ハートフルコーチの泣き笑い日記

日々の発見やつぶやきなど。

受け止めてみたら


タイの瀧澤です。
離れて暮らすご両親との久しぶりの再会をきっかけにチャウさんがお母様への想いと向き合い、過去の想いを手放し新たな未来へ進んでいく過程に、お互いを想う気持ちが溢れているように感じ、温かい気持ちになりました。私も離れて暮らす両親に会いたくなりました。

『子どもの心のコーチング』(菅原裕子 著)の巻末に、「ひび割れ壺」という物語が載っています。私はこの物語が大好きです。何度も読んでいるのですが、読むたびに受け取るメッセージが変わるのです。

養成講座を受講し始めたころ、この物語にでてくる水汲み人足とひび割れ壺のやりとりのなかから、私の親としての役割は子どものありのままの姿を受入れ、その子らしさを伸ばしていくことかもしれないと感じたことがありました。そして、その役割をぜひ果たしたいと思いました。

よし、娘のありのままの姿を受け入れるぞ、と意気込んでみたものの、受け入れることの難しさに直面しました。
例えば、娘が「宿題やりたくない」と言った時、私の頭に浮かぶのは「やりたいとかやりたくないとかの問題ではなく、宿題はやるものでしょう」という反論。娘のありのままの意見を受け入れたいけれど、「そうだね、やりたくないよね」なんて言えない、そう言ってしまったら、宿題をやらなくていいと認めたことになってしまう、娘は宿題をやらなくなってしまうのではと思っていました。
「犬飼いたい!」と言われたら、「でも、またいつどこの国に引っ越すかわからないから我が家では買えない」と答えていました。現実的に飼えないのに、「そうだね、飼いたいね」と期待を持たせることは言えないと思っていました。

そんなふうに、娘の意見や想い、行動を受け入れたいと思いながらも、受け入れられないという日々を過ごしていました。私のなかでは、ありのままの姿を受け入れることがとても難しく感じられました。

ところが最近、受け入れることに対しての苦手意識が薄れてきました。自分の中の「受け入れる」と「受け入れない」の間に、「受け止める」というステップを取り入れてみたのです。
受け入れたいけど受け入れられないという自分の想いはどこから来るのだろうと日々意識しながら生活しているうちに、受け入れられない時の自分の気持ちには、ネガティブな発言を受け入れてしまったらネガティブな方向に思考が進み、娘が傷ついてしまうのではないかという怖れや、無意識のうちに娘に正しい答えを教えなければという思い込みがあるように感じました。

もともと、私には白か黒かはっきりさせたい、結論を出したいと考える傾向があります。
相手の投げかけには答えを与えなくては、そんなふうに思っていたので、娘の発言に対しても、答えを教えなければと思い込んでいたのだと思います。
自分のその怖れや思い込みを意識できた時、
以前娘を信じてみたらうまくいったことを思い出しました。
相手にも自分で考え答えを導きだす力がある、だから私は相手の意見や想いを受け止めて、共感すればいいと信じてみることにしました。怖れや思い込みはひとまず置いておいて、難しく感じていたありのままの姿を受け入れることもひとまず置いておいて、まずは受け止めてみよう、と思ったのです。

「宿題やりたくない」、「そう、宿題やりたくないの」
「犬飼いたい!」「うん、飼いたいねぇ」
まず受け止めることを実践していくうちに少しずつ自分のなかの白か黒か結論を出すべきだという思いから解放されていくのを感じ、気持ちが楽になりました。

そして、相手の意見を受け止めてみると、自分の心の中に相手の気持ちを想う時間が生まれました。これまでは、自分が模範的な優等生的な返答をすることに意識が集中してしまっていて、相手を思いやる余裕がない状態だったのかもしれません。
相手の気持ちを思う時間ができたことで、自分の意見と相手の意見を俯瞰的にみて共感できるようになりました。日常の会話の中で娘のネガティブな発言に対して私が受け止める発言をしても、「うん、やりたくないからやらない」と言いつつ、少ししてから黙々と取り組んでいたり、娘なりの答えを出して進んでいる様子が伺えました。
娘との会話も以前より続くようになり、娘の考えや想いを知る機会が増えたことは、私にとって嬉しい成果でした。

この夏、一年ぶりに帰国をし、母と会話をしていた時にもまず受け止めて話を聴いていたら、「誰にでも話せるわけじゃないし、あなたに話したらすっきりしたわ」と言われたことがありました。
今までの私なら、途中で「それでお母さんはどうしたいの?」と白黒はっきりさせて解決策を提案したいような内容だったのですが、嬉しそうにそう言ってくれた母の笑顔をみて、ただ受け止めることの効果を実感し、私も嬉しい気持ちになりました。

相手のありのままの姿を受け入れるためには、自分自身の怖れや思い込みと向き合うことも必要なのだと感じましたし、受け止めるというステップを発見するまでのように、ゆっくりと時間をかけて理解していくこともあるのだなと感じています。
また、私の中で、受け入れることに対する考えが、相手を理解しそのすべてに同意することから、自分とは違う意見も相手の意見として認めること、相手の気持ちに寄り添うイメージに変化しました。
受け止めるように受け入れても大丈夫、今はそんな風に思って過ごしています。

ではこの辺でバトンを鈴木さんに繋ぎます。

タイ/瀧澤 薫 



2023年08月21日(月) No.633 (日記)

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