親の価値観からの私の自立
千葉の鈴木です。
相手のありのままの姿を受け入れることが難しいと感じるとき、「受け止める」というステップを挟むことで、相手の気持ちを想う時間が生まれるという瀧澤さんの日記に、一呼吸おいてまずは相手を知ろう、そんな気持ちになりました。
さて、夏休みを経て息子は10歳になりました。実家の両親にも一緒にお祝いしてもらい、私は息子の成長とともに、孫の成長を喜んでくれる両親の姿を嬉しく眺めていました。
今回は、そんな息子と父とのやりとりに教えられた、親の価値観からの自立について書きたいと思います。
私は子どもの頃から、両親にとって私が何よりも大切であること、愛されていることを肌で感じていました。それは、私を失ったら彼らの心が死んでしまうだろうという恐怖にも似た感情でした。
それと同時に、その両親の愛情は痛いほどわかるのに、なぜ私のやりたいことを思う存分やらせてもらえないのか、私の興味関心を良いものとして受け止めてもらえないのか、という強いフラストレーションも感じていました。
2023年08月28日(月)
No.634
(日記)
受け止めてみたら
タイの瀧澤です。
離れて暮らすご両親との久しぶりの再会をきっかけにチャウさんがお母様への想いと向き合い、過去の想いを手放し新たな未来へ進んでいく過程に、お互いを想う気持ちが溢れているように感じ、温かい気持ちになりました。私も離れて暮らす両親に会いたくなりました。
『子どもの心のコーチング』(菅原裕子 著)の巻末に、「ひび割れ壺」という物語が載っています。私はこの物語が大好きです。何度も読んでいるのですが、読むたびに受け取るメッセージが変わるのです。
養成講座を受講し始めたころ、この物語にでてくる水汲み人足とひび割れ壺のやりとりのなかから、私の親としての役割は子どものありのままの姿を受入れ、その子らしさを伸ばしていくことかもしれないと感じたことがありました。そして、その役割をぜひ果たしたいと思いました。
よし、娘のありのままの姿を受け入れるぞ、と意気込んでみたものの、受け入れることの難しさに直面しました。
例えば、娘が「宿題やりたくない」と言った時、私の頭に浮かぶのは「やりたいとかやりたくないとかの問題ではなく、宿題はやるものでしょう」という反論。娘のありのままの意見を受け入れたいけれど、「そうだね、やりたくないよね」なんて言えない、そう言ってしまったら、宿題をやらなくていいと認めたことになってしまう、娘は宿題をやらなくなってしまうのではと思っていました。
「犬飼いたい!」と言われたら、「でも、またいつどこの国に引っ越すかわからないから我が家では買えない」と答えていました。現実的に飼えないのに、「そうだね、飼いたいね」と期待を持たせることは言えないと思っていました。
2023年08月21日(月)
No.633
(日記)
頑固
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私も憶測で、人に対してああじゃないか、こうじゃないかとグルグル思考に陥ることがよくあります。
落合さんの「太陽と北風」の比喩はとても分かりやすく、自分から周りに明るさやポジティブな気持ちを発振する効果や大切さがよく伝わってきました。
カナダのチャウです。
この7月、8年ぶりに家族全員で日本へ帰国しました。実家に居候させてもらい、孫たちの成長を両親に見せることができ感慨もひとしおでした。
同時に久しぶりに会う両親が高齢になってきたことや、言葉の奥底にある心配や思いを全身で感じ、私の両親への想いを改めて見つめ直す機会になりました。
私は子どもの頃から、母は強くて賢くて、意見を言えばいつも正しいと思っていました。
教員の仕事をしながら家事もてきぱきこなす母に、台所で夕飯づくりのお手伝いをしながら学校の友だち関係の悩みなどをよく聞いてもらったことを覚えています。
子どもの頃に抱いていた母への尊敬の念は、思春期になると母にもっと認めてもらいたい、でも母のようにはいろんなことを上手くはできない、私には何か足りない、というモヤモヤした思いに変わっていきました。
母は成績についてうるさく言いませんでしたが、子どもを褒めるタイプでもありませんでした。おそらく平均的な偏差値レベルの自分では母を喜ばせることはできないと、スポーツなど自分の得意なことや従順であることで母に認めてもらいたいと思っていたように思います。
いずれにしてもこの頃から「私は母のようにはうまくはできない」という自己否定を深め、母に認めてもらいたいという想いが膨らんでいきました。
しかし、母の意見に従っていれば間違いないから楽だという甘えた思いも社会人になってからもずっと心のうちにありました。
頼りになる母の存在と自信のなさがいつも同居していて、超えられない母の存在が大きすぎるゆえに母から離れたい、私は自分の力でできるのだと証明したいというような思いになっていきました。
2023年08月14日(月)
No.632
(日記)
北風と太陽
自分が楽しむことは、結果、子どもも楽しめる。これから地域活動に関わっていく渡海さんの笑顔が、娘さんだけでなく地域へと伝播し繋がっていくと想像するだけでワクワクした感情を持ちました。
埼玉の落合です
今回、人間関係で困ったとき、私がいつも辿る思考パターンがあることに気づきました。
私はとても人の態度を敏感に感じ取ってしまうことがあります。
例えば、どうも相手がずっと黙り続け、怒っているようだ…と感じると
「その怒りは何だろう?」と、一気に私の脳内で着想と内省が働き出します。
2023年08月07日(月)
No.631
(日記)