付き添うことになりました。外で会うぶんには、ほんとに認知症なのかと疑うぐらい、特に困った様子もなく、問題ありません。けれど、薬の管理ができなかったり、(血糖値が安定しないのもこのせいでした。)どんどん物を買ってため込んでしまうということがあり、私は実家へも頻繁に帰るようになりました。

近所の人と挨拶をしたときに、それとなく迷惑をかけてないか聞いてみました。なにもないよという返事に安堵したのと同時に、父が認知症になったことを伝えるかどうか迷いました。長い付き合いです。実は困ったことがあるのに私を気遣って、「ない」と言ってくれているのかもしれない、とも思いました。迷った末に、認知症ということは伝えず、「なにかご迷惑をかけるようなことがあれば、お電話ください。」と携帯番号のメモをわたすことにしました。具体的な病名を挙げることで、父への見方が変わってしまうのを恐れてのことでした。
父の行きつけのお店に行っても同様の思いはありました。けれど、父の生活の中で、認知症と言う言葉だけが一人歩きをしてしまうと、父が築いた関係を壊してしまうのではないかと思い、迷った末に伝えることはやめました。私がもつ、認知症へのネガティブなイメージと、父の尊厳を守りたいという気持ちが、迷いを生んでいるのだと思います。

告知を受けてすぐに片づけ出した実家は、四年経った今、さらに新しい物で埋め尽くされています。片づけてはそれを凌駕するほどの買い物をしてくる父に疲弊しますが、父が自分のお金で必要と思うものを買い、家においておくことの何が悪いんだろうと思うと、買い物を控えたら?という話はできても、やめることを強要することはできませんでした。

そんなある日、父との食事中、父の思い出話になったことがありました。私が産まれた時のことや、人生で嬉しかったことの話になり、それから、人生の幸せのピークはいつだったかという話題になったのです。父は迷うことなく「今やなぁ」と答えました。私には、思いも寄らない答えでした。

私は、福祉サービスも利用しているし、介護の悩みを吐露し、聞いてもらえる場もあります。夫の支えもあり、共有や共感が私の救いになってくれることが多々あります。これだけの助けがあっても、今まで頼りになる存在だった父が、娘を頼りにする父へ変化していく時間を共にするのは、孤独な戦いでした。深刻な空気を一変するような父のユーモアに助けられることもありますが、進行していく病気への怖れや、様々な場面で私が決定しなければならないことが増えていく不安から、今を憂うこともあります。
そこへ来て、人生の幸せのピークが今という父の発言に一瞬思考が止まりました。今の状況のどこが?と思考が巡り始めたとき、私がみている認知症なってしまった父と、状況を受け入れ、今を生きている父の大きな差を感じたのです。

「今やなぁ」という言葉を聞いても、私は安心もしないし、恐れや憂いがなくなるわけではありません。それでも、「今」を生きるということについて、正にそれしかないと思いました。
今までの父と、これからの父がいるわけではない。今の父がいるだけなんだ。私も今を生きて、幸せのピークをともに味わいたいと思います。

それではこの辺で、羽木さんにタスキをわたしたいと思います。

大阪府/田中千世子 







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