ハートフルコーチの泣き笑い日記

日々の発見やつぶやきなど。

頑固


★★★ 今週金曜日の夜、開催! 第15回オンライン・ホッとカフェのご案内 ★★★

【日時】2023年8月18日(金)20時〜22時
【参加費】無料
【方法】オンライン(ZOOMを使用します)

15回目で初めての平日夜の開催です。
日記を読んだ後の「もうちょっと聞きたい」「もうちょっと話したい」をオンラインで気軽に叶えませんか?
テーマは、「『やらされる』から『自分からやる』に変わるHappyなしつけ」。取り上げる日記は、

「ありがとうの言葉」
です。

 ▶お申し込みはこちらのフォームから
 ▶お問い合わせ: teamrelayblog@gmail.com
 ▶前回までの様子はこちらでお読みいただけます。

★★★

私も憶測で、人に対してああじゃないか、こうじゃないかとグルグル思考に陥ることがよくあります。
落合さんの「太陽と北風」の比喩はとても分かりやすく、自分から周りに明るさやポジティブな気持ちを発振する効果や大切さがよく伝わってきました。

カナダのチャウです。
この7月、8年ぶりに家族全員で日本へ帰国しました。実家に居候させてもらい、孫たちの成長を両親に見せることができ感慨もひとしおでした。
同時に久しぶりに会う両親が高齢になってきたことや、言葉の奥底にある心配や思いを全身で感じ、私の両親への想いを改めて見つめ直す機会になりました。

私は子どもの頃から、母は強くて賢くて、意見を言えばいつも正しいと思っていました。
教員の仕事をしながら家事もてきぱきこなす母に、台所で夕飯づくりのお手伝いをしながら学校の友だち関係の悩みなどをよく聞いてもらったことを覚えています。

子どもの頃に抱いていた母への尊敬の念は、思春期になると母にもっと認めてもらいたい、でも母のようにはいろんなことを上手くはできない、私には何か足りない、というモヤモヤした思いに変わっていきました。
母は成績についてうるさく言いませんでしたが、子どもを褒めるタイプでもありませんでした。おそらく平均的な偏差値レベルの自分では母を喜ばせることはできないと、スポーツなど自分の得意なことや従順であることで母に認めてもらいたいと思っていたように思います。
いずれにしてもこの頃から「私は母のようにはうまくはできない」という自己否定を深め、母に認めてもらいたいという想いが膨らんでいきました。

しかし、母の意見に従っていれば間違いないから楽だという甘えた思いも社会人になってからもずっと心のうちにありました。
頼りになる母の存在と自信のなさがいつも同居していて、超えられない母の存在が大きすぎるゆえに母から離れたい、私は自分の力でできるのだと証明したいというような思いになっていきました。

反抗期らしいものもないまま大人になった私が、頑ななまでに自分の意思を押し通したのが国際結婚とそのなりゆきとしての海外移住でした。
最初は反対されたものの、結婚する時には両親は心から祝福してくれ、孫ができると本当に可愛がってくれました。目の中に入れても痛くないほどかわいがっていた0歳と2歳の孫を連れて海外移住すると両親に宣言した私。私の人生なのだから、私が決めると言わんばかりに、両親の気持ちを聞こうともしないで実行に移したのでした。
そのうしろめたさを追いやるために、私は海外生活での弱音を母には絶対に言うまいと片意地を張っていました。そんなこと母には全部お見通しだったと思います。

帰省中、母は私や孫たちのために食事や居心地のいい滞在ができるようにと行き届いた配慮をしてくれていました。私は母がしてくれることに対して「ありがとう」をたくさん言いました。
でもありがとうと言いながら、心の奥にはいつも先回りして気を利かせる母に対する静かな反抗心がありました。そのうえ母の態度から、私の何かが不十分だと言われている気がして、またもや母と二人で深い対話することをどこか避けていました。すると帰国間際に父が、「親子水入らずの時間も持ってあげなきゃ、お母さんがかわいそうだよ。」と言ったのです。
私は「えっ、かわいそう? 母と向き合うときの居心地の悪さは、私が引き起こしていることなの?」と、しばし考えさせられました。

このままではいけない。これでは今までと何も変わっていないではないか? 母と二人で話す時の心の葛藤を避けようとしてするあまり、心身ともに距離を置いてしまって、母に寂しい思いをさせてしまった。私が母に言わなければいけないのは、百万回の申しわけなさの伴う「ありがとう」ではなく、これまでの私の頑固さを許してもらうための「ごめんなさい」なのではないか?
ようやく思考がここまでたどり着いた時には、もう機上にいました。私は心の中で母に「ごめんなさい」を繰り返し呟きました。

異国に離れて暮らす私と孫たちのことを心配し、会いたいと願っている母に対してわだかまりを持ち続け、思いやりを避けていたのは私の方でした。
今回の帰省中には、母に私の頑なさを許して欲しいと直接伝えることはできませんでしたが、前回の帰国時に心配をかけた10歳だった長男が18歳になり、次男と長女もそれぞれに頼もしく成長した姿を見せることができ、母は嬉しそうで安心したようでした。
私は何も証明する必要なんてなかった。母はただ私と家族が幸せに暮らしていることを心底喜んでくれていました。

弱音や寂しさを見せまいとするところのある母。母もまた私同様、頑固なところがあるのですが、今回の帰省では手放しで孫たちとの再会を喜び、もっと会いたい、次にいつ会えるか分からないという思いが言葉の端々から感じられました。
母は寂しさを私には表現しにくいのかもしれない。年老いてきた両親、青年期へと成長してきた子どもたち、そして人生中盤にいる私。もう様々な過去のつっぱった考え方は手放し、素直さや思いやりを軸に今後の人生の選択をしていきたいと感じました。
オンラインでは伝えにくい愚痴や寂しさなどの本音が素直に出せるように、これからはもっと頻繁に帰国して、一緒にご飯でも食べながら二人でゆっくり語り合う時間を創っていこうと思いました。

ではこの辺でバトンを瀧澤さんにお繋ぎします。

カナダ/チャウあつよ  



2023年08月14日(月) No.632 (日記)

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