ハートフルコーチの泣き笑い日記

日々の発見やつぶやきなど。

本当の自分への寄り添い


埼玉の岩田です。
トゲトゲした息子さんを前にして、自分のやり方を変えられた安村さんの熱意と息子さんへの愛情が伝わってきました。そして私も本当にそれは必要な「べき」なのか、と子育てを通して常に考えさせられています。

娘たちが幼稚園に通い始めた15年前、ママ友との雑談や保護者会での発言をする場面が増えていきました。私は話すということに苦手意識があり、そのたびに心臓が口から飛び出しそうなほどの思いをしてきました。
相手の反応が気になって言えずにいることや、自分の考えをハッキリと伝えることにも抵抗があったので、言わなくても何とかなる場面では「本当は違うけどやっぱり言わない」という選択ばかりしてきました。

ママ友との雑談では、愚痴を漏らすこともありました。しかし愚痴を言っても聞いている人にとっては所詮他人事であり、不満がなくなる訳ではありませんでした。心のどこかでは、誰も私の気持ちを理解してくれないと卑屈になっていました。
保護者会などの発言せざるを得ないような場では、表面的に合わせる言葉を選んで話していたので、「本当は違うんだけどな」という自分がいつも隣り合わせだったような気がしていました。

あるとき、何気なく広告を眺めていたら、「話し方教室」というものに目がとまりました。私にとっては話し方を教えてもらう場所に行くことさえ、とても勇気のいることでしたが、このままではいけないと思い、通うことを決めました。
母より歳が1つ上の先生は年齢に関係なく対等に接してくださいました。受講生の皆さんもとても温かい雰囲気で話を聴いてくれたので、話すことへの抵抗が少しずつ減っていきました。
ところが1年も通わないうちに娘の不登校や夫の手術で慌ただしく過ごし講座への参加に足が遠のき、時々ふと「あぁ、先生は元気かなぁ」と、懐かしい教室に思いを馳せていました。

そして5年後、再び連絡をとりました。しばらく教室をお休みしていた先生は、新たに秩父で教室を始めることや、秩父の34カ所巡りをしたいというお話をしてくれました。「えー、私も行きたい」と答えると、トントン拍子で話が進みました。教室に長く通っていたHさんが、お寺巡りの案内人をされていたのです。

Hさんも母と同い年、娘のように親しみをもってくださり温かい気持ちになりました。1日に2〜3カ所のお寺を巡り、お昼には秩父の名物料理をいただき、午後には話し方教室へ行くという月に一度の贅沢な日を楽しみました。道中では、秩父の歴史やお寺に描かれた絵画や彫刻の話など、たくさんの話で盛り上がりました。お二人が私を人として大切にしてくださっているのが、言葉の端々から伝わってきました。

そして楽しい時間を過ごしていくうちに、気持ちがほぐれ、母のような二人に向かって母の愚痴を漏らすようになりました。お二人が私を労いながらずっと黙って聞いてくれるので、しだいに遠慮することなく話していたのだと思います。ある日、終わることのない愚痴に先生が、「もうそんなふうに言うのは止めなさい」。私は嫌な気持ちがして、思わず「私は自分の気持ちをごまかしたくないんです!」と反論していました。初めて相手がどう思うかを気にせずに出てきた言葉でした。

この「ごまかしたくない」という言葉で、私は自分がいつでも正直でありたいし、素直でいたい、そう思っていたことに気付きました。そう気付くことで心が次第に軽くなっていき、それまで相手のことを大切にしようとして実は我慢してきた自分のことを、「本当に頑張ったね」と労ることができました。

それまで私は、愚痴を言うのも、聞くのも、好きではありませんでした。ですから娘が愚痴を言うと、何とか早く終わらせようと思って聞いていました。愚痴は、本当に辛かったことや悲しかった気持ちを相手に聞いてもらうことだと思っていたからです。
しかし今回の出来事で、話すことで自分がどう思っているのかを認め、自分自身で受け止めることができるようになると分かりました。辛いことや悲しい気持ちを抱えたままでは、人と一緒にいて楽しめるはずはありません。愚痴を話すことは悪いことだけではなく、自分に寄り添える時間になるのだと思いました。

先生やHさんには、嫌な思いをさせてしまい反省していますが、今も大切な特別なお友だちとして関係を続けさせていただいています。
それでは、この辺で渡海さんにバトンを渡します。

埼玉県/岩田元子 







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